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卑弥呼と銅鐸(4):物部氏・伊福部氏

  • tootake
  • 9月13日
  • 読了時間: 5分

更新日:9月13日

第804話~銅鐸文化の終焉と物部氏の台頭


物部氏と銅鐸の関係を論じた文献は少数ながら存在し、特に民俗学・考古学・神道史の分野で注目されています。


谷川健一氏の仮説と銅鐸の祭祀的役割

・NHKの歴史番組「消えた銅鐸王国」で、民俗学者・谷川健一氏が「銅鐸は物部氏の祭礼の神器だったのではないか」とする仮説を提示。

・石上神宮や秋田の物部神社など、物部氏系の神社と銅鐸の分布が重なる点に注目。

葉賀七三男氏の技術集団説

・物部氏が金属技術に長けた集団であり、銅鐸や銅鏡の製作に関与していた可能性を指摘。


銅鐸が祭祀具として使われなくなった3世紀頃は、まさに物部氏が軍事・祭祀の両面で台頭し始める時期と重なります。銅鐸の埋納は、祭祀体系の転換や政治的勢力の交代を象徴する行為だった可能性があり、物部氏とともに銅鐸から「武器的祭祀具」への移行が起こったとも考えられます。


銅鐸祭祀が衰退する3世紀頃、饒速日命を祖とする物部氏が祭祀・軍事の両面で台頭。銅鐸文化圏の終焉は、饒速日命系の神々による新たな祭祀体系への移行を示唆します。


物部氏は、日本書紀、古事記において、兵器・鉄器の製造と管理を担う氏族として登場します。特に「石上神宮」(奈良県天理市)は、物部氏の氏神を祀る神社であり、神宝(鉄製武器)を保管する聖域として機能していました。


製鉄は単なる技術ではなく、神聖な儀礼と結びついた行為でした。

第770話:斬蛇の剣と草薙剣~備前の尾張で書いたように、伊福部氏(いふくべ)は、製鉄に携わっている一族です。


伊福部氏が祀る神々(火明命・饒速日命など)は、火・光・剣・風といった製鉄に関係する象徴を持つ神々であり、祭祀と技術の融合が見られます。

伊福部氏は『新撰姓氏録』などで物部氏と同族とされることがあり、また、伊福部氏と尾張氏とも関係の深い一族です。ともに、火明命・饒速日命を祖としています。 |


 物部氏は、饒速日命(ニギハヤヒ)を祖とする神道系の祭祀氏族であり、銅鐸・銅剣などの青銅器祭祀に深く関与していたと考えられています。

勝部神社(滋賀県守山市)などでは、物部布津神(ふつのかみ)を祀っており、祖神として天火明命や宇麻志間知命(うましまじ)が登場します。


海部氏勘注系図に 彦火明命は「亦名、宇麻志眞治命(うましまじ)、亦名、饒速日命」

と書いてあります。~佐藤陽太著「かぐや姫と浦島太郎の血脈」p255 海部氏勘注系図の解説2 饒速日命の世代 – 古代史考証 神武天皇と卑弥呼の時代 著者 佐藤洋太


火明命=饒速日命=台与です。~https://www.hidemaru3375.com/post/火明命は饒速日


銅鐸は、弥生期の祭祀具。農耕儀礼や境界祭祀に用いられ、共同体の秩序維持に関与していたと思われています。渦巻き紋や太陽紋などにより、天と地のエネルギー循環を象徴。村の境界で鳴らされる「結界の神器」。銅鐸文様は、渦巻き紋、太陽紋などが物部氏の十種神宝の象徴性と重なります。台与によるヤマト政権による祭祀体系の転換により、銅鐸文化が「埋殺」されたと思われます。


祭祀体系の転換は、卑弥呼の死と台与の邪馬台国(ヤマト)大王即位と関係があるとしか思えません。


ちなみに物部氏の祖はヒコユキとされています。ヒコユキとは、このブログの主人公である



<銅鐸シリーズ>



これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>



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2件のコメント

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9月12日
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