第595話 #伊勢都比売命 #台与(豊) #彦狭嶋命
姫路市林田町上に伊勢という地名があります。播磨国・風土記の伊勢野では、次のように書かれています。
伊勢野と名付けるわけは、この野に人家ができるようになると、そのたびに安らかに暮らすことができなくなる。そこで衣縫猪手(きぬぬいのいて)・漢人刀良(あやひとのとら)らの祖は、ここに住むことにした時、社を山麗に立ててうやまい祭った。
山の峰においでになる神は、伊和大神のみ子の伊勢都比古命・伊勢都比売命である。
これから以後は家々は静かに安らぎ、ついに里ができるようになった。そこで伊勢とよぶ。
この地に伊勢都比古命を祀ったと言うのは、瀬戸内周辺が伊勢津彦の勢力圏だったからこそ、伊勢津彦を祀ったと思われます。前回:彦狭知の物語(6)~アメノヒボコで登場した伊和大神の子とされるが伊勢都比古命、伊勢都比売命です。(播磨国風土記)
伊勢国風土記によれば、伊勢津彦神は伊賀国穴石神社(現三重県阿山郡)に石をもって城(き)を造っていたが、阿倍志彦の神(あへしひこ)が城を奪いに来るも、勝てずして帰ったため、それに(石城:いしき、いわき)の音が訛って由来して「伊勢」という名が生まれたと記しています。阿倍志彦の神(あへしひこ)は敢国神社の祭神である敢国神(あへのくにつかみ)とされています。
第552話:敢国神社2~稚き児の宮では、敢国神社が「稚き児の宮」とされていると書きました。稚き児とは13歳で即位した台与(豊)でしょう。伊勢津彦=敢国神=台与(豊)ということです。
本居宣長は、古事記伝で伊勢津彦神は建御名方神の別名であるとし、神武天皇の時代とする記述は後世の誤伝であるとする説を唱えています。これは天津神に反抗するも勝てず東国へ逃亡する姿が似ていることから来る説です。このブログでは、本居宣長とは別の観点から、第354話:伊勢津彦はタケミナカタ
第353話:国譲り~タケミナカタは饒速日??を書いています。
また、宝賀寿男は、伊勢津彦神こそ邇芸速日命(にぎはやひ)*と同神とされ、東国へ逃亡したのは実際は伊勢津彦神の子に当たる神狭命としたと述べています。*邇芸速日命=饒速日(にぎはやひ)は台与です。~饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作 台与は饒速日②~交野市倉治
これらのことから、伊勢津彦神=建御名方神=台与(豊)という図式も見えてきます。
(一方で、第548話: 卑弥呼はタケミナカタという記事も書きましたのでまだまだ検証が必要です。)
伊勢津彦神の子に当たる神狭命については、名前に狭がついていますので、彦狭知のことかもしれません。また第371話:彦狭島命~吉備児島で書いた彦狭島命の事であるとも思われます。
彦狭嶋命( ひこさしまのみこと)は、児島および周辺の島々と本土により囲まれた海域で活躍したとされています。この辺りの海域は、吉備穴海と呼ばれ、重要な海洋交通路です。伊予(いよ=四国)を統治し、伊予皇子という別名もありますまた、愛媛県伊予郡松前町にある伊予神社の主祭神でもあります。また、常陸国風土記の記述から、彦狭島の「狭島」は「鹿島」と同義とする説があります。 鹿島といえば、鹿島神宮です。鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)の主神として、建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ:タケミカヅチ)が祀られていおり、鹿島神(かしまのかみ)とも呼ばれています。タケミカヅチは台与です。~第441話:タケミカヅチは台与!!
大和朝廷(邪馬台国)は、瀬戸内海も制覇していました。高槻(ミマキ国)には、筑紫津神社(高槻市津之江町1-27-1)があります。~第399話:高槻は、邪馬台国の軍港だった!
筑紫(九州)との往来も頻繁に行われていたと思われます。大阪市住吉区にある住吉神社も、邪馬台国の水軍の基地だったようです。
さらに瀬戸内海には、武殻王(タケカイコオウ)あるいは讃留霊王(サルレオ)がいます。瀬戸内海の悪魚(海賊)を退治したとされています。
兵庫県揖保郡には、伊和都比売神社がいくつかありますが、兵庫県赤穂市御崎にある伊和都比売神社は東郷平八郎をはじめとした歴代連合艦隊司令長官が参拝したことで知られています。ここもかつては邪馬台国の水軍=海軍の基地だったのでしょう。
伊勢都比売命(いせつひめ)=伊和都比売(いわつひめ)=台与(豊)も邪馬台国の連合艦隊の司令長官だったのです。
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吉井良隆氏(前西宮神社宮司)は椎根津彦命(うず彦:珍彦)は大阪湾北側を支配する海部の首長であった述べられています。つまり、村上水軍のような存在です。
椎根津彦命は、彦狭知(ヒコサチ)=うず彦(椎根津彦)、塩土老翁神=ウツシコオ(内色許男命)で瀬戸内海を頻繁に行き来していました。その後、伊勢都比古命=彦狭島命=武殻王(タケカイコオウ)あるいは讃留霊王(サルレオ)=台与(豊)が譲り受けたということです。
<シリーズ:彦狭知(ヒコサチ)>
※これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけ!??としています。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)、卑弥呼、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>

號都昩齒八重事代主
先代旧事本紀巻第四
伊水温故は4巻4冊。縦27.9㎝、横19.0㎝、紙本。菊岡如幻自画自賛像は1幅。縦59.1㎝、横29.8㎝、紙本。
菊岡如幻は伊賀上野福居町の豪商で、伊賀を代表する和学者。『伊水温故』は如幻の自筆稿本で、如幻自らが調査を行ったもの。伊賀一国の地誌で、阿拝(あえ)・山田・伊賀・名張の各郡について、その由来、名所旧跡・社寺の由来や、伝説、縁起等を記している。
『伊水温故』は、藩主への献上を目的として執筆されたが、献上された本は現在確認できない。そのため、現存する唯一の自筆本として貴重な資料といえる。伊賀地域研究における不可欠の1書であると共に、近世前期の伊賀商人層の知性と教養の実態を物語る資料としても注目に値する。
第371話:彦狭島命~吉備児島
第372話:建日方別:彦狭嶋命
第373話:孝霊天皇クーデター事件
第374話:牛鹿臣はウツシコオ!
第227話:天日方奇日方命
猿丸幻想(2)~柿本人麻呂
<台与シリーズ>
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衣通姫(そとおりひめ)は台与(豊) 雄略天皇は台与(豊)!
孝昭天皇は台与:日原は目原 飯豊王女は台与(トヨ)なのか?
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(2)大原足尼命はトヨ 大宜都比売(おおげつひめ)は台与
倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)はトヨ?? 神八耳命は台与(豊)
饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作 台与は饒速日②~交野市倉治
小楯姫は台与:小楯は枚方 四道将軍:日子坐王は台与!
少彦名大神(スクナヒコ)は台与! 大彦は台与!??
ウマシマジは台与! 阿蘇都媛は台与
沼河比売は小楯姫=台与 タケミカヅチは台与!!
ヤマトタケルは台与 瓊瓊杵尊:ニニギは台与
継体天皇はトヨ(台与)??! 継体天皇は台与2~大々杼郷:楯原神社
継体天皇は台与3~田井(寝屋川市) 英彦山と台与
山部赤人は台与! 八幡神は台与!!
とよ(乎止与命・台与・臺與) 台与の物語