top of page

文子天満宮~天神の正体

  • tootake
  • 3 日前
  • 読了時間: 6分

更新日:2 日前

第681話 多治比文子は台与 #天使突抜


では「天暦2年(948年)、近江国比良神社の神主・神良種が摂津国須磨で見つけた菅原道真の神像を持って旅し、猪苗代湖畔に辿り着いたと書きました。この近江国比良神社の神主・神良種とは何者なのでしょう。


京都市下京区間之町通花屋町下る天神町に文子(あやこ)天満宮があります。

北野天満宮の前身神社で天神信仰発祥の神社です。創立は天暦元年(947)と伝えられ、社伝によると天慶三年(940)に右京に住む多治比文子に「山城国北野右近馬場に鎮座の地を構えよ」と御託宣がありましたが、身貧賤にして社を営むことが出来ず、家辺に瑞籬(ずいり・みずがき)を設けて斎祀します。ところが同九年(946)に近江国比良宮の禰宜三和良種*の子太郎丸に「前に西ノ京の文子と云う者によって示すといえども人人信ぜず我居せむ処には松の種を植うべし」との神託が下ります。良種この為西ノ京の文子を呼び、朝日寺の僧最鎮等と力をあわせて社を営んだ、その夜北野に千株の松が生え、また比良村にも生えたので帰郷して後当社を創立したとあります。

三和良種=神良種です。神(みわ)は三和(みわ)と読みます。神=三和=三輪=大物主=台与です。~大神神社(16)~大物主は台与!!


別伝では、天慶5年(942)、都に住む多治比文子(たじひのあやこ)という巫女に天神から託宣があり、文子は自分の卑しい身分をはばかって家の敷地に小祠を建てたと伝えられています。天暦元年(947)、近江国比良宮の禰宜、神良種(みわのよしたね)の7歳の子、太郎丸にも再び託宣があり、朝日寺(東向観音寺)の最鎮(さいちん)の協力を得て、北野の右近の馬場に社殿が遷されました。これが北野天満宮の始まりとされています。なお道真の墓所となった大宰府安楽寺には、すでに延喜5年(905)に道真の門下生である味酒安行(まさけのやすゆき)によって神殿が造られていて、これがのちに大宰府天満宮に発展します。


北野天満宮の社伝でも、平安時代中頃の天暦元年(947)に、京都に住んでいた多治比文子や近江国(滋賀県)比良宮の神主神良種、北野朝日寺の僧最珍らが、当所:天満宮(てんまんぐう) 樹下神社(じゅげじんじゃ:大津市志賀北比良 大津市志賀南比良に神殿を建て、菅公をおまつりしたのが始まりとされます」とされています。 


多治比文子は、道真の乳母であったとされ、「われを右近の馬場に祀れ」との道真の託宣を受けたといいます。


ところで、京都府京都市下京区松原通西洞院西入天神前の五條天神社があります。

洛中(京都市)最古社です。当初は「天使の宮」「天使社」と称した。

少彦名命、天照大神、大己貴命を祀っており、病気退散・厄除け・農耕・医薬の神として信仰れています。当初は「天使の宮」と称していましたが、後鳥羽天皇の時代に「五條天神宮(ごじょうてんしんぐう)」に改称しています。菅原道真とは一切関係ありません。創建は延暦13年(794年で前述の文子天満宮よりも200年くらい前からあります。


日本各地に天神様を祀る神社があります。天神さん 天神様は菅原道真とされています。全く菅原と縁もゆかりもない場所になぜ天神社(天満宮)があるのでしょう。

菅原道真は天神とされています。本来の天神は、スサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)であることは、第449話:菅原道真は、なぜ天神なのか!で書きました。


つまりこういうことです。元々は天神とはスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)のことだったのですが、北野天満宮を創建する際に、当時の日本の官僚は、菅原道真を天神にしようとしたのです。


そのため、神良種、多治比文子を創作したのです。神良種(みわのよしたね)の7歳の子、太郎丸と多治比文子が同一人物であることは、各伝承をよく読めばわかります。神良種がウツシコオ(内色許男命)で太郎丸=多治比(たじひ)文子が台与です。


多治比(たじひ)とは、第618話:大阪と邪馬台国:丹比(たじひ)で書いたように丹比は反正天皇の宮のある地でした。反正天皇も台与です。~第584話:反正天皇(第18代)


前回:第680話:会津姫~小平潟天満宮:平潟(枚方)小平潟天満宮も元々はウツシコオを祀る神社であったはずです。しかし、、


「天暦2年(948年)、近江国比良神社の神主・神良種が摂津国須磨で見つけた菅原道真の神像を持って旅し、猪苗代湖畔に辿り着いた。良種はその地で休み、再び歩き出そうとして立ち上がった。しかし、道真の神像が急に重くなり動かなくなってしまった。」

という伝承を作り上げ菅原道真を祀る神社してしまったのです。


全国各地にある大宰府天満宮以外の天神社はすべて元々はウツシコオ(内色許男命)、台与関連の地であったはずです。


近江国比良神社の神主・神良種が摂津国須磨で見つけた菅原道真の神像とあります。

摂津国須磨には綱敷天満宮があり菅原道真を祀っています。道真は野見宿禰の子孫です。野見宿禰はスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)です。~スサノオは天手力男神です。犬養氏:スサノオは天手力男神=野見宿禰



====================================

<蛇足の追記>

・五條天神社のあるあたりは、天使突抜という地名です。豊臣秀吉の京都改造まで現在の松原通りが五条大路でした。五條天神社の際敷地内の鎮守の森を貫通した通りを新設したことから一帯の地名に天使突抜1丁目から4丁目の町名ができたようです。

天使突抜は「てんし・つきぬけ」と読みます。天使とは、五條天神社の祭神である少彦名命=大己貴命=台与であることは言うまでもありません。~少彦名大神(スクナヒコ)は台与! 弥彦神社と台与

・天使(てんし)→てんしん(天神)であるなら、天神は台与のことかもしれません。

・名探偵コナン劇場版「迷宮の十字路」で、この五條天神社が登場しています。


※これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>








 
 
 

最新記事

すべて表示
邪馬台国 第641話~第680話

第1話~第40話      第41話~第80話    第81~第120話      第120話~第160話   第160話~第200話    第201話~第280話     第281話~第320話       第321話~ 第360話 第361話~第400話  ...

 
 
 

4 Comments

Rated 0 out of 5 stars.
No ratings yet

Add a rating
tootake
2日前
Rated 5 out of 5 stars.
  • 成分分析によって銅の産地は神尾銅山と推定できる。

Like

tootake
3日前
Like


tootake
3日前
Rated 5 out of 5 stars.

<台与シリーズ>

hidemaru3375.com/post/天鈿売命(うずめ)は台与(豊)

https://www.hidemaru3375.com/post/かぐや姫は、台与(とよ)

https://www.hidemaru3375.com/post/磐井の乱と台与

https://www.hidemaru3375.com/post/豊受姫(豊受大神)は崇神天皇

https://www.hidemaru3375.com/post/火明命は饒速日なのか??

https://www.hidemaru3375.com/post/豊鍬入姫命-日光と男体山・女峰山

hidemaru3375.com/post/台与と秦氏  敏達天皇は台与(豊) 

衣通姫(そとおりひめ)は台与(豊) 雄略天皇は台与(豊)!

孝昭天皇は台与:日原は目原  飯豊王女は台与(トヨ)なのか?

金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(2)大原足尼命はトヨ    大宜都比売(おおげつひめ)は台与 

倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)はトヨ??  神八耳命は台与(豊)

饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作  台与は饒速日②~交野市倉治

小楯姫は台与:小楯は枚方   四道将軍:日子坐王は台与! 

少彦名大神(スクナヒコ)は台与!  大彦は台与!??

ウマシマジは台与!    阿蘇都媛は台与

沼河比売は小楯姫=台与  タケミカヅチは台与!!

ヤマトタケルは台与  瓊瓊杵尊:ニニギは台与

継体天皇はトヨ(台与)??!  継体天皇は台与2~大々杼郷:楯原神社

継体天皇は台与3~田井(寝屋川市)  英彦山と台与

山部赤人は台与!  八幡神は台与!!

とよ(乎止与命・台与・臺與)  台与の物語

Like
bottom of page