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活津日子根命は彦根(地名)

  • tootake
  • 2 時間前
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第717話 #誓約(ウケイ) #台与 #邪馬台国


活津彦根命(いくつひこねのみこと)は、天照大神(アマテラス)と須佐之男命(スサノオ)の誓約(ウケイ)によって生まれたとされています。誓約(ウケイ)とは、日本神話における占いの一種で、特定の結果が出るかどうかで吉凶を判断する儀式です。


スサノオが高天原に訪れた際、アマテラスは彼が国を奪いに来たのではないかと疑いました。スサノオは潔白を証明するために、アマテラスと誓約を交わし、それぞれの持ち物を使って神々を生み出しました。アマテラスはスサノオの剣を噛み砕き、宗像三女神(多紀理毘売命、市寸島比売命、多岐都比売命)を生みました。一方、スサノオはアマテラスの勾玉を噛み砕き、五男神(天之忍穂耳命、天之菩卑能命、天津日子根命、活津日子根命、熊野久須毘命)を生みました。


この結果をもって、アマテラスは「五男神は私の持ち物から生まれたので私の子、三女神はスサノオの持ち物から生まれたのでスサノオの子」と判断し、スサノオは自身の心が清らかであることを証明したとしました。この誓約の後、スサノオは高天原で乱暴を働き、アマテラスが天岩戸に隠れる事件へとつながっていきます。


神名帳考証による考証では、活津彦根命は、大阪市西成区玉手にある生根神社の祭神とされています。なお、生根神社の祭神は、現在は少彦名命(スクナヒコ)です。生國魂神社の祭神とも同神とされています。~イクツヒコネ - Wikipedia

生國魂神社の祭神は、生島大神、足島大神です。第696話:ヤマトタケルの足跡を訪ねて(6)~熊野皇大神社・生島足島神社では、「生島足島神(饒速日尊)は台与であることが分かります。」と書いています。ということは、活津彦根命=生島足島神=少彦名(スクナヒコ)=饒速日(ニギハヤヒ)=台与ということになります。


滋賀県の彦根という地名はこの神活津彦根命の名に起こるという説もあります。

ただし、天津彦根命は滋賀県にゆかりがある神とされており、野洲郡や蒲生郡などにその痕跡が見られます。野洲市の御上神社では天津彦根命が祭神の一柱として祀られています。


滋賀県の「彦根(ひこね)」という地名については、天津彦根命(あまつひこねのみこと)や活津彦根命(いくつひこねのみこと)という神々に由来するという説があります。

特に、彦根市の観光協会や市の資料によると、「彦根」という地名は、天照大神の御子であるこの二柱の神のうち、活津彦根命が彦根山に祀られたことに由来するとされています。つまり、天津彦根命ではなく、活津彦根命の方が地名の由来として語られることが多いようです。


第554話:邪馬台国近江説では、「天の安河:天の安の河原は古事記では、天照大御神と須佐之男命の誓約(うけい)の場所とされています。天の安の河を間に挟んで誓約をすると書かれています。守山市・栗東市から野洲川を渡った上流に甲賀市があります。」と書いています。


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根はスサノオ、日は天照大神という説があります。大阪府泉佐野市日根野にある日根神社の社伝によると神倭伊波礼毘古命(イワレヒコ=神武天皇)による東征の際、河内から大和に入る時に長髄彦と戦い敗れ、その際に野原が広がる当地まで退却したイワレヒコはここで「日」(天)の神である天照大御神と「根」(黄泉)の神である須佐之男命を祀った所、戦に勝って大和を平定した。それによりこの地を「日根野」と名付け、社名は日根神社とされたとされています。


根=スサノオということは、「ネコ」とは根の子、つまりスサノオの子と意味だとおもいます。台与は、ウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王の子です。

スサノオはアマテラスの勾玉を噛み砕き、五男神(天之忍穂耳命、天之菩卑能命、天津日子根命、活津日子根命を生んだのですから、活津日子根命もスサノオの子ですので話が合います。


※古代の天皇の名前にネコが付く天皇が何人かおられます。


第7代:孝霊天皇は、オホヤマト・ネコ・ヒコフトニ

第8代:孝元天皇は、 オホヤマト・ネコ・ヒコクニクル

第9代: 開化天皇は、ワカヤマト・ネコ・ヒコオホヒヒ


ヤマトネコ」が第10代崇神天皇以降の天皇には見られませんが、7世紀末 - 8世紀初頭の天皇である持統天皇(オホヤマトネコアメノヒロノヒメ)、文武天皇(ヤマトネコトヨオホチ)、元明天皇(ヤマトネコアマツミシロトヨクニナリヒメ)、元正天皇(ヤマトネコタカミズキヨタラシヒメ)とネコがついています。これら7世紀末 - 8世紀の天皇の和風諡号は、史書編纂時に与えられたものである可能性が高いと見られています。


活津彦根命を祀るとされる生根神社のある大阪市西成区玉手については、第568話:安寧天皇(第3代)~大阪市西成区玉出で書きました。


玉出島は住吉大社の北門付近の古称でもあり、生根神社は、住吉大社北側に鎮座しています。玉出の生根神社は住吉の生根神社を勧請したものです。そして玉出は、衣通姫とも関連のある地です。玉津島は古くは「玉出島」とも称されていました。玉手は磯城津彦玉手看天皇(しきつひこたまてみのすめらみこ)=安寧天皇のことです。

・衣通姫は台与です。~衣通姫(そとおりひめ)は台与(豊)

安寧天皇は台与です。~安寧天皇(第3代)~大阪市西成区玉出


天津日子根命、活津日子根命も台与のことでしょう。

孝霊天皇、孝元天皇、 開化天皇も台与だと思います。


関連項目:第366話狗奴国と女王国

    :第362話:伊勢遺跡~瀬田川が京治バイパス


※これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>






 
 
 

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