善光寺~本田善光は台与
- tootake
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第683話 #あみだ池 #和光寺 #金刺氏
和光寺(わこうじ)は、大阪市西区北堀江にあります。あみだ池(あみだいけ)の通称で知られている尼寺です。この寺にある阿弥陀池(あみだ池)は、後に信濃国善光寺の本尊となる阿弥陀如来像が捨てられ、また引き上げられた場所として有名です。
聖徳太子伝説~堀江と茨田堤で書いたように堀江は、仁徳天皇=崇神天皇=大規模な土木工事を行った場所です。第203話:堀江~仁徳天皇は崇神天皇! 、第344話:堀江~仁徳天皇は崇神天皇!
大阪市内には、
第620話:大阪と邪馬台国:諏訪(大阪市城東区)、第623話:大阪と邪馬台国:姫島~大阪市西淀川区、第626話:大阪と邪馬台国:猪飼野、第627話:大阪と邪馬台国:鶴橋・小橋など台与に所縁の地がいくつもあります。
阿弥陀如来像を堀江に捨てたのは、物部守屋です。
通説では、鹿深臣(かふかのおみ)が持ち帰った弥勒石像を蘇我馬子の仏殿に安置し、排仏派の物部守屋によって難波の堀江に捨てられたとされています。第539話:仏教伝来異聞では、鹿深臣=蘇我馬子=物部守屋=ウツシコオ(内色許男命)としました。
堀江で拾った阿弥陀如来像を長野県の善光寺に祀ったのは本田善幸とされています。善光寺の名は開祖の本田善光の名を取ったといわれています。しかし、古い善光寺縁起には本田善光という名が出てきません。本田善光の存在自体が創造であるとする説もあります。ではなぜ善光寺と名付けられたのかというと、百済王善光(くだらのこにきし* ぜんこう)からというものという説があります。
国学者・大石千引は1820年の本で「天智天皇の時、難波に居を定められた百済王善光が善光寺の開基らしく、河内の誉田に住んで誉田(ほんだ・こんだ)善光とも言ったのだろう」と書いています。河内の誉田は、応神天皇陵(大阪府羽曳野市誉田)のある地です。応神天皇は台与です。第581話:応神天皇(第15代)は台与
奈良時代には百済王善光は百済系渡来人の祖として崇められるようになったとされています。善光寺を建てたと考えられる金刺氏の一族です。金刺氏の一族は、百済に渡航して活躍し、百済滅亡後は日本へ帰ってきて官吏として仕えた者もいます。そこで百済王善光から名を取って善光寺としたのではないかと思われています。
金刺氏は金析(かなさく)と音が通じ同じだと思われます。かなさく「金析」は、宇都志日金拆命(うつしひ・かなさくのみこと)のことで、安曇氏、安曇犬養氏、海犬養氏の祖とされており、第361話:宇都志国玉神と宇都志日金拆命 では、宇都志日金拆命はスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)であるとしています。
本田善幸の別名は若麻續東人(わかをみ の あずまんど)で、伊呂波字類抄引用の善光寺古縁起に、「皇極元年(642年)若麻績東人、水内郡の宅を改めて草堂となす」とあります。
一般に若麻績氏は麻績氏であると理解されており、「麻績部」は麻を紡(つむ:績)ぎ、麻布を織る品部(職業部)のひとつであるとされています。古代で麻と言えば秦氏です。秦氏は、台与です。~hidemaru3375.com/post/台与と秦氏
そしてこのブログでは「若」のつく記紀に登場する人物は台与です。
善光寺の特徴として、日本の仏教が諸宗派に分かれる以前からの寺院で、宗派の別なく宿願が可能と位置づけられています。また女人禁制の旧来の仏教の中では稀な女性の救済をうたっており、身分も男女も善悪も問わず、どんな人でも必ず極楽往生できるとしています。
善光寺は設立当時は尼寺だったといいます。冒頭で書いた堀江の和光寺(わこうじ)も尼寺です。
日本最初の僧は、11歳の善信尼だということです。第539話:仏教伝来異聞では、善信尼は13歳で大君(天皇)に即位した台与(豊)だとしています。
阿弥陀池(あみだ池)に、阿弥陀如来像が捨てられ、また引き上げられたというのは、作り話です。金刺氏のうち、水内郡の郡司となった一族は、善光寺の創建に関わっており、水内郡南半の、裾花川沿いの芋井郷(現在の長野市南俣や上高田周辺)を拠点にしたとする説があります。当時の信濃国という辺境の地なのにも関わらず、仏教が受け入れられたのは、善光寺平に渡来人が多く住んでいたために仏教に対する知識を有する人間がいたり、実際に仏教を信仰する人がいたからであると考えられています。
*大阪府枚方市中宮西之町には、百済寺があり百済王(くだらのこにきし)が建てたとされています。枚方市中宮は私が邪馬台国の中心地で卑弥呼の宮(中宮:ちゅうぐう*)があったとする場所です。*中宮:「ちゅうぐう」とは妃(きさき:皇后)の宮というう意味です。~第125話:邪馬台国前史Ⅸ~禁野・中宮・ヤマト
上記により、本田善幸=若麻續東人は台与です。
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<蛇足の追記>
・牛にひかれT善光寺参りと言いますが、この牛とはスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)のことでしょう。牛(角)ウツシコオのキーワードです。~第388話:スサノオのキーワードは角と竹と、、
・なんで台与はんは、信濃にいったのやろか?。
・そら決まってるがな、「あみだが行け」というたんや!
上方落語、阿弥陀池→あみだが池(行け)
※これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>

佐賀の徐福さん 奥の院・上宮・中宮・下宮
<台与シリーズ>
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