御殿山と邪馬台国
- tootake
- 10月8日
- 読了時間: 6分
更新日:10月13日
第829話
前回:久伊豆神社:関東武士は土蜘蛛!を書くにあたって、埼玉県の元荒川の近辺の地名あちこち見ていて埼玉県埼玉県越谷市には、御殿町(〒343-0811 )という地名があることに気が付きました。
「御殿」が付く地名は全国に多数存在し、特に静岡県御殿場市や大阪府枚方市御殿山町などが代表的です。
実は、第706話:中山寺・清荒神・売布神社~宝塚市という記事を書いたときにも、宝塚市に御殿山町:〒665-0841という地名を見つけていました。
御殿とは高貴な人が住む場所のことです。御殿の付く地名は、かつて台与が住んでいた場所ではないのでしょうか。
AIで「御殿」が付く地名の検索してもらいました。
・ 静岡県磐田市には〒438-0078 静岡県磐田市中泉2270−17御殿遺跡、中泉御殿跡があります。磐田市の「磐」、中泉の「泉」は台与のいた地です。
・ 新潟県上越市の御殿山町の付近には、関川が流れており、川の近くに諏訪神社があります。〒942-0085 新潟県上越市五智国、関川は、高田平野を潤し、上越市直江津で日本海に注ぐ。上越市高田の稲田橋以北は荒川とも呼ばれていました。荒川という名前から洪水が何度も起こったことが想像できます。台与は、各地の洪水を鎮めるための河川工事をおこなっています。前回:久伊豆神社:関東武士は土蜘蛛!でも、・荒川もヤマタノオロチであったということです。~第412話:ヤマタノオロチは淀川~茨田堤2と書きました。
・三重県松坂市の御殿山町には、宝塚の地名があり、宝塚古墳があります。
枚方市の御殿山は、私が邪馬台国とする地です。枚方市の御殿山については、秀吉の屋敷があったとも、秀吉の家臣であり枚方城城主であった本多内膳正政康の娘の「乙御前(おとごぜん)」を御茶屋御殿に住まわせたともいわれています。しかし、その御殿があった場所とされるのは、大阪府枚方市枚方上之町にある意賀美(おがみ)神社です。〒573-0037
この意賀美神社は、御牧入彦(ミマキイリヒコ=崇神天皇*)の母親はイカガシコメ(伊加賀色許売命)の屋敷があったとのことです。この場所からは、4世紀に造られた万年寺山古墳があり銅鏡8枚が出土しています。*ミマキイリヒコの「ミマキ」は「御牧」で「牧」は
京阪御殿山駅の次の牧野駅の「牧」です。そして崇神天皇は台与です。~第575話: 崇神天皇(第10代)
銅鏡8面はすべて中国鏡で、吾作銘四神四獣鏡(京都府椿井大塚山古墳出土の2面と同笵鏡である。また福岡県石塚山古墳出土の1面とも同笵)です。他にも、君宜官獣文帯三神三獣鏡(奈良県佐味田宝塚古墳出土の1面と同笵)、有銘四神四獣鏡、日月唐草文帯四神四獣鏡(静岡県経塚古墳出土鏡と同笵)、波文帯竜虎鏡、獣帯鏡、獣帯鏡、獣文帯神獣鏡
などきわめて重要なものばかりです。
各地のにある御殿の付き地名は、スサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)や台与と関係する地ではないでしょうか。
ちなみにこのブログでは、枚方市駅~御殿山駅周辺にいたとされる近辺に住んだとされる何人かの姫についても書いています。
・第422話:継体天皇はトヨ(台与)??!
衣通姫(そとおりひめ)は布遅波良己等布斯郎女の他に田宮中比彌(たみやのなかつひみ)という名前もあります。田宮(田居)中比弥の田宮(田居)は地名です。これらは彼女等の成長した土地ではなく、后妃となってから宮殿を営んだ地です。河内国交野郡田宮郷が該当すると考えられています。河内国交野郡田宮郷とは京阪電車枚方市駅前です。
・第447話:小楯姫は台与:小楯は枚方
天孫本紀にイカガ・シコオの妻が小楯姫であること記載されています。小楯(オタテ)は枚方市であるとしました。ということは枚方市の伊加賀のイカガ・シコオの妻は小楯姫=枚方姫であるということです。
・第527話:鶴の恩返しの舞台は交野(高天原)では、枚方市にある一乗寺所蔵の 天ノ川鈴見地蔵尊縁起 に「鶴女房」の話が残っています。この一乗寺は枚方市駅のそばで、意賀美(おがみ)神社にもちかいところにあります。
これらのことより、イカガシコメ=衣通姫=田宮中比彌=小楯姫=台与で御殿山に住んでいたことがわかります。
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<蛇足の追記>
御殿の付く有名な地名としては御殿場があります。静岡県の御殿場の近くには金時山があります。また、御殿場の近くには、金時神社( 静岡県駿東郡小山町中島)、公時神社 (きんときじんじゃ:神奈川県足柄下郡箱根町仙石原)があります。坂田公時(坂田金時)を祭神としていますが、本来の祭神はタケミナカタです。第137話:南方刀美神(タケミナカタ) ではタケミナカタ(南方刀美神)は賀茂建角身命(武角身命)としましたが、タケミナカタは台与です。
坂田金時こと金太郎も台与なのでしょうか。 次回に続く→金太郎と台与
これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。
※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>




海龍王寺は平城宮跡の東方、総国分尼寺として知られる法華寺の東北に隣接している。法華寺と海龍王寺のある一画は、かつては藤原不比等の邸宅であった[1]。養老4年(720年)の不比等の死後、邸宅は娘の光明皇后が相続して皇后宮となり、天平17年(745年)にはこれが宮寺(のちの法華寺)となった。
阿曇氏 - Wikipedia
大姥様と金太郎の伝説│信州金熊温泉-金太郎乃湯-「明日香荘」
仁科神明宮 - Wikipedia
宝亀年間(715年 – 716年)の頃、畿内一帯が大干ばつの時に開成皇子が来山して池を掘り、八大竜王を召請したことにより、背後に控える山を竜王山と呼ぶようになった。そして建てられたのが、境内にある八大竜王宮である。
神峯山寺 - Wikipedia
「神峯山寺秘密縁起」によれば、文武天皇元年(697年)に役小角が葛城山で修行をしていた時、北方の山から黄金の光が発せられて霊感を受け、この地にある九頭龍滝にやってきた。そこで水神・金比羅童子と出会うが、役小角は童子よりこの地に伽藍を建立するようにいわれる。そこで童子の霊木で4体の毘沙門天が刻まれ、役小角は伽藍を建立しこの毘沙門天を祀った。これが当寺の起源であるとされている[2]。他にも、創建の年は天武天皇12年(683年)との説もある[3]。
縁起によれば、この時に刻まれた残り3体の毘沙門天は天高く飛散し、1体はかつて神峯山寺奥之院「霊雲院」であった北山本山寺に、1体は京都市左京区の鞍馬寺に、1体は奈良県生駒郡平群町の朝護孫子寺に安置されたと伝わっている[2]。
<台与シリーズ>
hidemaru3375.com/post/天鈿売命(うずめ)は台与(豊)
https://www.hidemaru3375.com/post/かぐや姫は、台与(とよ)
https://www.hidemaru3375.com/post/磐井の乱と台与
https://www.hidemaru3375.com/post/豊受姫(豊受大神)は崇神天皇
https://www.hidemaru3375.com/post/火明命は饒速日なのか??
https://www.hidemaru3375.com/post/豊鍬入姫命-日光と男体山・女峰山
hidemaru3375.com/post/台与と秦氏 敏達天皇は台与(豊)
衣通姫(そとおりひめ)は台与(豊) 雄略天皇は台与(豊)!
孝昭天皇は台与:日原は目原 飯豊王女は台与(トヨ)なのか?
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(2)大原足尼命はトヨ 大宜都比売(おおげつひめ)は台与
倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)はトヨ?? 神八耳命は台与(豊)
饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作 台与は饒速日②~交野市倉治
小楯姫は台与:小楯は枚方 四道将軍:日子坐王は台与!
少彦名大神(スクナヒコ)は台与! 大彦は台与!??
ウマシマジは台与! 阿蘇都媛は台与
沼河比売は小楯姫=台与 タケミカヅチは台与!!
ヤマトタケルは台与 瓊瓊杵尊:ニニギは台与
継体天皇はトヨ(台与)??! 継体天皇は台与2~大々杼郷:楯原神社
継体天皇は台与3~田井(寝屋川市) 英彦山と台与
山部赤人は台与! 八幡神は台与!!
とよ(乎止与命・台与・臺與) 台与の物語