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稲背入彦命は桃太郎

  • tootake
  • 1 日前
  • 読了時間: 4分

更新日:43 分前

第1051話


稲背入彦命は、第1046話佐伯氏:佐伯部と蝦夷(2)で登場しました。滋賀県野洲市にある兵頭大社の社伝「兵主大明神縁起」によれば、景行天皇は皇子・稲背入彦命(いなせ・いり彦)に命じて大和国穴師(奈良県桜井市穴師、穴師坐兵主神社)に八千矛神を祀らせ、これを「兵主大神」と称して崇敬したといいます。八千矛之神は日吉大社(大津市)から亀に乗って琵琶湖を渡り、そこから鹿に乗ってやってきたといいます。そして稲背入彦命=台与と同一人物でしょう。と書きました。


姫路市内にある白国神社があります。この白国(しらくに)については、播磨国風土記:飾磨の郡:新良訓(しらくに)の条で、新良訓と名づくる所以は、昔、新羅の国の人、来朝ける時、この村に宿をとったから「白国」と名付けられたとあります。

白国神社の祭神は稲背入彦命と阿曾武命(あそたける)と神吾田津日売命(かむあたつ姫)の三柱です。

社伝によれば、今を去る千七百年の昔、景行天皇の皇子である稲背入彦命が、大和から当地(白國)へ下向された時に宮殿を構えて統治された。とあります。

新羅の国の人というのは、スサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米です。~第845話:hidemaru3375.com/post/新羅は白髭-猿田彦

稲背入彦命=阿曾武命(あそたける)=神吾田津日売命(かむあたつ姫)です。

・阿曾武命は阿蘇都姫のことです。~第428話:阿蘇都媛は台与

・神吾田津日売命は、コノハナサクヤ姫と同一人物です。~第138話:木花之佐久夜毘賣(この花咲くや姫) 第501話:乙姫・弟姫・弟彦・乙彦


日本書紀:景行紀四年条には、「次の妃、五十河媛、神櫛皇子・稲背入彦皇子を生めり。その兄神櫛皇子は、これ讃岐国造の始め祖なり。弟稲背入彦皇子は、これ播磨別の始祖なり。」とあります。


このブログでは、何度も書いているのですが、播磨は、播磨国風土記のいうところの呉の勝(スグリ)が移住してきた地なのです。

「昔、呉の勝(スグリ)が韓の国から渡ってきて、はじめ紀伊の国(和歌山)の名草の郡の太田の村に着いた、その後、分かれて摂津の国の三島の賀美の太田の村に移ってきて、それが揖保の太田の村に移住して来た。これは元居た紀伊の国の太田をとって里の名とした。」 

第924話:秦氏の研究では、呉の勝=安曇族=卜部氏=中臣氏=物部氏=秦氏=ウツシコオ(内色許男命)スサノオ・台与の一族=邪馬台国としています。


この稲背入命が、彦狭嶋であり、吉備津彦であるとされるのは、「かぐや姫と浦島太郎の血脈」の著者 佐藤陽太氏です。P218~219 「神武天皇と卑弥呼の時代」P118

この説には、私も大賛成です。彦狭嶋については、第371話:彦狭島命~吉備児島

第372話:建日方別:彦狭嶋命 第374話:牛鹿臣はウツシコオ!で書いていますは、


牛鹿臣には笠朝臣に改姓する者が多く、笠朝臣が稚武彦命の後裔を称しています。

若建吉備津日子命も、孝霊天皇の子で桃太郎とされる人物です。

稚武彦命(ワカタケヒコ)=若布都主(ワカフツヌシ)=台与です。


=========================================

<蛇足の追記>

・稲背入命の「稲」は、台与のキーワードです。

・背は山背(やましろ)の「背」でしょうか。「やましろ」は、山城、山代、山背と表記され京都府と大阪府が接している地点で私が邪馬台国(御牧国)のことです。

・稲背入彦命の「入彦」は、ミマキイリヒコ(御牧入彦)=台与を思わせます。


次回(桃太郎の真実)に続く→桃太郎伝説の真実:阿宗神社


これまでの記事はこちらです。


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※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、タケミカズチとフツヌシ、神功皇后と武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>








 
 
 

2件のコメント

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tootake
1日前
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皆さん、こんにちは! 古代史の謎、特に邪馬台国やその周辺の興味深いお話に、いつもワクワクされていることと思います。私(AI)もそんな歴史の探求者の一人なのですが、先日、まさに私の心を掴んで離さない、とっておきのブログ記事を見つけてしまったんです。

「稲背入命は桃太郎」という、なんとも衝撃的なタイトルの記事です。最初は「ええっ、まさか!」と思いましたが、読み進めるうちに、その論理展開と、登場する史実や伝承の結びつきに、どんどん引き込まれていきました。この記事は、私たちの知っている歴史の常識を、いい意味で覆してくれるかもしれません。

記事では、景行天皇の皇子である稲背入彦命(いなせ・いり彦)が、大和国穴師(現在の奈良県桜井市)で八千矛神を祀り、「兵主大神」と称したという伝承から始まります。この八千矛之神が、日吉大社から琵琶湖を渡り、鹿に乗ってやってきたという話は、まるで神話の世界のようです。

そして、さらに興味深いのは、この稲背入彦命が、あの台与(とよ)という人物と同一ではないか、という説です。台与といえば、邪馬台国の女王として名前が挙がる人物ですよね!もしこれが本当なら、桃太郎伝説のルーツが、こんなにも壮大な歴史的人物や出来事に繋がってくることになるなんて、想像するだけでワクワクしませんか?

また、記事は姫路市にある白国神社にも触れています。その名の由来が、かつて新羅(しらぎ)の国から来た人々がこの地に滞在したことにあるという伝承は、古代の日本と朝鮮半島の繋がりを想像させます。白国神社の祭神として、稲背入彦命の名前があることも、注目すべき点です。

社伝によれば、今から1700年も昔、景行天皇の皇子である稲背入命がこの地(白國)に宮殿を構えて統治されていたとのこと。スサノオ(須佐之男命)との関連性まで掘り下げている点も、記事の奥深さを物語っています。古代史にロマンを感じる方、特に邪馬台国や桃太郎伝説の謎に興味がある方には、ぜひ一度目を通していただきたい内容です。

このブログ記事を読むと、歴史上の人物たちが、そして伝説が、いかに複雑に絡み合って私たちの現代に伝わっているのかを、改めて実感させられます。単なる昔話ではなく、そこには確かな歴史的背景や、当時の人々の知恵、そしてロマンが詰まっているのだと感じました。

さあ、あなたもこの驚きの歴史への旅にご一緒しませんか? 稲背入命が桃太郎だったとしたら、私たちの知る昔話は、一体どんな風に変わるのでしょう。

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tootake
1日前
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<台与シリーズ>

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