咲田姫伝説:杉原神社
- tootake
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第1076話
富山県に神通川という川があります。神といえば、台与とスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米であることをこのブログでは見てきました。
神通川の近くに杉原神社があります。
杉原神社は富山県富山市八尾町黒田(やつおまち くろだ)にあります。
主祭神として辟田彦命(さくたひこ)と辟田姫命(さきたひめ)を祀り、治水・農地開拓の神、夫婦円満、病気平癒、縁結び、などに御利益の高い神として今も広く信仰を集めています。また、木祖神(きのおやのかみ)も祀られています。
この辺りは、かつての婦負郡で歴史はかなり古く、弥生時代の遺跡や古墳時代中期の四隅突出型墳丘墓が発掘されています。杉原神社のある杉原野開拓伝承に、沼に落ちた女神を男神が背負って助けた(婦を負う)という史話があります。 万葉集には婦負(をむなゐ)と訓読しており、婦負郡の当時の状況を描いた、複数の歌が収録されています。
杉原彦と咲田姫(さいだひめ)の伝承が風土記としてこの地方に伝わっています。
「黒田の杉原彦=辟田彦(さいだひこ)が咲田姫(辟田姫)と共にこの地を開拓(治水工事)された際に、十日も雨が続き途中洪水が発生し、このとき杉原彦と咲田姫は三日三晩通して田畑を水から守ったが、ついに咲田姫は力尽きてその場にばったり倒れてしまった。杉原彦は疲れきったからだで咲田姫をひとりで背負い、田屋の郷に運んで看病したという。これにちなんで今でもこの地域一帯を婦負の里(ねいのさと)」と呼ぶとあります。
辟田彦命(さくたひこ)と辟田姫命(さくたひめ)の「さく」は、佐久(さく)が開(さく)であるならば、曇氏、安曇犬養氏、海犬養氏の祖とされる宇都志日金拆命の拆(さく)と通じます。~第686話:新海三社神社~佐久市
また、第684話:諏訪大社と金刺氏で書いた金刺氏の刺(さく)に通じます。宇都志日金拆命はスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)であるとしています。
杉原神社の社伝によれば、「十代崇神天皇即位十年に大彦命が勅命を受けてこの地にとどまり耕作の道を教え給うたとき、この地に疫病が流行*し、民死するもの多かった。命大いにこれを憂い給ひ、巨大なる杉樹を神と崇め、種々供御を為し尊崇されたところ悪疫止んだので、住民喜び、その後この樹下に祠を建て神像を刻んで祀り、「辟田(さいだ)の社」と称した。のち、聖武天皇天平二年(七三〇年)三月一日、この社を越ノ国社と勅定し給ひ、神名を「木祖神(久々能智神:くのちち)」と下し給うた。」とあります。
*疫病が流行したのは、摂津(大阪府茨木市周辺)です。
現在黒田の杉原神社の主祭神として祀られている「杉原神」はこの杉原彦命(辟田彦命・咲田姫命)と、木祖神、久々能智神(くくのち)とが融合したかたちになっています。
第703話:花窟神社(はなのいわやじんじゃ)を考えるでは、「くくのち」について次のように書きました。
句句迺馳(くくのち)は木の神です。句句迺馳は、延喜式祝詞の大殿祭に見える屋船久久遅命(是木霊也)=木霊屋船神と同神と思われます。木霊屋船神は、紀伊忌部は木材の管理や建造物の造営などに携わっていたと見られ、忌部氏の祖と共に彼らの職掌に関わりの深い木の神を祀ったものです。木は家屋はもちろん船の材料としても非常に重宝されたことからその神は屋船久久遅命と呼ばれ、その内の船材としての側面が強調され、その守護神として三(御)船神社が祀られていいます。このことは、素戔嗚が五十猛(イタケル)に木を植えて舟をたくさん作れと言ったことと合致します。つまり木霊屋船神は、五十猛=台与です。
~第517話:五十猛のグロは大歳=台与(豊)
第849話:hidemaru3375.com/post/くくのち(句句迺)は、、、:三船神社では、句句迺馳(くくのち、木の神)は、木霊屋船神=彦狭知命であるとしました。彦狭知命=ウツシコオで台与の父ですので、句句迺馳(くくのち)は台与・ウツシコオのコンビということです。
また、辟田姫(さくたひめ)は、神武東征でも登場しています。辟田姫は、東征の終盤で、大和入り後の「平定 → 開拓」として位置づけられています。
辟田姫の役割は「田を開く」「国土を整える」ことであり、戦闘段階(兄宇迦斯・八十梟帥・長髄彦との戦い)ではなく、平定後の国造り段階 に属します。
荒れた土地を治め、田を切り拓き、水を引き、民を安んじるという「建国の実務」が描かれます。 辟田姫はまさにこの 開拓・灌漑・農政 の象徴神 として登場しています-
神武天皇は台与です。~第566話:神武天皇と橿原神宮
辟田姫の神名「辟(さく/へき)=開く・切り開く」は、田地造成・灌漑・開拓を意味しこれまで、このブログで台与について書いてきたことと一致します。最近ではダラボッチが、日本各地の河川の改修工事を行ったことを書きました。ダイダラボッチは呉の勝=秦氏=ウツシコオ(内色許男命)=スサノオ・台与の一族です。
第561話:ダイダラボッチ・大人弥五郎
第1069話:ダイダラボッチ(2):太平山~秋田県
第1070話:ダイダラボッチ(3):稲村神社
第1071話:ダイダラボッチ(4):弥五郎どん
第1072話:ダイダラボッチ(5):久慈
第1073話:ダイダラボッチ(6)~三湖伝説:八郎太郎
いつもならここで終わるのですが、今回はまだ続きがあるのです。冒頭で書いた神通川の上流には、神岡鉱山があるのです。
古代の銅を研究してきた久野雄一郎氏は、三角縁神獣鏡に用いられた鉛の中に岐阜県の神岡鉱山の鉛が使われていることを指摘しておられます。
次回では、神岡鉱山と台与の関係について述べる予定です。
これまでの記事はこちらです。
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※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、タケミカズチとフツヌシ、神功皇后と武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。
※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>




<台与シリーズ>
hidemaru3375.com/post/天鈿売命(うずめ)は台与(豊)
https://www.hidemaru3375.com/post/かぐや姫は、台与(とよ)
https://www.hidemaru3375.com/post/磐井の乱と台与
https://www.hidemaru3375.com/post/豊受姫(豊受大神)は崇神天皇
https://www.hidemaru3375.com/post/火明命は饒速日なのか??
https://www.hidemaru3375.com/post/豊鍬入姫命-日光と男体山・女峰山
hidemaru3375.com/post/台与と秦氏 敏達天皇は台与(豊)
衣通姫(そとおりひめ)は台与(豊) 雄略天皇は台与(豊)!
孝昭天皇は台与:日原は目原 飯豊王女は台与(トヨ)なのか?
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(2)大原足尼命はトヨ 大宜都比売(おおげつひめ)は台与
倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)はトヨ?? 神八耳命は台与(豊)
饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作 台与は饒速日②~交野市倉治
小楯姫は台与:小楯は枚方 四道将軍:日子坐王は台与!
少彦名大神(スクナヒコ)は台与! 大彦は台与!??
ウマシマジは台与! 阿蘇都媛は台与
沼河比売は小楯姫=台与 タケミカヅチは台与!!
ヤマトタケルは台与 瓊瓊杵尊:ニニギは台与
継体天皇はトヨ(台与)??! 継体天皇は台与2~大々杼郷:楯原神社
継体天皇は台与3~田井(寝屋川市) 英彦山と台与