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アラハバキは、、、

  • tootake
  • 2024年7月29日
  • 読了時間: 3分

更新日:2024年8月5日

第393話


アラハバキは、主に東北地方から関東地方で信仰されてきた神です。

荒覇吐、荒吐、荒脛巾、阿良波々岐などと表示され、現代でも全国各地の神社でひっそりと「客人神」として祀られています。荒脛巾は「脛」の字も相まって、長脛彦とされることもあります。参照:長脛彦の逃亡


アラハバキ「縄文の神」説、「蝦夷の神」説は定着しており、遮光器土偶のイメージとしても世間には広まってしまっています。この説は、アラハバキ=宇宙人説と同程度のレベルの低いものです。


・塞の神説~荒脛巾神社があります。多賀城跡は蝦夷を制圧するために築いた拠点です。谷川健一によれば、荒脛巾神に「塞の神」としての性格があったためと述べています。「塞の神」はウツシコオです。

神社では、脛(はぎ)に佩く「脛巾(はばき)」の神、また「足の神」とされてきた。(多賀城市の荒脛巾神社の祭神「おきゃくさん」は、旅人らから脚絆等を奉げられてきたが、下半身全般をも癒すとされ、ています。

脛=足=旅=道ということで、道の神=ウツシコオです。


・製鉄民説~荒脛巾神社には鋏が奉納され、さらに鋳鉄製の灯篭もあります。多賀城の北方は砂金や砂鉄の産出地であり、氷川神社をも鉄と関連付ける説があります。

近江雅和氏は門客人神はアラハバキから変容したものであると主張しており、その門客人神(客人神に同じ)の像は片目に造形されていることが多いことと、片目は製鉄神の特徴とする説があることを根拠として、近江氏は「アラ」は鉄の古語であると主張し、山砂鉄による製鉄や、その他の鉱物を採取していた修験道の山伏らが荒脛巾神の信仰を取り入れたのだとされておられます。

一つ目はひょっとこ:火男~天之御影命=ウツシコオのことです。


・氷川神社との関係~荒脛巾神が「客人神」として祀られているケースは、埼玉県さいたま市大宮区の氷川神社でも見られます。この摂社は「門客人神社」は、元々「荒脛巾(あらはばき)神社」と呼ばれていました。このため、アラハバキは、元から地元にいた神だとする者によって、アラハバキは、遮光器土偶とか宇宙人とかにされてしまったようです。しかし

アラハバキを客人神として祀る神社は武蔵を始め、三河、出雲、伊予にも点在し、先住の神と見ることはできません。出雲の佐太神社や出雲大社は出雲国造と、伊予は小市(オチ=越智)国造・風速国造と、三河は三川蘰連と、氷川神社は武蔵国造とそれぞれ関連し、これら諸氏はいずれも製鉄氏族の物部氏、つまりウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王ということです。


愛知県豊川市にある砥鹿神社砥鹿神社(とがじんじゃ)の、奥宮末社に荒羽々気神社があります。名称こそアラハバキですが、祭神は大己貴命の荒魂とされています。大己貴命=大国主は、ウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王です。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 

※これまでの記事はこちらです。


<目次>



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6件のコメント

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
2024年7月31日
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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
2024年7月29日
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*天津彦根命=大山祇はウツシコオです。(後述予定)

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
2024年7月28日
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