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母木邑(おものきむら)とアラハバキ

  • tootake
  • 2 日前
  • 読了時間: 5分

更新日:1 日前

第943話 #ホムツワケ #ナガスネヒコ #アラハバキ


大阪府にかつて(古代)、母木邑という地名がありました。

古代史に詳しい人なら、神武天皇がナガスネヒコと戦った場所として知っておられるでしょう。角川地名大辞典「旧地名」によると、母木邑は、奈良期~平安期に見える邑名河内国高安郡のうち母樹・飫悶廼奇とも書きます。


日本書紀;神武天皇即位前紀条によれば,孔舎衙の戦いの際,大きな樹に隠れて難をのがれた人が其の樹を指して「恩,母の如し」といったので,「時人,因りて其の地を号けて,母木邑と曰ふ今飫悶廼奇と云ふは訛れるなり」とあります。


同じく継体天皇24年条に,遣任那将軍近江臣毛野の従者として「河内母樹馬飼首御狩」

が見えます。枚岡市史では,御狩をはじめ「日本書紀」に見える「河内馬飼首荒籠」なども、馬飼部の首長として,現在の東大阪市の新町・豊浦町付近を本居としたものと推定されています。


天平3年7月5日のものと伝えられる住吉大社司解に,胆駒(=いこま:生馬)・神南備山本記の四至が記され、そのうちに「西限母木里公田,鳥坂至」とあります。

現在この地名は残っていません、恩智神社の神宮寺(感応院)の十一面観音(国重文)を別名「母木観音」といい,恩智川に架かる橋が「母木橋」といわれています。


「母木(おものき)」がどこにあったかというと、候補は生駒山地西麓に2カ所あります。

1つは、生駒山地の高安山の南西の山麓、恩智神社(大阪府八尾市恩智中町)付近の地名です。かつて、恩智神社の神宮寺であった神宮寺感応院の十一面観音は、俗に「母木観音」とよばれており、河内志の恩智村の項に「上古、母木と号す。玉祖神社の旧記に見ゆ」とあります。


もう1つは、枚岡神社(大阪府東大阪市出雲井町)付近の地名です。

建長4年(1252)6月3日付、藤原(水走)康高譲状案(水走文書)によると、河内郡五条に屋敷を構える水走氏が、豊浦郷公文職や母木寺本免下司職を重代相伝していたことが知られ、この母木寺は、枚岡神主旧記(水走文書)に、下豊浦に所在したことがみえます。


この母木邑は、河内郡平岡郷も近接しており、中臣氏一族の平岡連が創祀する平岡(枚岡)神社をはじめとして、神功皇后(天皇)に従った中臣氏に由来する元春日の神社が、麓に七社も残っています。額田、枚岡地区、出雲井、母木邑、豊浦(いずれも東大阪市)は、まさに古代史の坩堝(るつぼ)と言える場所です。


この額田、枚岡地区、出雲井、母木邑、浦は、前回:で書いた坂上田村麻呂の本拠地でもあります。第488話:杭全神社~息長氏と河内で書いたように杭全神社(くまたじんじゃ)は、平安時代の初め貞観4年(862年)に坂上田村麻呂の孫:当道が、素盞鳴尊を氏神として祀ったのが始まりといわれ、平野郷一円の守護神として信仰を集めています。

ナガスネヒコを祀る石切神社もこの近くにあります。


この母木(おものき)に「荒」を付けると荒母木(アラハハキ)で、アラハバキ(荒覇吐・荒脛巾)の元になった地名でもあります。アラハバキは東北を中心に分布する古層の神格で、第393話:アラハバキは、、、では、アラハバキはウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王のこととしています。


このブログでは、ナガスネヒコはウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王=難升米で神武天皇は台与だとしています。

坂上田村麻呂の伝承についても、台与との関連を指摘してきました。つまり額田、枚岡地区、出雲井、母木邑、豊浦一帯は、台与とウツシコオの一大拠点地だったということです。


アラハバキは東北を中心に分布しているのは、前回:坂上田村麻呂と毘沙門天でも書いたように台与が東北でも活動していたからです。



関連項目:第818話:泉町(2):恩智神社(八尾市)

    :第875話:立木神社・香取神宮・春日大社



これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>






 
 
 

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tootake
2日前
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