第563話 #天穂日命 #建比良鳥命 #台与(豊) #邪馬台国
古事記によれば、出雲国造の祖は天照大御神の子神・天穂日命(アメノホヒ)と、その子神・建比良鳥命(タケヒラトリ)だとされています。アメノホヒは、農耕神、稲穂の神、養蚕の神、木綿の神、産業の神です。
天照大御神(アマテラス)の子とされ、葦原中国平定のために出雲の大国主神の元に遣わされますが、大国主神を説得するうちに心服して地上(出雲)に住み着き、3年間高天原に戻りませんでした。大国主神の子である事代主神や建御名方神を平伏させ、日本国の支配に成功すると、アメノホヒの子の建比良鳥命は出雲国造及び土師氏らの祖神となったとされています。
記紀によれば、天穂日命は使命を帯びて出雲へ向かったが3年間高天原に戻らなかったため、次の使節が次々と派遣されて、天穂日命の功績はなかったように記されていますが、国譲りの後、大国主を祀る出雲大社の祭祀を司るという功績があるとされています。出雲大社の国造家は天穂日命の子孫と伝えられています。
任務を遂行しなかったというのは記紀の記述ですが、出雲国造神賀詞では、アメノホヒは地上の悪神を鎮めるために地上に遣わされ、地上の様子を天照大神に報告し、子のアメノヒナドリおよび剣の神経津主神とともに地上を平定したした英雄として讃えられています。
前回でも述べましたが、アメノホヒは台与でその子とされる建比良鳥命はウツシコオ(内色許男命)です。~天御鳥命(武夷鳥命)は火の鳥
*台与は、建比良鳥命:スサノオ=ウツシコオ(内色許男命)の子か孫です。卑弥呼(天照大御神)の実子であるかどうかは不明。
・アメノホヒ(天之菩卑能命)の後裔氏族として野見宿禰、その子孫として土師氏があり、土師氏から大枝氏(後の大江氏)へと続きます。
・野見宿禰はウツシコオ(内色許男命)です。~野見宿禰と当麻蹴速は同一人物 野見宿禰は大阪府高槻出身
・大江は大枝=太子=聖徳太子=台与です。~大枝神社:“たいし”は太子=台与
・大江氏からは中古三十六歌仙と呼ばれる和歌の名人三十六撰に、大江千里、大江匡衡、大江嘉言、女性では和泉式部、赤染衛門(匡衡の妻)らがいます。衣通姫(そとおりひめ)は台与(豊)です。衣通姫は和歌の名人です。
・アメノホヒは農耕神、稲穂の神、養蚕の神、木綿の神、産業の神などとして信仰されており、旧出雲国内だけでなく日本各地で祀られています。台与(=秦氏)は稲穂の神、養蚕の神です。~hidemaru3375.com/post/台与と秦氏 敏達天皇は台与(豊) 饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作
これまでのこのブログで、ウツシコオと台与(豊)について検証してきましたが、二人が出雲に行った形跡はありません。邪馬台国時代の出雲といえば、現在の京都市愛宕郡(おたぎぐん)あたりです。現在でも出雲路という地名が残っています。~第19話:投馬国は但馬、但馬は丹波、丹波は出雲
大物主・事代主・一言主、そして櫛名田比売(クシナダ姫)といった神は出雲大社を創建する際に、考え出されたのです。和銅元年(708年)に藤原不比等: 正三位大納言に昇進しています。出雲大社はこの頃に建てられたはずです。出雲神話だけでなく、実際に出雲大社を作ってしまうところが藤原不比等のすごさです。ちなみにこの時に作った神社は杵築神社です。この時すでに亀岡に出雲大神宮があったためでしょう。杵築大社を出雲大社としての明治政府です。
・滋賀県蒲生郡日野町に馬見岡綿向神社があります。祭神は天穂日命(アメノホヒ)と、建比良鳥命(天夷鳥命:アメノヒナドリノミコト)です。馬見とはウマシマジのことです。
ウマシは「麗しい」という意味ですので、実名部分は「マチ」「マテ」「マミ」です。
先代旧事本紀には、ウマシマジの誕生譚が書かれており、饒速日は生まれてくる子が「男であれば、味間見命(ウマシ・マミ)、もし女であれば色麻弥命(シコ・マミ)と名付けなさい」と言ったそうです。男女どちらにしても名前はマミ(間見→馬見)です。
ウマシマジは台与(豊)です。~ ウマシマジは台与!
アメノホヒが馬見岡綿向神社の祭神であるということは、アメノホヒ=ウマシマジ=台与ということになります。
関連項目:出雲大社のプラセボ効果
※これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけ!??としています。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)、卑弥呼、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>

山崎橋 (山城国) - Wikipedia 宇治橋 瀬田の唐橋
和風諡号は2つあり、『続日本紀』の大宝3年(703年)12月17日の火葬の際の「大倭根子天之廣野日女尊」(おほやまとねこあめのひろのひめのみこと)と、『日本書紀』巻30の冒頭に記された「高天原廣野姫天皇」(たかまのはらひろのひめのすめらみこと)がある(なお『日本書紀』において「高天原」が記述されるのは巻1・冒頭の第4の一書とこの箇所のみである)。確実ではないが伊勢神宮に参拝し「日本」国号を定めた可能性が高い天皇である(後述)[注釈 1]。漢風諡号「持統天皇」は代々の天皇とともに淡海三船により、熟語の「継体持統」から持統と名付けられたという[要出典]。
学者たちは高が接頭語ということを知らないのでしょうか
高倉下
高御座 タカミクラ
<台与シリーズ>
hidemaru3375.com/post/天鈿売命(うずめ)は台与(豊)
https://www.hidemaru3375.com/post/かぐや姫は、台与(とよ)
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衣通姫(そとおりひめ)は台与(豊) 雄略天皇は台与(豊)!
孝昭天皇は台与:日原は目原 飯豊王女は台与(トヨ)なのか?
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(2)大原足尼命はトヨ 大宜都比売(おおげつひめ)は台与
倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)はトヨ??
饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作 台与は饒速日②~交野市倉治
小楯姫は台与:小楯は枚方 四道将軍:日子坐王は台与!
少彦名大神(スクナヒコ)は台与! 大彦は台与!??
ウマシマジは台与! 阿蘇都媛は台与
沼河比売は小楯姫=台与 タケミカヅチは台与!!
ヤマトタケルは台与 瓊瓊杵尊:ニニギは台与
継体天皇はトヨ(台与)??! 継体天皇は台与2~大々杼郷:楯原神社
継体天皇は台与3~田井(寝屋川市) 英彦山と台与
山部赤人は台与! 八幡神は台与!!
とよ(乎止与命・台与・臺與) 台与の物語