笠縫邑は深江:大阪市東成区
- tootake
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更新日:15 時間前
第1106話
先日(2026.7.11)テレビで深江(大阪市東成区)の菅笠保存会を紹介していました。
菅笠は、スゲ(菅)の葉で編んだ笠で頭にかぶるものです。
昔、深江は良質の菅草が豊かに自生する浪速の一島でしたが、第11代垂仁天皇の御代に、大和国笠縫邑(かさぬいむら)より、笠を縫うことを仕事とした一族が移住し、代々菅笠を作ったことから、笠縫島といわれるようになりました。笠縫島は、この深江付近と伝えられています。
「大阪はなれてはや玉造、笠を買うなら深江が名所、ヤットコセー、ヨーイナヤー」
伊勢音頭に歌われ、広く世に知られた名産深江の菅笠は、近世、伊勢参りが盛んになり、この道路が賑わいをみせて以来、参宮の旅人が皆ここで菅笠を道中用に買い求め、必ず携帯する習慣となりました。
「押し照るや 難波菅笠置きふるし 後(のち)は誰(た)か着ん 笠ならなくに」
「四極山(しはすやま) うち越しみれば笠縫の 島こぎかくる 棚なし小舟(おぶね)」
と万葉集にも詠まれています。
笠縫邑(かさぬいむら、かさぬいのむら)とは、崇神天皇6年に、宮中に奉祀していた天照大神を移し、豊鍬入姫命に託して祀らせた場所。同時に宮中を出された倭大国魂神は渟名城入媛命に託して、後に大和神社に祀ったとされています。
学会では、笠縫邑の比定地については、檜原神社(桜井市 三輪)、多神社(磯城郡 田原本町多)、笠縫神社(磯城郡田原本町秦荘、秦楽寺境内南東隅)、笠山荒神社(桜井市笠)、多神社摂社の姫皇子神社、志貴御県坐神社(桜井市金屋)、小夫天神社(桜井市小夫)、穴師坐兵主神社(桜井市穴師)、飛鳥坐神社(高市郡 明日香村飛鳥)、長谷山口坐神社(桜井市初瀬手力雄)、等々とされていますが、深江は良質の菅草が豊かに自生する地でしたので、深江が笠縫邑であることは間違いありません。深江以外の場所では菅笠を作ることができないからです。
深江稲荷神社は、垂仁天皇の御代、笠縫氏の祖がこの地に居を定め、下照姫命を奉祀したのが始まりとされています。境内には、笠縫部の祖を奉祀する笠縫神社がある。
笠縫氏の祖先が下照姫(したてるひめ)命を祭ったのが最初といいます。
下照姫は台与です。~第183話:阿加流比売神は下照姫 第390話:様々な卑弥呼(1)~下照姫、建葉槌命、、
歴代天皇御即位の祭に行われる大嘗祭(だいじょうさい)の時をはじめ、20年に一度の伊勢神宮式年遷宮に使用する菅笠はすべて深江で作り献納してきました。江戸時代には大阪玉造の二軒茶屋を起点として、伊勢音頭をうたいながら、集団で参宮したものですが、人々は道中安全を願って、深江で菅笠を買い求め賑やかに旅をしました。
菅(すげ)には浄めるはたらきがあると信じられていました。
倭国笠縫邑磯城の厳橿の本に「磯堅城の神籬」を立てたことが元伊勢の始まりとされます。元伊勢とは、伊勢神宮が現在地に鎮座する以前に天照大神が祀られた候補地や神社の総称です。「元伊勢」とは文字通り「元々の伊勢」を意味し、伊勢神宮が三重県伊勢市に定まる前に、天照大神が一時的に祀られた場所を指します。崇神天皇はその神威を畏れ、皇女・豊鋤入姫命に神霊を託しました。豊鋤入姫命は台与です。
つまり笠縫村は、元伊勢の始まりで人々は、笠縫村で作られた菅笠をかぶって、元伊勢の終着点である伊勢に行くわけです。伊勢が天照大神(このブログでは、卑弥呼)を祀る場所です。果たして笠縫は天照大神(卑弥呼)と関係があるのかは今後の課題です。
菅笠は日本中で、雨除け・日除けとして農作業を支えてきた歴史があります。
台与は農耕の神でもあります。~第483話:饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作
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<追記>
第645話:大神神社を探る(8)~檜原神社では笠縫邑は吹田市山田としました。その根拠は、第636話:大神木神社と卑弥呼~吹田市山田で、雄略天皇23年に天照大御神が雄略天皇の夢に現れ「自分一人では食事が安らかにできないので、丹波国の等由気大神(豊受大神)を近くに呼び寄せるように」との神勅がありましたと伝わっています。 神勅により丹波国の比沼の真名井に坐せる豊受大神を伊勢国高倉山渡会の山田ヶ原へ遷す事となったのですが、遷宮の途中、摂津国三島郷大神木に仮宮を建て1年余り鎮座しました。この間当地にあった巨木を仮宮の御神木とし、豊受大神が去った後は大神木神社として奉祀したと書いたあるからです。
天孫降臨以来、天照大御神は天皇のお側でお祀りされていましたが、崇神天皇の御代、御殿を共にすることに恐れ多いと思われた天皇は、天照大御神をふさわしい場所にお祀りされることを決意され、皇女豊鍬入姫命は大和の笠縫邑に神籬を建てて大御神をお祀りしました。
垂仁天皇紀に、倭姫命は天照大神を磯城の厳橿の本に祀ったとあり、厳橿は神霊の神木で、崇神朝に磯堅城の神籬を立てた。*崇神天皇、倭姫命は台与です。
神籬とは神霊の依代(よりしろ)となる施設のことです。四方に青竹や榊(さかき)を回らし、中央に幣ぬさを取り付けた榊を立てます。崇神紀6年条には、磯堅城の神籬を立てたとあります。。古語拾遺には「磯城の神籬」とあり、「磯城の厳橿の本」と「磯堅城の神籬」は同所とも考えらています。このブログでは、磯城は枚方市磯嶋としています。
~第688話:磯城(しき)は磯嶋(いそしま:枚方市)
吹田市山田も、枚方市磯嶋も旧地名では摂津です。大和国笠縫邑より、一族が移住しとあるのは、大和国=摂津とすれば、理解できます。~第5話:摂津の誕生
これまでの記事はこちらです。
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※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、タケミカズチとフツヌシ、神功皇后と武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。
※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>
東成区深江南三丁目に深江稲荷神社があり、大阪府史跡・深江菅笠ゆかりの地とあり、 摂津笠縫邑跡とされています。




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