丸太町と材木:皮堂と六角堂
- tootake
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更新日:6 時間前
第1140話
今回、話題にしたいのは、革堂(行願寺)と六角堂の位置関係です。革堂)は京都市中京区寺町通竹屋町にありますが、そのすぐ北に丸太町通りが通っています。
この丸太町通りは、西へ行くと有名な観光地である嵐山に行き付きます。
嵐山は、保津川で亀岡と繋がっています。
丸太町という地名は、亀岡から保津川*を利用して運んだ木材(丸太)を京都市内に運ぶ道であったことに由来しているのです。藤原京*から平安京(京都市)に遷都し、数多くの建物を建設するにあたって、多くの木材(丸太)が必要だったのです。
六角堂は、聖徳太子が、寺建立のための用材を求め、小野妹子とともにこの地を訪れたとされています。六角堂は、革堂(行願寺)の南で直線距離で約1.2Kという近さです。
そして、革堂(行願寺)は鴨川に究めて近い場所にあります。当時の鴨川は大変な暴れ川であったようです。白河天皇は、自分の思い通りにならないものとして、以下の三つを挙げました。「鴨川の水」:京都を流れる鴨川は、度々氾濫を起こして町や田畑を荒らしました。白河天皇は、この天災を防ぐことができませんでした。「双六の賽」:双六は、サイコロを使って遊ぶゲームです。サイコロの出る目は確率によって決まりますから、白河天皇も自分の望む目を出すことができませんでした。「山法師」:比叡山にある延暦寺の僧兵のことです
この暴れ川の河川工事を行ったり、三条大橋、四条大橋、五条大橋などの建設にも木材(丸太)は必要でした。
六角堂は、聖徳太子*(=台与)が建てたとされています。台与は日本各地で暴れ川の河川改修を行ってきたことは、延々とこのブログで書いてきました。京都でも河川改修工事をおこなっています。~第826話:保津川と葛野大堰
これらのことにより、皮堂と六角堂は、平城京建設の拠点地であったと思われます。
平城京建設時には、台与が大和の創設説者であるという記憶があり、それが、皮堂と六角堂の伝説となったとおもわれます。
ちなみに、丸太町通りの西の終点には、大豊神社(おおとよじんじゃ:京都市左京区鹿ケ谷宮ノ前町)があります。祭神は、少彦名命、応神天皇です。少彦名命、応神天皇は台与です。~第822話:有馬温泉と台与 第581話:応神天皇(第15代)は台与
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”みほつ”は御穂積と書くべきでしょう。ミ・ホツ、ホツは穂積氏のホズ、保津川のホズです。大物主神の后とされているところから玉櫛姫のことでしょう。
亀岡から嵐山に流れる穂津川(保津川)は、前に述べた木津川と同じように古代の高速道路だったと思われます。三島の溝杭などの鴨族、穂積氏は桂川、鴨川、山代川(淀川)を支配下に置き水運を司っていたと思われます。~第19話:投馬国は但馬、但馬は丹波、丹波は出雲
*藤原京→第1109話:藤原京とおふさ観音
六角堂伝説には、老翁*も登場します。老翁が、紫雲たなびく杉の霊木のありかを教えてくれたので、その材を用いて六角形の堂を建立したのがこの寺の始まりです。老翁こと、唐崎明神)とは、日吉大社の社伝である日吉社神道秘密記によれば、琴御館宇志丸宿禰(ことのみたちうしまる)がこの地に居住し「唐崎」と名附けたといいます。琴御館宇志丸宿禰は名前に「うし」と「宿祢」が入っていることからウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)と推定されます。~第388話:スサノオのキーワードは角と竹と、、
*老翁(白髪の老人)はウツシコオです。→第855話:醍醐寺と白髪の老人
第565話:聖徳太子の四天王:小野妹子でも、小野妹子は聖徳太子の側近として登場してしています。
一般的・歴史史料的な位置づけとして、小野妹子は聖徳太子(厩戸皇子)に深く信頼され、重用された近臣(側近的役割を果たした官人)であったと解釈されています。
寺院建立や仏教での繋がり(伝承):京都の六角堂(頂法寺)の縁起などでは、聖徳太子とともに建立に関わり、太子の亡き後もその意志を継いで仏前にお花を供えた(これが華道・池坊のルーツとされる)という説話が残されています。
小野妹子は「聖徳太子が進めた政治・外交政策を直接担った中心的な側近官僚のひとり」と考えるのが一般的です。
小野妹子も、聖徳太子に寄り添っています。小野妹子もスサノオ=ウツシコオ(内色許男命)=難升米をモデルに創作された人物です。→第1064話:小野氏を考える(2):小野妹子
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※聖徳太子は台与であることを第539話: 仏教伝来異聞 第540話: 広隆寺と聖徳太子立像を参考としてAIに解説してもらいました。
広隆寺の「聖徳太子像」は台与(トヨ)の像である
広隆寺の本尊「聖徳太子像」は、本来は台与(豊国法師)の像である。
その根拠として記事は以下を挙げています。
① 聖徳太子像は「薬師如来像」に置き換えられている → 元の像は別の人物(台与)を表していた可能性。
② 聖徳太子像に「天皇の即位時に着る黄櫨染御袍」を着せる儀式がある
→ これは「この像の人物は天皇であった」という象徴的儀礼。
③ その儀式は藤原不比等が導入した→ 記紀編纂の中心人物が「像の意味を変換した」可能性。
④ 不比等は台与の記憶を隠したい→ 記紀の男性化操作と一致。
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<蛇足の追記>
この暴れ川の河川工事を行ったり、三条大橋、四条大橋、五条大橋などの建設にも木材(丸太)は必要でした。と上記で書きました。台与とウツシコオが掛けた橋が五条大橋だとすれば、五条大橋に弁慶と義経の伝説があるのは、納得できます。
このブログでは、義経と弁慶の伝説の多くは台与とウツシコオの伝説としています。
五条大橋は山科から大津・栗東に繋がる古代(平安時代)からの重要な橋です。
五条大橋を作ったのは台与とウツシコオではないでしょうが、鴨川の河川改修の工事は行った可能性はあります。
*弁慶と義経伝説
第860話:園城寺(三井寺)
第1019話:事代主と鶏:闘鶏神社
これまでの記事はこちらです。
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※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、タケミカズチとフツヌシ、神功皇后と武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。
※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>




<台与シリーズ>
hidemaru3375.com/post/天鈿売命(うずめ)は台与(豊)
https://www.hidemaru3375.com/post/かぐや姫は、台与(とよ)
https://www.hidemaru3375.com/post/磐井の乱と台与
https://www.hidemaru3375.com/post/豊受姫(豊受大神)は崇神天皇
https://www.hidemaru3375.com/post/火明命は饒速日なのか??
https://www.hidemaru3375.com/post/豊鍬入姫命-日光と男体山・女峰山
hidemaru3375.com/post/台与と秦氏 敏達天皇は台与(豊)
衣通姫(そとおりひめ)は台与(豊) 雄略天皇は台与(豊)!
孝昭天皇は台与:日原は目原 飯豊王女は台与(トヨ)なのか?
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(2)大原足尼命はトヨ 大宜都比売(おおげつひめ)は台与
倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)はトヨ?? 神八耳命は台与(豊)
饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作 台与は饒速日②~交野市倉治
小楯姫は台与:小楯は枚方 四道将軍:日子坐王は台与!
少彦名大神(スクナヒコ)は台与! 大彦は台与!??
ウマシマジは台与! 阿蘇都媛は台与
沼河比売は小楯姫=台与 タケミカヅチは台与!!
ヤマトタケルは台与 瓊瓊杵尊:ニニギは台与
継体天皇はトヨ(台与)??! 継体天皇は台与2~大々杼郷:楯原神社
継体天皇は台与3~田井(寝屋川市) 英彦山と台与