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赤城山と豊城入彦命(台与)

  • tootake
  • 7月27日
  • 読了時間: 5分

更新日:7月30日

第756話 #上毛野氏 #車持公 #台与


前回:鳴神山とヤマトタケル(=台与)で書いた鳴神山の後方にあるのが、赤城山です。

赤城山(あかぎやま)は、群馬県の北東部に位置するカルデラ湖を伴う成層火山です。

地形としてはひとつの火山体ですが、名称として「赤城山」と呼ぶ単体の峰はなく、複数の山頂を持つ連山の総称です。


山岳信仰の対象ともされ、関東一円に約300社の赤城神社が分布しています。赤城神社の本宮と推測される社はいくつかありますが、このうち赤城山の中には黒檜山の山腹(三夜沢)と大沼の湖畔(大洞)の二社があります。


赤城山の名称の由来として、豊城入彦命関連説があります。

上野国の豪族上毛野氏が、族祖を「木の国=紀ノ國*」出身で、豊木入日子命(豊城入彦命)を始祖と称しています。「豊」は「城(き)」の美称で、「赤」も「城」の美称であり、「赤城山」となったというものです。一説には日本武尊*の東征のとき、この山に拠つて反抗した夷賊を火攻めにしたところ、全山火につゝまれあたかも赤い城のように見えたことから赤城と呼んだとも伝えられています。

*日本武尊(ヤマトタケル)は台与です。~第439話:ヤマトタケルは台与 


・「吾が城」=「赤城」説

「古老の伝ふるところによると、往古、城尊が此の山に登山せられ、東国を治らすべく国見せられたとき、其の裾野が長く張つて、国原遠く開らけてゐる風光を御覧せられて宣り曰く、「善き哉これ吾が城なり」と、「吾が城と仰せられたことが伝へ伝はりて「アカギ」と訛り、「赤城」と書くやうになつたと伝へてゐる。」~岩沢正作「赤城山大観」毛野研究会、1932年10月30日、81頁。


百済系渡来人の上毛野氏は、豊城入彦命(崇神天皇皇子)五世孫の竹葉瀬(たかはせ)を祖と称する皇別氏族です。「上毛野君(公)」のち「上毛野朝臣」姓を称したとされています。日本書紀には豊城入彦命に始まる氏族伝承が記載されています。新撰姓氏録によれば上毛野氏の同族が紀伊国、摂津国、河内国にいる王仁後裔氏族の伝承に荒田別が登場し「百済本記」に登場する羅麻致支弥(車持)*の存在群馬県での出土品から、上毛野氏が外交に携わったのは確実であると指摘しています。第550話:久羅麻致支弥は車持氏!!では豊城入彦命は台与(豊)としました。荒田別は「別:ワケ」が付いているので台与でしょう。

・おとぎ話のかぐや姫に求婚する5人の貴人の内の一人に「くらもち(車持ち)」の皇子が登場しています。この「くらもち(車持ち)」の皇子このは藤原不比等ののことであるとされています。


江戸川沿いにある千葉県流山市には、赤城神社の祀られた小山があり、大洪水の際に赤城山の山体の一部が流れてきたものだ、という伝説があります。「流山」という地名はこれに由来するといいます。この伝説によって、ここでも台与とウツシコオは治水工事を行っていたことが推測されます。


では、豊城入彦命は台与(豊)豊城入彦命も豊鍬入姫命は同一人物で台与としています。


魏志倭人伝に登場する*台与(壹與)を『日本書紀』に記される豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)に比定する説は、いくつかの研究者や民間の歴史探究者によって提唱されています。以下はAIにより作成された文章です。

🏯 比定の根拠と背景

  • 名前の類似性:「台与(とよ)」と「豊鍬入姫命(とよ)」は音韻的に近く、同一人物とする根拠の一つとされます。

  • 宗女という立場:魏志倭人伝では台与は卑弥呼の「宗女」(王族の女性)とされており、豊鍬入姫命も崇神天皇の皇女で、天照大神を祀る初代斎宮として重要な宗教的役割を担っていたことから、政治・宗教的な地位が一致するという見方があります。

  • 政治的安定の象徴:台与は卑弥呼の死後、倭国の混乱を収めるために13歳で女王に擁立されたとされます。豊鍬入姫命も神祇祭祀の安定を担った人物であり、両者が「秩序の回復者」として描かれている点が重なります。

🌀 論争点と課題

  • 年代の整合性:魏志倭人伝の台与は3世紀の人物ですが、豊鍬入姫命は記紀では古墳時代初期の人物とされ、年代のズレが指摘されていますが、記紀は創作ですので年代のズレは気にする必要はありません。

  • 記紀の信憑性:記紀の編纂意図や藤原氏による系譜操作の可能性を考慮すると、台与=豊鍬入姫命説は政治的・宗教的再構成の産物である可能性もあります。

  • 地域的背景:台与の墓とされる説もある西殿塚古墳(奈良県)など、物理的遺構との照合も議論の対象です。


※これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>



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