藤原景清と「ひょっとこ」
- tootake
- 21 時間前
- 読了時間: 5分
第960話
前回:熊襲のボスは、、、:熊襲惣領では、宮崎県宮崎市大字生目にある生目神社(いきめじんじゃ)は、「日向の生目様」と呼ばれる古くから眼病に霊験あらたかな神社として知られており、祭神は、品陀和気命(ほんだわけのみこと=応神天皇)と藤原景清公を主祭神
で主祭神に、彦火瓊々杵尊、彦火火出見尊、鵜茅葺不合尊の3柱を相殿に祀っています。品陀和気命=応神天皇)=彦火瓊々杵尊=彦火火出見尊=鵜茅葺不合尊が台与であることは、このブログで書いてきました。藤原景清公については後述予定としました。
藤原景清は、平安時代末期から鎌倉時代初期の武士です。平家に仕えて戦い、都落ちに従ったため俗に平姓で平景清とも呼ばれているが、藤原秀郷の子孫の伊勢藤原氏(伊藤氏)で、伊藤景清ともいう。「悪七兵衛」の異名を持つほど勇猛であったとされています。
藤原景清は、実在した人物であったようですが、生涯に謎の多い人物であるため、各地に様々な伝説が残されています。このためか各種の創作において主人公としてよく取り上げられています。しかし、神社の祭神として祀られるほど立派な人物ではありません。
今回は、藤原景清はなぜ生目神社の祭神となったのかを考えてみます。
ポイントは、藤原景清が片目であったとされていることです。
「景清は頼朝暗殺に失敗して自ら目をえぐり、孤島に流された。」という伝説があります・
また、上益城郡福田村(益城町福原)にある左之目神社の社伝では、
「平家の大将悪平衛景清が九州に落のびてきて、追手の源氏より身を守るため左目をくりぬき人相を変えたのでその左目を祀った」され左之目神社(左の目八幡宮)の祭神は藤原景清の左の眼球であるといいます。景清の左の眼球が飛んで松枝にかかり、夜光を放っていたのを祀ったといのです。
ここで思い出されるのが、第317話:ひょっとこ:火男~天之御影命です。
「ひょっとこ」は、鍛冶の神であり、古事記の岩戸隠れの段で鍛冶をしていると見られる天津麻羅(あまつまら)のことです。神名の「目一箇」(まひとつ)は「一つ目」(片目)の意味であり、鍛冶が鉄の色でその温度をみるのに片目をつぶっていたことから、または片目を失明する鍛冶の職業病があったことからとされています。
ホト・タタラ・イスケ・ヨリヒメ(五十鈴)のホトも製鉄炉に空気を送り込む鞴(ふいご)のことです。~第216話:五十鈴姫は鉄の神
ホト・タタラ・イスケ・ヨリヒメ(五十鈴)も台与です。ですから生目神社の祭神である品陀和気命=応神天皇=彦火瓊々杵尊=彦火火出見尊=鵜茅葺不合尊=台与と並んで藤原景清が祀られるのは、片目である藤原景清が「ひょっとこ」=火男=製鉄=台与を連想させたからです。
また生目は、本来は生駒(大阪の河内生駒山)で「目」とは関係ないのですが、生目とも表記されるために、生目神社は「日向の生目様」と呼ばれる古くから眼病に霊験あらたかな神社になってしまったのです。
柳田國男 日本の伝説には、片目の話がたくさん書いてあります。
関東地方、下野(しもつけ)の小中という村では、黍きびを栽培することをいましめておりますが、これも鎮守の人丸大明神が、まだ人間であった時に、戦をして傷を負い、逃げて来てこの村の黍畠の中に隠れ、危難はのがれたが、黍のからで片目をつぶされた。この近くの村々には、戦に出て目を射られた勇士、その目の疵きずを洗った清水、それから山鳥の羽の箭やをきらう話などがことに多いの太子様*の目を胡麻稈がらで突いたということで、今見ても木像の片目から、血が流れたようなあとがあるそうです。
*太子様とは聖徳太子=台与です。
================================
<蛇足の追記>
石清水八幡宮の表参道と石清水社の分岐点に景清塚があります。
清水寺の随求堂前に置かれた石灯籠には、頼朝を暗殺しようとして捕らえられた景清が、牢の中で自らの爪で彫ったという千手観音が祀られているそうです。
これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。
※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>




青の一族 5-8 仁徳天皇
岡田宮 - Wikipedia
日本書紀 巻第七の一 泳宮と喪山① | こんどう史科医院の裏ブログ
273.宇原神社(うはらじんじゃ) | Hontake 神社巡り & 御朱印収集
「古事記」の国譲り神話の中に出てくる「美濃国の喪山」の伝承地。
蹴り飛ばした「喪屋」が出雲国から美濃国まで飛んできて、この地の喪山になったもの。
室町時代後期の神道家の吉田兼邦が、和歌を通して神道を論じた「兼邦百首歌抄」に喪山を詠んだ歌が収録されている。
<台与シリーズ>
hidemaru3375.com/post/天鈿売命(うずめ)は台与(豊)
https://www.hidemaru3375.com/post/かぐや姫は、台与(とよ)
https://www.hidemaru3375.com/post/磐井の乱と台与
https://www.hidemaru3375.com/post/豊受姫(豊受大神)は崇神天皇
https://www.hidemaru3375.com/post/火明命は饒速日なのか??
https://www.hidemaru3375.com/post/豊鍬入姫命-日光と男体山・女峰山
hidemaru3375.com/post/台与と秦氏 敏達天皇は台与(豊)
衣通姫(そとおりひめ)は台与(豊) 雄略天皇は台与(豊)!
孝昭天皇は台与:日原は目原 飯豊王女は台与(トヨ)なのか?
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(2)大原足尼命はトヨ 大宜都比売(おおげつひめ)は台与
倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)はトヨ?? 神八耳命は台与(豊)
饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作 台与は饒速日②~交野市倉治
小楯姫は台与:小楯は枚方 四道将軍:日子坐王は台与!
少彦名大神(スクナヒコ)は台与! 大彦は台与!??
ウマシマジは台与! 阿蘇都媛は台与
沼河比売は小楯姫=台与 タケミカヅチは台与!!
ヤマトタケルは台与 瓊瓊杵尊:ニニギは台与
継体天皇はトヨ(台与)??! 継体天皇は台与2~大々杼郷:楯原神社
継体天皇は台与3~田井(寝屋川市) 英彦山と台