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真舌媛:孝霊天皇妃は台与

  • tootake
  • 2 時間前
  • 読了時間: 5分

第909話


三島は、私が邪馬台国とする地です。私は三島郡三島町(現:大阪府茨木市・摂津市)の生まれです。三島には「味舌」というところがあります。


孝霊天皇の后は、大目の娘である細媛命で、別名は真舌媛です。日本書紀の孝霊紀に、后について、「一に云はく、十市県主等が祖が女:真舌媛(姫)といふ」とあります。


中世の味舌庄は、甘舌・真舌とも書かれ、淀川下流の有力な分流の1つである三国川に面し、対岸の地、鯵生(あじふ)野は、住吉大社神代記の「長柄船瀬本紀」にみえる、遣唐使船に荷物が積み込まれたという、長柄船瀬(港津)の地に比定されています。


味舌姫の父とされる十市県主の祖の「大目」です。三島から淀川をほんの少し下った所に「大日」という地名があります。大阪府守口市です。第115話:菊理媛神~大目は大日(守口市)では「大目」は「大日」のことであるとしました。


守口市の大日の近くには、高瀬の渡しがありました。この付近は、淀川と大和川の水路が交わる要地で、出土した流水文様の弥生式土器は西暦紀元前後の土器と推定され、約二千年もの昔から祭祀が行われていたと推測されています。また、長柄船瀬という大阪湾の東端の港でもあり、当地方は住吉大社の領有地と考えられています。住吉大社の神宮で古代難波の海上権を掌握していた津守氏と高瀬神社(大阪府守口市馬場町)は強い結びつきがありました。


またこのブログでおなじみとなった行基の年譜によれば、行基は高瀬付近で高瀬川(淀川旧流)に架けた高瀬大橋と、橋を管理する高瀬橋院(行基四十九院の一つ高瀬寺)を建立し、当時の淀川南流(古川筋)から高瀬川へ通ずる運河・大庭溝を開いており、高瀬寺は当社の宮寺としても機能したものとされています。高瀬寺跡から飛鳥時代の古瓦が出土しており、聖徳太子が建立したとされる茨田寺がこれで、高瀬寺はその跡に創建されたのではないかとの説もあります(守口市史本文編第1巻・昭和38年刊)。


このブログは、邪馬台国が大阪府枚方市であることを証明するために書き続けています。卑弥呼の後を継いで、邪馬台国の大王(おおきみ)となった台与の後をたどっているうちに行基に出会いました。山崎橋を作ったのも行基です。~第727話:hidemaru3375.com/post/山崎橋と邪馬台国


そして真舌媛は、市杵島姫命であることは、第36話真舌媛は、宗像三女神! ~三島(茨木市)で書きました。真舌媛が淀川の水運と関係していることは、上記によっても分かります。


高瀬神社のある守口市馬場町のすぐ近くは、大枝公園(守口市松下町*)があります。

この大枝は太子=聖徳太子であることは、第542話:大枝神社:“たいし”は太子=台与で書いています。松下町は大企業パナソニック(松下電器)のあるとこで旧の地名は日向です。~日向は大阪府守口市 つまり、味舌姫は太子=台与だということです。


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<蛇足の追記>

孝霊天皇の皇后は、味舌姫=細媛命です。細姫(くわし姫)の「くわし」とは「おへそ:」のことです。第518話:hidemaru3375.com/post/天鈿売命(うずめ)は台与(豊)では、アメノウズメは台与であるとしました。

日本書紀では次のように記述されています。「天鈿売命(アメノウズメ)は、 その胸乳をあらわにかきいでて、裳帯(もひも)を臍(ほそ=ヘソ)の下におしたれて、あざわらひて向きて立つ。」 つまり、乳房をあらわにし、裳の紐を臍(へそ)の下まで押したれて、、、、」


先ほど、大目は大日と書きましたが、「大」が「太」であるとすれば、太は「ウズ」とよみます。太秦を「ウズマサ」と読むのと同じです。つまり大目は、「ウズメ」と読めるのです。細媛は、磯城県主(十市県主)大目(ウズメ)の娘です。


=うず=(ウチ)はウツの転訛で、内は、氏、宇治、宇智、宇遅、渦、珍、宇豆、宇都、宇津に同じです。古事記に木国造の祖:宇豆比古(うづひこ)とあり、景行紀三年条には紀直の遠祖:菟道彦(うぢひこ)とあります。


十市県主(トイチノアガタヌシ)=磯城県主(シキノアガタヌシ)で十市・磯城は大阪府守口市・茨木市にあたると思われます。(疫病の大流行により十市・磯城は奈良県に移住したのです。)~邪馬台国で疫病発生




これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれている13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>



細媛命 皇后(くわしひめのみこと こうごう) 通称 ほそひめ・ほそ媛さん孝霊天皇の皇后にして第八代「孝元天皇」の御母神。平安時代末期頃までは「臍」(へそ)のことを「ホソ」と発音した。此即ち細媛命を安産の大神と敬い奉る所以である。「ホソ」・「ホゾ」とは臍 つまり「穴」の事ですが、曾祖母の実家の女神様はお顔の下、お腹の辺りに大きな穴が開いています。

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tootake
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tootake
2時間前
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<台与シリーズ>

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