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穂積氏・弟橘媛・多治速比売命

  • tootake
  • 3 日前
  • 読了時間: 5分

更新日:2 日前

第702話 #石切神社 #木積氏 #ウマシマジ


穂積氏は、大和国山辺郡穂積郷を本拠地とした氏族です。古事記では、宇麻志麻遅命(ウマシマジ:邇芸速日命の子)の後裔氏族とされています。孝元天皇の皇后となった内色許売命(ウツシコメ)・伊迦賀色許売命(イカガシコメ)、成務天皇の皇后となった弟財郎女(建忍山垂根の娘)は穂積臣の出身とされ、内色許売命は大毘古命(大彦)や若倭根子日子大毘々命(ワカヤマト・ネコ・ヒコ・オオヒビみこと:開化天皇)を、伊迦賀色許売命(イカガシコメ)は開化天皇と再婚して御真木入日子印恵命(ミマキイリヒコ・イニエ:崇神天皇)を生んだとされています。これらの登場人物はこのブログではすでにおなじみの人物です。~ウツシコオ(内色許男命) イカガシコオ(伊香色雄命)


宇麻志麻遅命(ウマシマジ)、邇芸速日命(ニギハヤヒ)、伊迦賀色許売命(イカガシコメ)、大毘古命(大彦)は、台与で内色許売命(ウツシコメ)は、卑弥呼です。

ウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王であることは、何度も述べてきました。


穂積氏は、大和国山辺郡穂積郷を本拠地としたとされていますが、穂積(ほづみ)は大阪府茨木市の地名です。〒 567-0044


日本武尊の妃とされる弟橘媛も穂積氏であるようです。というのは、前述した弟財郎女について、日本書紀には「弟財郎女に相当する人物は確認できないが、日本武尊の妃として東征に随行し、海に身を投げて暴風を鎮めた弟橘媛が穂積氏である忍山宿禰の娘とされていることから、弟財郎女は、弟橘媛(オトタチバナ姫)である」とされているからです。

古事記:成務条では、成務天皇(第13代)の后である弟財郎女(オトタカラノイラツメ)の父として「忍山垂根」の名で登場します。~第667話:元伊勢(14)忍山神社

弟財郎女の父親は冒頭で書いたように建忍山垂根でした。建忍山垂根=忍山垂根、弟財郎女=弟橘媛ということです。


成務天皇はヤマトタケルの兄弟です。ヤマトタケルの后が橘姫で、成務天皇の后が財郎女ですが、橘姫=財郎女=台与で成務天皇もヤマトタケル=台与ということです。

~第439話:ヤマトタケルは台与 

弟姫も、台与です。~第501話:乙姫・弟姫・弟彦・乙彦


大阪府南区宮山台(和泉国大鳥郡)に、多治速比売命神社があり、素戔嗚(スサノオ)とともに多治速比売命(たじはやひめ)が祀られています。社伝によれば、タジハヤヒメとはヤマトタケルの妃・橘姫命が転化したものといいます。和泉国式神私考に、「多治速名媛命 穂積押山宿禰之女* 日本武尊之妃神也」とあり、景行紀に穂積氏忍山宿禰の娘とある弟橘姫命(オトタチバナヒメ)を指すとあります。丹治比氏の本拠地は河内国丹比郡-羽曳野市辺りです。*押山宿禰の「押」は「忍」に同じです。~第494話:忍坂(押坂)は忍が丘(四条畷)


丹比郡(たぢひぐん)は松原市・大阪狭山市・堺市東区・堺市美原区の各全域と、大阪市東住吉区・大阪市平野区・八尾市・藤井寺市・羽曳野市・堺市北区の各一部に相当するといいますから、かなり広大な範囲です。大阪府松原市に、柴籬神社があり反正天皇の宮である丹比柴籬宮(たじひのしばかきのみや)の伝承地です。~第618話:大阪と邪馬台国:丹比(たじひ)

多治速比売命(たじはやひめ)の「多治」は、「丹比」のことで、多治速比売命=橘姫命=橘姫命=台与です。第584話:反正天皇(第18代)では反正天皇もやはり台与と書きました。


ところで宇麻志麻遅命(ウマシマジ:邇芸速日命の子)は、物部氏の祖ともされています。

第387話:各氏の祖はスサノオ=ウツシコオ!で書いたように、蘇我氏、葛城氏、吉備氏、物部氏、大伴氏、中臣氏などはすべてウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王を祖としているのです。宇麻志麻遅命(ウマシマジ)も邇芸速日命(ニギハヤヒ)も台与です。ウマシマジは台与!  饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作  台与は饒速日②~交野市倉治


ところで、我が家では、毎月、石切神社に月参りしていると書いたことがあるのですが、

第9話:石切神社~饒速日と長脛彦(hidemaru3375.com/post/神武天皇も関西出身!?

石切神社(石切剣箭神社の社家である木積氏は穂積氏の末裔とされています。

木積氏の邸宅は石切神社の前にあり、毎回、木積氏のお嬢様に直接会ってお祓いをしてもらっています。石切神社の上之社にある婦道神社では橘姫(オトタチバナ姫)も祀られています。


木積氏は、卑弥呼、素戔嗚、台与の子孫です。


※これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>

   







 
 
 

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tootake
3日前
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<台与シリーズ>

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