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石井源太夫・鳥羽宿禰は磐井=継体天皇

  • tootake
  • 2 時間前
  • 読了時間: 5分

第907話


熊本県小国市「わいた温泉郷」の一つ「岳の湯温泉」にほど近い、杉木立の中に熱田神宮水源というところがあります。「中尾熱田神宮」の境内下で、鳥居へ上る階段をはさんで左右に池があり、その2カ所から清らかな水が湧き出している。かつては農作物に恵みをもたらす「神の水」と云われる水源です。ここの水は温泉郷が近いためか、水は22~28度と極めて高いのが特徴で、この水が水田に引かれていることが熱田の語源と推測されています。


熱田とは、熱田神宮の熱田です。名古屋市熱田区の熱田です。


大分県日田市にある石井神社があり、この神社の由来は、日田神社蒐集録によると、石井源太夫(いしいげんだゆう)いう人物が、八幡宮に祈願して、剣を大空に向かって投げ、落ちたところを社地と定めたといいます。また、この剣を投げ社地を定めた石井源太夫は尾張国の蓬莱島に宮地が有り、そこに祭られる尾張国造小命であるとも有ります。尾張国(愛知県)の熱田神宮、境内摂社の上知我麻神社(かみちかまじんじゃ)は通称源太夫社と呼ばれ、祭神は、先代旧事本紀に尾張国造と記される乎止與命*です。


豊西記によれば石井源太夫は「摂州西宮蛭兒之後胤」といいます。摂州西宮蛭兒は、兵庫県西宮市の西宮神社の蛭児大神のことで、石井源太夫はその子孫ということです。

蛭児大神とは事代主神で、事代主は猿田彦=ウツシコオです。

第596話:彦狭知の物語8~猿田彦 第275話:事代主もウツシコオ 第298話:卑弥呼はヒルメ


豊西記に、「石井源太夫高明公」という人物の記述されており、豊後国志には「鳥羽の宿禰が日田国造となり刃連に住まい常に庶民に会す。以て耕の事を教え常に同居し、名づけて会所宮というのは是なり。日田で初めて水田が開かれたことから田始播=田島と呼ばれるようになった。」と記されています。「石井源太夫高明公」と「鳥羽の宿禰」は同一人物の可能性があるとされています。そして、この日田の国造の始祖である鳥羽宿禰は、磐井の別名と考えられているのです。鳥羽とは、秦氏の一大拠点である伏見のことです。鳥羽町は、京都市伏見区です。鳥羽伏見の戦いでも有名です。


そしてこの熊本県小国市「わいた温泉郷」の一つ「岳の湯温泉」に近い、中尾熱田神宮は、磐井が逃げた地であると伝わっています。磐井とは、継体天皇の御代に磐井の乱を起こした人物です。磐井の乱は、527年(継体天皇21年)に朝鮮半島南部へ出兵しようとした近江毛野率いる大和朝廷軍の進軍を筑紫君磐井が妨害し、翌528年(継体天皇22年)11月、物部麁鹿火によって鎮圧された反乱のことです。


磐井は、名を鳥羽宿禰(乎止與命)と名を変え、尾張氏の始祖*となり継体と縁組したとする説もあります。磐井の磐=石ですので、磐井=石井(源太夫)です。

*尾張氏の始祖は、火明命です。火明命は台与です。第420話~火明命は台与!~hidemaru3375.com/post/火明命は饒速日なのか??


*乎止與命~第370話:とよ(乎止与命・台与・臺與) では、「海部氏の系図などから検証するとオトヨ(乎止与命)は日本得魂命の子の建諸隅命の子供で天豊姫命とあり、魏志倭人伝に記される倭国の女王に擁立された「台与」であるとしています。そして継体天皇も台与です。


上記によると、石井源太夫=乎止與命で、石井源太夫=鳥羽宿禰=磐井ですから、台与は磐井であり継体天皇であるということになります。矛盾しているようにも見えますが、これは、古事記、日本書紀は、歴史書ではなく、藤原不比等が書いた創作物だからです。

第506話:野見宿禰と当麻蹴速は同一人物 で書いたように、対立すもの同士が実は同一人物でだったという例がいくつも見受けられます。


三国史記」「三国遺事」といった朝鮮半島側の資料には、磐井の乱の記事は全く存在せず、新羅が磐井に賄賂を送ったとする証拠は見当たりません。磐井の乱も創作された人物で

磐井も実在の人物ではありません。


===============================

<蛇足の追記>

なぜ、石井源太夫こと台与が、熊本県小国市「わいた温泉郷」に居たかというと、前回:伊予湯岡碑:聖徳太子の嘘(2)で書いたように、台与は温泉が好きだったからだと思います。




これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれている13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>



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tootake
2時間前

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