川崎大師:大師は太子!?
- tootake
- 3 日前
- 読了時間: 5分
第900話
川崎大師:正式には、平間寺(へいけんじ)は、神奈川県川崎市川崎区にあります。1128年(大治3年)も建立です。尊賢(そんけん)を開山、平間兼乗(ひらまかねのり)を開基としています。
この川崎大師(平間寺)にも建立についての伝説があります。
平間兼乗は海中へ網を投げ入れたところ、弘法大師の木像を引き揚げた。兼乗は木像を洗い清め、厄年である数えの42歳であったため厄除けを願って、花を捧げて供養していた。やがて、近くに小堂を構えた。諸国遊化の途中に訪れた高野山の尊賢上人は、弘法大師の木像にまつわる話を聞き、兼乗と力をあわせ、1128年(大治3年)に平間寺を建立した。
そのため、寺院の本尊として弘法大師を祀る珍しい形となっています。
この創建伝説に似た話を、以前も書いたことがあります。
第747話:浅草と枚方:茨田堤:武蔵の人・強頸
では、「推古天皇36年、隅田川河口で漁をしていた兄弟漁師・桧前浜成命・桧前竹成命が網に魚ではなく人形の像(聖観世音像)を釣り上げます。兄弟がその不思議を「物知り」と呼ばれた土師真中知命に相談すると、聖観世音菩薩の仏体であると告げられます。
土師真中知命は剃髪して仏門に入り、自宅を寺院とし聖観世音像を安置。念仏と祈念によって大魚を得たとの伝承が浅草寺の創建となります。
また、有名な善光寺でも、本田善幸が浪速の堀江で阿弥陀如来像を拾っています。
~第683話:善光寺~本田善光は台与
私が、注目するのはこの川崎大師が東京湾に注ぎこんでいる多摩川の近くにあることです。
この多摩川の少し上流には、伊豆美神社があります。
第679話:伊豆美神社~東京都狛江市 がでは、下記のように書きました。
伊豆美は山代の地名です。山背国(京都府)相楽郡:水泉
・山城相楽郡は邪馬台国の重要拠点です。~彦狭知の物語(11)~椿井大塚山古墳
・伊豆美は多摩にもあった。多摩も山代も高麗の人々が住んでいたという伝承があり、高麗は、ウツシコオ、台与のことです。
・台与は、多摩川の河川工事を行って稲作を推進したと思われ、行基も多摩川の河川工事を行うためにこの地に寺を建てたのでしょう。
・台与(秦氏)も行基も土木工事の達人です。~hidemaru3375.com/post/台与と秦氏
・上記より狛江市(多摩)と山代は密接な関係があることがはっきりわかります。
・山城も多摩も邪馬台国の一部です。邪馬台国は日本全体なのです。狛造、狛首、狛宿禰などの地名は日本各地にあり、高麗(帰化族)がすんでいたところです。
この川崎大師の近くに、穴守稲荷神社(あなもりいなり)があります。東京都大田区羽田
祭神は豊受姫命で、東京を代表する稲荷神社で、羽田空港内に鎮座していたという立地から、航空安全や旅行安全、空港鎮護の神社としても知られています。また、京浜地域の稲荷信仰の拠点として「関東一流祠」「城南の伏見稲荷」とも称されています。
波浪が穿った穴の害より田畑を守り給ふ稲荷大神(堤防に空いた穴がもたらす災いから羽田の土地を守る稲荷の神さま)」という意味から「穴守稲荷神社」と称されています。
「穴守大神」「穴守稲荷大神」「あなもりさん」とも呼ばれています。
以上のことから、川崎大師があった場所も、台与一族の拠点地であったと思われます。
穴守が堤防工事のことだとすれば、台与が土木工事の達人という話にも通じます。
※弘法大師の大師は太子(=聖徳太子=台与)と通じます。
仏像を川や海から引き揚げたという伝説は、その地に台与が仏教を広めたことを意味しています。~第539話:仏教伝来異聞
関連項目:第731話:豊川稲荷:吒枳尼天(だきにてん)~愛知県豊川市
:第732話:鬼子母神は台与?~東京都豊島区
:第733話:神田明神は台与
<空海シリーズ>
第788話:空海と秦氏
第789話:空海(2):阿刀氏
第790話:空海(3):大輪田泊(土木工事)
第791話:空海(4):丹生一族
第792話:空海(5):天才
第793話:空海(6):虚空菩薩
これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれている13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。
※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>




補陀落渡海 - Wikipedia
女神山(めがみやま)_日本の地名の意外な由来(日本地名意外的由来)_走进日本_日语_学习网
雄略天皇16年(472年)条には諸国に桑を植え、秦人に養蚕・機織による調庸に携わらせたという記述がある[33]。
諸県君、髪長媛、大日下皇子 – 古代史俯瞰 by tokyoblog
<台与シリーズ>
hidemaru3375.com/post/天鈿売命(うずめ)は台与(豊)
https://www.hidemaru3375.com/post/かぐや姫は、台与(とよ)
https://www.hidemaru3375.com/post/磐井の乱と台与
https://www.hidemaru3375.com/post/豊受姫(豊受大神)は崇神天皇
https://www.hidemaru3375.com/post/火明命は饒速日なのか??
https://www.hidemaru3375.com/post/豊鍬入姫命-日光と男体山・女峰山
hidemaru3375.com/post/台与と秦氏 敏達天皇は台与(豊)
衣通姫(そとおりひめ)は台与(豊) 雄略天皇は台与(豊)!
孝昭天皇は台与:日原は目原 飯豊王女は台与(トヨ)なのか?
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(2)大原足尼命はトヨ 大宜都比売(おおげつひめ)は台与
倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)はトヨ?? 神八耳命は台与(豊)
饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作 台与は饒速日②~交野市倉治
小楯姫は台与:小楯は枚方 四道将軍:日子坐王は台与!
少彦名大神(スクナヒコ)は台与! 大彦は台与!??
ウマシマジは台与! 阿蘇都媛は台与
沼河比売は小楯姫=台与 タケミカヅチは台与!!
ヤマトタケルは台与 瓊瓊杵尊:ニニギは台与
継体天皇はトヨ(台与)??! 継体天皇は台与2~大々杼郷:楯原神社
継体天皇は台与3~田井(寝屋川市) 英彦山と台与
山部赤人は台与! 八幡神は台与!!
とよ(乎止与命・台与・臺與) 台与の物語