摩耶山:兎我野(3)
第1193話
第1191話:兎我野・梅田~大阪の邪馬台国で兎我野のことを書きました。
前回:若一王子~兵庫県神戸市灘区では、王子について書きました。
今回は、摩耶という地名について考えます。
神戸周辺の「摩耶」という地名は、神戸の北側にそびえる摩耶山に由来しています。
その山の名前は、仏教の開祖であるお釈迦様の生母、摩耶夫人(まやぶにん)から名付けられました。
摩耶山は、平安時代、空海(弘法大師)が唐から持ち帰った摩耶夫人像を、山頂にある忉利天上寺(とうりてんじょうじ)に安置したことが始まりとされています。
摩耶夫人は安産や子授け・子育ての守護仏として広く信仰を集め、そこから山そのものが「摩耶山」と呼ばれるようになりました。
忉利天上寺(とうりてんじょうじ)は、兵庫県神戸市灘区摩耶山町にある摩耶山真言宗の大本山の寺院で、本尊は十一面観音菩薩と仏母摩耶夫人尊。釈迦の生母である摩耶夫人を本尊とする日本唯一の寺で、通称は天上寺といいます。
忉利天上寺は、大化2年(646年)に孝徳天皇の勅願で天竺の伝説的な高僧法道仙人によって開創されたと伝わっています。本尊は釈迦自らが彫り上げたとされる一寸八分の秘仏・十一面観音像で、法道仙人が唐をへてわが国に持ってきたものであるといいます。
後に空海(弘法大師)が渡唐した際、梁の武帝自作の摩耶夫人尊像を持ち帰り当寺に奉安したことから、当寺があるこの山を「摩耶山」と呼ぶようになったとされる。「忉利天」とは摩耶夫人が転生した忉利天になったという由来に因むものです。
最盛期には多くの塔頭、僧坊を抱えており、最も栄えた頃は3,000人の僧を擁する摂津国第一の大寺だったと伝わる。宗派を越え、皇族・武将なども含めて広く信仰され、花山天皇・正親町両天皇の御願所でもありました。花山天皇は西国三十三番札所のと関係の深い人物です。~第1178話:花山天皇と仏眼上人
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摩耶山の山頂にある忉利天上寺の開基が法道仙人であるということから、摩耶夫人というが台与であることがわかります。
法道仙人はすでに、なんども、このブログに登場しています。
第865話:播州清水寺:法道仙人
第866話:法華山一乗寺と法道仙人
第1016話:法道仙人と水軍では、次のように書いています。
法道仙人は、瀬戸内の水軍の大将だったのです。法道は神通力で鉢を飛ばし、米などの供物を得ていたため、「空鉢仙人」とも呼ばれていました。「法道は神通力で鉢を飛ばし、米などの供物を得ていた」というのは、この辺りの税を徴収していたということだったのです。
法道仙人は、インドから来たとされ日本に渡るときに牛頭天王と共に渡ったとされています。牛頭天王は姫路市にある広峰神社に祭られ、その後、京都の八坂神社中の座に祭られたとされています。牛頭天王はスサノオのです。牛頭天王は、仏=台与の守護神でもあります。牛頭天王の牛頭からは、頭に角が生えた人(ツヌガアラシヒト)が連想されます。
頭に角が生えた人=ツヌガアラシヒト=アメノヒボコはウツシコオです。
つまり、法道仙人は、ウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)のことなのです。
そして、「空海(弘法大師)が唐から持ち帰った摩耶夫人像を、山頂にある「忉利天上寺(とうりてんじょうじ)」に安置したことが始まりとされています。 」という記述も創作された物語です。この伝承は、一次史料で裏付けられる「歴史的事実」ではありません。
空海の唐滞在記録・日本側の同時代史料には、梁武帝作の摩耶夫人像を持ち帰ったという記述は存在しません。
空海の唐での活動を記録する一次史料としては、『性霊集』、『御遺告』、『請来目録』、『遍照発揮性霊集』、『唐留学関係の官文書』などがありますが、これらには、「梁武帝作の摩耶夫人像を授与された」「持ち帰った」という記述は一切存在しません。
天上寺の「縁起(寺伝)」は中世以降に形成された可能性が高く、 空海の権威付けのための後世的付会と考えるのが妥当とされています。
仏教の開祖であるお釈迦様の生母、摩耶夫人というのは、ウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)=難升米の子である台与をイメージしたところからきたと思われます。
台与は、日本での仏教の開祖です。~第539話: 仏教伝来異聞
忉利天上寺の本尊は「十一面観音菩薩」と「仏母摩耶夫人尊」です。
「十一面観音菩薩像」は、釈迦が作ったもの*で法道仙人が持参してきたものといわれています。大阪湾一円および摩耶山の四周に開けた諸国(摂津国・播磨国・河内国・和泉国・淡路国等)の守護仏です。*釈迦が十一面観音菩薩像を作る筈はありません。
摩耶山の山頂には置くのは、摩耶夫人像でなく聖徳太子像でも良かったのです。
~第1177話:聖徳太子は台与~AIとの対話(17)
台与が邪馬台国(大和国)の大王であったことを知られないために台与の像を作るわけにはいかなかったのです。
観音は台与です。
第628話:観音菩薩と台与(1)~大聖観音寺 第629話:観音菩薩と台与(2)~法輪寺
第630話:観音菩薩と台与(3)~寂光寺:野崎観音:江口の君
第631話:観音菩薩と台与(4)~明尾寺 第632話:観音菩薩と台与(5)~鶴林寺
第633話:観音菩薩と台与(6)~佐井寺 第634話:観音信仰と台与(7)~慈愍山観音寺(千葉)
第635話:観音信仰と台与(8)金剛院 :摂津市味舌
忉利天上寺は、摩耶夫人を祀っていることから特に婦人の信仰があつく、安産祈願・腹帯授与については、わが国で最初に行われたといわれています。
これまでの記事はこちらです。
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※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、タケミカズチとフツヌシ、神功皇后と武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。
※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>




<台与シリーズ>
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