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巨樹と台与:蒲生八幡神社と山宮神社

tootake
5月25日
読了時間: 6分

更新日:5月25日

第1058話


蒲生八幡神社(かもうはちまんじんじゃ)は鹿児島県姶良市蒲生町上久徳にあります。旧名は「正八幡若宮八幡宮」。応神天皇、仲哀天皇、神功皇后の八幡三神を祀っています。

摂社・末社

四所宮(仁徳天皇・宇治皇子・ウレ姫・クレ姫)

武内神社(武内宿禰)、天社(天神七代)、國社(地神五代)

早風社(大人隼人)


この神社には、日本一の巨樹である「蒲生のクス」があります。

保安4年(1123年)に蒲生院の領主であった蒲生上総介舜清(かもうかずさのすけちかきよ)が、豊前国宇佐八幡宮を歓請して、この地に正八幡若宮(蒲生八幡神社)を建立した。その時すでに「蒲生のクス」は神木として祀られていたといいます。伝説では、和気清麻呂(わけきよまろ)が宇佐八幡の信託を奉上(ほうじょう)し、大隅に流された時に蒲生を訪れて、手にした杖を大地に刺したところ、それが根付いて大きく成長したものが「蒲生のクス」だとも言われています。


巨樹=神樹については、中国人研究家の徐朝龍氏は、長江上流の中国四川省の三星堆遺跡から出土した樹木状の巨大な青銅器(神樹)こそ、山海経に見える「扶桑*」を象ったものであるとしています。神樹は太陽が宿る樹であり、これは太陽信仰の証しとされる。三星堆遺跡の文明を担ったとみられるのが古代の羌族(あるいはその同族の族)であり、わが国の天孫族もこの系統を引くものであったとする説があります。


蜀・三星堆の初代王といわれるのが「蚕叢」であるが、養蚕を発明し「民に蚕桑を教えた」ことから「蚕の神」として尊ばれれています。このブログでも、、第499話:木嶋坐天照御魂神社と日神の託宣で書きましたが、この木島坐天照御魂神社が蚕ノ社と呼ばれ、養蚕・織物に関わる信仰が伝えられています。秦氏が養蚕・機織りの技術をもたらしたとされることから、社名や由来が「蚕」に結びつけられています。

木島坐天照御魂神社の本殿の東側には蚕養神社(こかいじんじゃ、東本殿)が鎮座しています。

第1003話:天一位 大原神社:丹波と邪馬台国(2)で書いた丹波国桑田郡の大原社も蚕飼いするものの信仰する神社といい、これら神社は、当初鴨一族葛野県主が奉斎し、遷住してきた秦氏も蚕養神社を奉斎したものです。

*第1013話:扶桑国は投馬国(丹波・但馬)では、扶桑国は扶桑国は丹波国桑田郡のこととしました。


同じ鹿児島県の志布志市には、山宮神社があります。和銅2年(709年)創建と伝わるこの神社は、天智天皇を主祭神として祀り、古くから地元の人々の信仰を集めてきました。

この山宮神社にも、樹齢800〜1200年と伝えられる大クスがあります。その巨大な幹と枝ぶりは圧倒的で、天智天皇が自ら植えた御手植えのクスであるという伝承も残されています。この山宮神社は、田ノ浦山宮神社といわれ、祭神は、天智天皇、大友皇子、弥都波能賣命(いとはひめのみこと)です。弥都波能賣命(いとはひめのみこと)は弥都波能売神(みづはのめのかみ)のことで台与です。~第616話:鉱物資源と邪馬台国14~弥都波能売神(みずはのめ)


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蒲生八幡神社では仁徳天皇・宇治皇子が祀られています。

仁徳天皇=宇治皇子(菟道稚郎子:うじのわきいらつこ)が台代であることは何度もこのブログで述べています。~第895話:宇治神社と宇治上神社


鹿児島県志布志市の山宮神社では、天智天皇が祀られていました。天智天皇が鹿児島県に来たという記録はありません。しかし、前回:開聞岳と枚聞神社では、大宮姫が天皇の妃になりましたと書いています。南九州には「大宮姫」伝説が広く分布しています。


大宮姫=天智天皇=台与ということでしょう。


第860話 :園城寺(三井寺)で書いた三井寺を建てたのは、大友皇子の子である大友与多王とされています。この三井寺のすぐ近くに皇子山公園、皇子丘公園があり、この皇子は大友皇子のこととされています。そしてこの皇子山公園のすぐ近くに天智天皇を祀る近江神宮があります。私は、大友皇子=天智天皇=台与だと思っています。

大友皇子は、第761話:天武天皇は台与(2):大友皇子と東漢氏で台与としています。


蒲生八幡神社では、武内宿祢も祀られています。武内宿祢はスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米です。

蒲生八幡神社の早風社で祀られている大人隼人とは、大人弥五郎とも言われ、武内宿禰だという説もあります。隼人=熊襲という説もあります。

大人弥五郎とは、第561話:ダイダラボッチ・大人弥五郎で書いたように、ウツシコオ・台与です。

第959話:熊襲のボスは、、、:熊襲惣領では、熊襲も隼人と同様に、古事記・日本書紀が作り上げた架空の概念なのです。と書きました


蒲生八幡神社と山宮神社には、巨樹があり神としてあがめられています。

このブログでは巨石(磐座:いわくら)=台与としてきました。巨樹も巨石(磐座)と同じように民衆の信仰の対象となるのです。


これまでの記事はこちらです。


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※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、タケミカズチとフツヌシ、神功皇后と武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>








 
 
 

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