少童命(わたつみ)は台与
- tootake
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第845話
「わたつみ」は、ワタツミ・ワダツミ(海神・綿津見)とは、海の神(海神)です。航海安全や漁業繁栄の神徳を持つとされています。
古事記によると、伊邪那岐命が黄泉国から戻った後に禊を行った際、水底で洗ったときに底津少童命が生まれたとされています。海底・海中・水面にそれぞれ生まれた三柱の綿津見神「底津綿津見神(底津少童命)」「中津綿津見神(中津少童命)」「上津綿津見神(表津少童命)」が誕生し、合わせて綿津見三神と呼ばれます
同時に、海の神として住吉三神(底筒男命、中筒男命、上筒男命)も生まれ、底津少童命は海人族、特に阿曇氏の祖神として信仰されてきました。阿曇連はこの神を祖として祭祀し、志賀海神社(福岡県福岡市志賀島)などに伝承されています。
また古事記には、綿津見神三神の子の宇都志日金拆命(穂高見命)が安曇連の祖神であると記されています。現在も末裔が宮司を務める志賀海神社は、安曇氏伝承の地です。また、穂高見命は穂高の峯に降臨したとの伝説があり、信濃にも安曇氏が進出していることは、第834話:穂高・佐久・上高地:地名の由来で書きました。
・第361話:宇都志国玉神と宇都志日金拆命で宇都志日金拆命は、スサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)としました。
・第602話:宗像三女神と三筒男は、で住吉三神(底筒男命、中筒男命、上筒男命)はウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)としています。
※綿津見三神も宗像三女神と同様に、元々は一人であった神(人物)を三人にすることによって、より尊厳を持たせるようにしているのです。
・志賀海神社は第413話:藤森神社と志賀海神社 第364話:君が代(1)~志賀海神社でやはり、ウツシコオとの関連を書いています。
第703話:花窟神社(はなのいわやじんじゃ)を考えるで書いた花窟神社では、縄掛け神事が行われます。この神事は、特別な田で作られたもち米の藁縄7本を束ねた長さおよそ170メートルの大綱に、季節の花を結びつけた3つの縄幡および扇を吊して、磐座の頂上から七里御浜の海岸へと大綱が引かれ、境内の南隅にある柱の先端へと引き渡されます。
大綱として束ねられる7本の細い藁縄は、伊弉冉尊の子で自然神である級長戸辺命(しなとべのみこと、風の神)、少童命(わたつみのみこと、海の神)、句句迺馳(くくのち、木の神)*、草野姫(かやのひめ、草の神)、軻遇突智尊(火の神)、埴安神(はにやすのかみ、土の神)、罔象女(みつなのめ、水の神)を意味するそうです。
・級長戸辺命(風の神)、少童命(海の神)、句句迺馳(木の神)、草野姫(草の神)、軻遇突智尊(火の神)、埴安神(土の神)、罔象女(水の神)はすべて台与です。
・級長戸辺命(風の神)~第695話:ヤマトタケルの足跡を訪ねて(5)~島穴神社
・罔象女(水の神)~第616話:鉱物資源と邪馬台国14~弥都波能売神(みずはのめ)
ということは、少童命も台与ということになります。そして前回:台与の生誕の地は?では、ウガヤフキアエズも台与としました。
古事記では、天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(あまつひこ ひこ なぎさたけ うがやふきあえず の みこと) 、日本書紀では、 彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊、古語拾遺では彦瀲尊(ひこなぎさ の みこと)、先代旧事本紀では彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ひこ なぎさたけ うがやふきあえず の みこと)と表記されます。
・波瀲(なぎさ)は名草です。名草の由来について紀伊続風土記(1839年完成)に「ある説では渚の意味なり」と記されています。
・なぎさ=渚は、和歌山県和歌山市(名草:なくさ)のことです。そして私が邪馬台国とする大阪府枚方市にも渚(なぎさ)という地名があります。
・トヨタマヒメが草(かや)からウガヤフキアエズの名付けたとされることから、草で名づける:名草という地名になったのです。~草野姫(かやのひめ、草の神)
「わたつみ」は、少童命と表記されます。なぜ海の神が少童なのでしょう。このブログでは
少童といえば、13歳で邪馬台国の大王に即位した台与です。つまりワタツミは台与ということす。
*句句迺馳(くくのち、木の神)については、次回で説明する予定です。
これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。
※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>




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