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彦五瀬命の墓:大和国の四至

  • tootake
  • 8月9日
  • 読了時間: 6分

第769話


彦五瀬命は神武天皇の兄とされる人物です。彦五瀬命は弟たちとともに東征に従軍したが、浪速国の白肩津(あるいは孔舎衛坂)での長髄彦との交戦中に長髄彦の放った矢に当たって負傷し、紀ノ國(和歌山)の男之水門に着いた所で、傷が悪化し死んでしまいます。日本書紀によると紀国竈山で亡くなり、竈山に墓が築かれたといいます。ただし古事記では紀国男之水門で亡くなったとしています。日本書紀が竈山を彦五瀬命の墓とするのには理由があります。


持統天皇5年(691年)には有功の王の墓には3戸の守衛戸を設けるとする詔が見えることから、この頃に日本書紀・古事記の編纂と並行して、帝紀や旧辞に基づいた墓の指定の動きがあったと推測する説があります。またその際には、日本武尊墓(伊勢)・彦五瀬命墓(紀伊)・五十瓊敷入彦命墓(和泉)・菟道稚郎子墓(山城)をして大和国の四至を形成する意図があったとする説もあります。


大和国の四至(しし)とは、古代に国(郡や国)の領域を象徴的に示す「四方の境界点」を指します。ここで挙げられた四つの墓は、大和国(現在の奈良県域)を東西南北に結ぶポイントとして意図的に指定されたと考えられています。


<指定された四つの墓と方角>

・東(あずま) 日本武尊墓(伊勢国/現三重県伊勢市)

・南(みなみ) 彦五瀬命墓(紀伊国/現和歌山県)

・西(にし)  五十瓊敷入彦命墓(和泉国/現大阪府南部)

・北(きた)  菟道稚郎子墓(山城国/現京都府南部)


これらを結ぶことで、古代の律令国家は大和国の領域を象徴的に可視化し、「中央政権の礎」とする意図があったと推測されています。


以下の文はAIによって書かれたものです。

<四至設置の意味と背景>

・領域統合の象徴

古事記・日本書紀の編纂(712~720年)と並行し、帝紀・旧辞に基づく主要墓所の指定は、国家の歴史的正統性を裏付けるための政策的行動とみられます。

各墓は神話・伝承上の英雄や皇族に帰属し、その四方配置により「都(畿内)を四方から守護する」のイメージを強調します。

・中央集権化の一助

築地の年号と同時代における墓の指定は、地方豪族や地方文化の吸収・再編を通じた国家統治体制の整備を意図したものと考えられます。


<四至墓の所在と伝承内容>

・東の墓:日本武尊墓(伊勢国)~ 三重県伊勢市内、伊勢神宮の外宮(豊受大神宮)にほど近い丘陵上に築かれた前方後円墳

・南の墓:彦五瀬命墓(紀伊国)~和歌山県和歌山市近郊、紀伊水道を見下ろす丘陵にある陵にある古墳群の一つ

・西の墓:五十瓊敷入彦命墓(和泉国)~大阪府泉佐野市および岸和田市の市境にある丘陵地帯。いくつかの円墳が並ぶ古墳群の一角

・北の墓:菟道稚郎子墓(山城国)~京都府宇治市菟道(うどう)地区、宇治川西岸の台地上。円墳とされる石室


四至墓はいずれも神話や皇室伝承と結びつき、畿内を四方から守護し統合する象徴的な役割を担いました。各地の古墳祭祀や地域神事を手がかりに、さらに詳細な発掘調査報告や伝承記録をあたることで、当時の国家統治意図をより深く読み解くことが可能です。


大和国の四至として日本武尊墓・彦五瀬命墓・五十瓊敷入彦命墓・菟道稚郎子墓を四方に配置した背景には、以下のような国家統治上の意図があったと考えられています。


四至(しし)とは古代における国や地域の東西南北の境界点を示す概念であり、墾田や公領の範囲を明示するために用いられました。四至墓の設置は、単なる土地の境界設定を超え、畿内支配の象徴としての役割を果たしました。これにより、都(大和)を四方から祖先英霊の守護下に置き、領域統合のイメージを強調したのです。


日本書紀、古事記の編纂(創作)と並行し、帝紀・旧辞に基づく主要墓所を指定することで、神代から続く皇統の正当性を国家の基盤に据えました。英雄や皇族伝承をもつ4つの墓所を四至に位置づけることで、神話的世界観を現実の地理と結びつけ、天皇中心の国家観を地域社会へ浸透させようとしました。


地方豪族との関係調整と儀礼空間の統合

各地の首長層や豪族は、自らの祖霊を祀る古墳や神社を中心に勢力を保持していました。国が四至墓を勧請・指定する行為は、地域の伝承を国家祭祀の一部に取り込み、地方豪族を中央権力下に組み込む仕組みでもありました。

墓所を境界点に据えることで、国府や郡司の行政区画を神聖化し、律令国家としての統治システムに祭祀空間を結びつける効果を生み出しました。

これらを総合すると、四至墓の制定は、大和政権が地理的・神話的世界観を巧みに重ね合わせ、領域支配の正統性を強めるための宗教的・政治的演出といえます。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


・日本武尊は台与です。~第439話:ヤマトタケルは台与 

・五十瓊敷皇子は台与です。~第490話:日置氏と製鉄と台与(豊)~枚方市招堤

・菟道稚郎子は台与です。~ 第342話:聖徳太子は菟道稚郎子?!

・彦五瀬命も台与でしょう。「五」の付く人物は台与あることは、第517話:五十猛のグロは大歳=台与(豊)で述べています。


・五十鈴姫(ホトタタライスケ依姫)は台与(豊)です。

五十瓊敷皇子(印色入日子命)~日置氏と製鉄と台与(豊)~枚方市招堤

・五十狭芹彦命(いさぜりひこ‐の‐みこと)は日本書紀で、孝霊天皇の皇子。吉備津彦命

・五十迹手(いそとて:イタテ)

・イツツヒコ(五十彦:彦五十瀬)~倭人と韓人 イツツヒコ・イソタケル・イタテ


和歌山市では、初詣に三社へ参詣する「三社参り」の風習があり、日前神宮(國懸神宮)、伊太祁曽神社、竈山神社が三社となっています。また、竈山神社は、赤ちゃんの命名(名付け)でも有名です。


※これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>




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3件のコメント

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tootake
8月09日
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「斉明天皇と『狂心の渠』」を発表された白石恭子


645年6月、中大兄皇子は藤原鎌足と密かに結び、蘇我入鹿を飛鳥板蓋宮で襲撃・暗殺しました。この「乙巳の変」によって蘇我氏の専横的な権力は一気に崩れ、政権中枢を再編する道が開かれました。

乙巳の変直後、二人は「大化」の年号を立て、大化の改新と呼ばれる一連の改革を推し進めました。

  • 公地公民制の導入により土地・人民を天皇直属と定めた

  • 諸国を「国・郡」に再編し地方統治を強化した

  • 六官制をはじめとする官制を整備し、中央集権体制を確立した

乙巳の変と大化の改新は律令国家の基盤を築き、日本古代国家の骨格を形成する決定的な転換点となりました。

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tootake
8月09日
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tootake
8月08日
5つ星のうち5と評価されています。

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