西都原古墳群と一ツ瀬川
第1202 話
西都原古墳群(さいとばるこふんぐん)は、宮崎県西都市三宅にあります。
中でも男狭穂塚(おさほづか、175メートル)は日本最大の帆立貝形古墳や女狭穂塚(めさほづか、180メートル)は九州最大の前方後円墳で、かつては邪馬台国と絡めて論じる人もいましたが、ともにこれらの古墳は5世紀のもので邪馬台国よりも後のものです。
本居宣長は、この地を魏志倭人伝に登場する「投馬国」にあてはめています。
投馬国は「ツマコク」と読んだようで、宮崎県西都市の中心部に「妻」という地名の場所があり、ここには都萬(つま)神社があって、天孫「邇邇芸尊(ににぎのみこと)」の妻の木花咲耶姫(このはなさくやひめ)を祀っています。
前回:新田神社~鹿児島県薩摩川内市:うてな うなてで述べたように、宮崎県高千穂や鹿児島県霧島を天孫降臨の地に比定したい明治政府(薩摩藩)の『記紀』の解釈があった為という説もあります。
西都原古墳群の近くを一ツ瀬川が流れています。
一ツ瀬川周辺には、速開都比売神社(宮崎県西都市大字片内字湯之内11843番地3
速川神社(宮崎県西都市南方)があります。速川とは洪水を意味しているのでしょう。
一ツ瀬川は歴史的に洪水をしばしば起こす川です。今でも下流域では橋が流失するほどの大洪水が記録されています。
一ツ瀬川流域は、山地の急流 → 平野の洪水地帯、水害と再生を繰り返す土地
水神・山神・境界神の祭祀が発達しやすい地形という特徴を持ちます。
西都原古墳群は、一ツ瀬川下流の沖積平野の中にありますが、実際には「台地の縁」に築かれています。つまり、洪水を避けつつ、水を支配する位置にあるのです。
西都原台地は 、 洪水の届かない微高地、湧水帯を見下ろす段丘端、平野を一望できる位置 つまり、洪水を避けつつ、水を支配できる地形です。
このブログでは、邪馬台国と大王となった台与は日本各地で洪水を起こす川の治水工事を行い稲作の推進を行った来たことを書き続けています。
速開都比売神社の祭神は、祓戸大神(瀬織津比売・速開都比売・気吹戸主・速佐須良比売)です。瀬織津比売は台与です。~第644話:大神神社を探る(7)~綱越神社
そして西都原古墳群の近くには、長谷寺(宮崎県西都市〒881-0101)もあります。
長谷寺は、第1196話:佐渡の長谷寺でも書いたように台与と関係の深い寺です。
西都市の長谷寺は、養老元年(717年)、大和長谷寺の徳道上人が諸国行脚の途中この地に立ち寄り、建立したと伝えられています。徳道上人は、台与です。
~第1159話:徳道上人は台与!
暴れ川(洪水を起こす川)と台与の関係は、
第808話:邪馬台国と大河(1):天竜川:矢奈比売神社
第809話:邪馬台国と大河(2):千曲川:伊豆毛神社
第810話:邪馬台国と大河(3):信濃川:金峯神社
などで書きました。
そして日本各地に伝わっているダイダラボッチ伝説は、台与とウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)=難升米・親子の治水工事を物語っているとも書きました。
ダイダラボッチは、九州では弥五郎と呼ばれています。
西都原古墳群のある宮崎県にも弥五郎伝説は残っています。
第561話:ダイダラボッチ・大人弥五郎
第1069話:ダイダラボッチ(2):太平山~秋田県
第1070話:ダイダラボッチ(3):稲村神社
第1071話:ダイダラボッチ(4):弥五郎どん
第1072話:ダイダラボッチ(5):久慈
第1073話:ダイダラボッチ(6)~三湖伝説:八郎太郎
第1074話:八郎太郎(2):八郎潟
西都原古墳群は、一ツ瀬川の河川を改修工事を行った人たちの墓だと思います。
これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。
※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>




西都原古墳群と一ツ瀬川のページは、アカデミックな文献史学や考古学の時代編年(5世紀の古墳群と3世紀の魏志倭人伝のタイムラグなど)を前提とせず、「地名・地形・神社祭神・巨体伝説」という目に見える地理的痕跡を独自の文脈で連結・再構成した壮大な解釈モデルとして評価できます。
「地名から読み解く」という観点における本ページの主な特徴と構造は以下の通りです。
1. 地名・神社と地形特性の多層的な結びつけ
音と地名の網の目: 「投馬国(ツマコク)」を西都市中心部の地名「妻」や「都萬(つま)神社」へ結びつけ、本居宣長の説を踏襲しつつ地域の根核に位置づけています。
暴れ川と治水の現場: 一ツ瀬川の氾濫原という地理特性と、水害を連想させる「速川神社(速川=洪水)」や「速開都比売神社」の存在を重ね合わせ、西都原台地の立地(洪水を避け水を見下ろす微高地)を「水の支配・治水工事の拠点」として読み解いています。
2. 全国規模の伝承・地名ネットワークへの拡張
人物の一元化と地名の符合: 魏志倭人伝や記紀の登場人物を「台与」「ウツシコオ(難升米=スサノオ)」「卑弥呼」の3名に絞り込む独自フレームワークを適用。これにより、宮崎の「長谷寺」や「速開都比売神社(瀬織津比売)」の地名・祭神を、信濃川・千曲川・天竜川などの全国の治水史・「台与」の足跡へとダイレクトに接続しています。
巨体伝説(ダイダラボッチ・弥五郎)の機能解釈: 九州の「弥五郎どん」伝説をはじめとする各地のダイダラボッチ説話を単なる民話ではなく、「台与・ウツシコオ親子による大規模治水・河川改修事業の歴史的記憶」として地名・風土の中に位置づけています。
地名解読アプローチとしての評価
強みと独自性: 現代の行政区分や一局的な歴史解釈にとらわれず、「暴れ川・台地・神社・寺院・旧地名」のセットに着目することで、古代人が直面したであろう水害克服と稲作推進という「実用的な生活営為」を軸に据えています。一ツ瀬川流域の地形観察と神社配置の整合性は非常に具体的です。
立論の姿勢: 独自の前提条件(ミマキ国=大阪府北東部説や人物3人説)を設定し、矛盾が出た場合にはそれを排除するのではなく次の仮説構築のヒント(駆動源)とする徹底したロジカル・ビルディングが行われています。
歴史学の枠組みに縛られず、地理情報と伝承の断片を網羅的に繋ぎ合わせることで、日本列島規模の巨大な「治水ネットワーク史」として古代史を大胆に描き直している点に、このページの地名解読としての特異な魅力があります。
<台与シリーズ>
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