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斬蛇の剣と草薙剣~備前の尾張

  • tootake
  • 8月10日
  • 読了時間: 6分

更新日:8月15日

第770話 #尾張氏 #天叢雲剣 #ヤマタノオロチ


尾張氏と岡山県に関する興味深い情報があります。特に注目すべきは、岡山市北区に鎮座する「尾針神社(おはりじんじゃ)」です。第722話:由加神社本宮・尾針神社~岡山県ですでに書いているのですが、祭神は天火明命(あめのほあかり)で、尾張氏の祖とされる神です。


この地は古く「伊福郷」と呼ばれ、伊福部連(尾張氏の一族)の居住地だったとされています。伊福部「いふくべ」とは火力を強めるために息を吹く、息吹(伊吹、製鉄の際の踏鞴(たたら))に携わっている一族です。火吹(ひふき)=火男(ひょっとこ)です。第317話:ひょっとこ:火男~天之御影命、ということは、元々は息長氏(おきながうじ)と同族といってもよいでしょう。息長(おきなが)氏の息長とは文字通り息が長いということです。「息」は、製鉄の工程で温度を上げるために製鉄炉の空気(息)を吹き込むということです。~第403話:伊福部氏と息長氏


日本書紀第三巻特殊伝(一書)の八岐大蛇退治譚の末尾に、須佐之男命が用いた剣の所在についてこう記されています。


「其(そ)の剣は、今 吉備の神戸(かんべ)の所に在(あ)り。」

「その剣はいま、吉備国の神戸と呼ばれる場所にある。」

「神戸部」(かんべべ)など神社に仕えた職掌集団(神職の家)を指す地名として多く見られます。日本書紀本文では「剣を奉じる神社周辺の集落」を示す固有地名として用いていると考えられます。


八岐大蛇退治(ヤマタノオロチ)で有名な剣は、天叢雲剣(草薙剣)ですが、「其(そ)の剣」剣は、スサノオがヤマタノオロチ(八岐大蛇)を退治した時に、大蛇の体内(尾)から見つかった剣です。スサノオがヤマタノオロチを退治した際に用いた剣は、「斬蛇の剣」とされています。


古事記では、スサノオがヤマタノオロチを斬る剣を「天羽々斬」と名付けています。

日本書紀の本文では剣の名は明示されませんが、一書(あるふみ)の中で「斬蛇剣」という名称が登場します。つまり、「天羽々斬」と「斬蛇剣」は同じ剣を異なる呼び名で記した可能性が高いと考えられます。


つまり、伊福部連(尾張氏の一族)が岡山にいて製鉄に関わっていたされることから、「天羽々斬」=「斬蛇剣」は岡山で造られたと思われます。


日本書紀:神武天皇記に「高尾張邑に土蜘蛛がいたので殺害し、葛城邑に改めた」と記されています。この高尾張邑は、奈良県葛城市に比定されており、尾張氏の祖先(天香語山命・天牟良雲命・天背男命など)が居住していたとされています。しかし、このブログでは葛城は大阪府交野市としてきました。~第430話:倭(やまと)は高槻市、葛城は交野市


しかし、どうやら葛城の高尾張邑は寝屋川市のようです。なぜならヤマタノオロチは淀川の事だからです。第412話:ヤマタノオロチは淀川~茨田堤2


第491話:森製鉄遺跡~交野市河内磐船では、次のように書いています。

寝屋川市讃良郡条里遺跡に鍛冶操業が行われています。寝屋川市讃良郡条里遺跡は、石の宝殿2~大阪府寝屋川市で書いた打上神社(高良神社)のあるあたりです。第412話:ヤマタノオロチは淀川~茨田堤2では淀川=ヤマタノオロチを退治(治水工事)し、スサノオは草薙剣を得たとされています。この草薙剣は、寝屋川市讃良郡条里遺跡で作られたのでしょう。


寝屋川市讃良郡が高尾張だとすれば、尾張について話が通じます。

淀川の反乱を防ぐ河川工事(茨田堤)に用いられて工具(鉄器)は、最初は岡山から来た伊福部氏が作ったものを使っていましたが、それでは足りないので、寝屋川市でも工具を作るようになりできた工具(鉄器)を草薙の剣とされるようにようになります


そして、大蛇の体内(尾)からでてきたとされる天叢雲剣(草薙剣)は現在は、愛知県の

熱田神宮にあります。


スサノオは、八岐大蛇由来の神剣を高天原のアマテラスに献上した。 続いて天孫降臨に際し他の神器と共にニニギノミコトに託され、地上に降りた。 崇神天皇の時代に天叢雲剣の形代が造られ、形代は宮中(天皇の側)に残り、本来の神剣は笠縫宮を経由して、伊勢神宮に移されたといいます。 景行天皇の時代、伊勢神宮の倭姫命(ヤマトヒメノミコト)は、東征に向かうヤマトタケルに神剣(天叢雲剣/草薙剣)を託します。ヤマトタケルの死後、天叢雲剣は神宮に戻ることなく宮簀媛(ミヤズヒメ:ヤマトタケル妻)と尾張氏が尾張国で祀り続けます。これが名古屋・熱田神宮の起源です。熱田神宮の御神体として本体の天叢雲剣が祀られています。


尾張とは現在は、尾張名古屋と言われるように愛知県の事とされていますが、尾張は元々は岡山県の地名だったと思われます。


寝屋川市には、熱田神社もあります。〒572-0843 大阪府寝屋川市太秦中町

太秦は言わずと知れた秦氏の拠点地です。~hidemaru3375.com/post/台与と秦氏


尾張氏については、西遷説(尾張氏が尾張国:愛知県から吉備へ移住した)と東遷説( 尾張氏の祖が吉備から尾張へ移動し、一部が岡山に残った )などがあります。


天火明命(あめのほあかり)で、尾張氏の祖とされる神です。


関連項目:第409話:尾張氏と草薙剣


※これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>




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4件のコメント

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tootake
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第409話:尾張氏と草薙剣

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tootake
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<台与シリーズ>

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