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崇神天皇と国栖

  • tootake
  • 1 日前
  • 読了時間: 6分

更新日:20 時間前

第1093話


前回:国栖と塞の神~川上鹿鹽神社では、吉野に住んでいた国栖(くず/くにす)と呼ばれる人々が「白檮上(かしのふ)」に横長の臼を作り、それを用いて酒を造り応神天皇に振る舞い歌ったことが記されています。と書きました。


常陸国風土記にも、国栖が登場しています。


崇神天皇の御代、東国の辺境*の地の荒ぶる賊を平定するため那賀国造*の祖である建借間命*を遣わした。安婆*の島に宿営したとき、海の東の浦を遥望すると煙が見えた。人がいるのではと思った建借間命は天を仰ぎ誓約を行い「もし天皇に服属する民の煙であるならば流れ来て我々の上を覆え、だがもし荒ぶる賊の煙ならば退いて海へたなびけ」というと煙は海へたなびいた。これによりおのずから凶賊であることがわかったので、配下の軍兵に命じ、朝飯を早く済ませて軍は海を渡った。このとき敵軍には国栖の夜尺斯(やさかし)・夜筑斯(やつくし)という二人がいた。彼らは自ら首領となり穴を掘り、堡を造って、そこに住んでいた。天皇の軍の動向をひそかに探り身を潜め守りを固め抵抗した。


建借間命は、騎兵に堡を封鎖させ、背後から賊を襲いかかり一族を悉く捕らえ、火を放って滅ぼした。「痛く殺す」と言った所が、今の伊多久(潮来)の郷であり、「ふつ*に斬る」と言った所が、布都奈(潮来市古高:ふったか)の村であり、「安く殺(と)る」と言った所が、安伐の里(やすきり:潮来市古高で、「吉く殺(さ)く」と言った所が、吉前の邑(潮来市)である。*ふつに斬る=経津主大神(フツヌシ)


*東国の辺境は、行方郡のことです。行方(なめかた)は枚方(ひらかた)、宗像(むなかた:福岡県)、南方(みなみかた:大阪市淀川区)と同様で方(かた)の付く地名です。

この方(かた)の付く地名は、交通の要衝です。近くには、鹿島神宮と香取神宮があります。

建借間命の「借間」は「鹿島」と関連があると考えられ、鹿島神宮の祭神である建甕槌(たけみかづち)との関係も指摘されています


第777話:邪馬台国の水軍(4):彦狭島命と建借間命では、次のように書いています。

彦狭島命=建借間命=建甕槌(タケミカヅチ)=台与となりますので、彦狭島命は台与となります。建借間命は軍船を率いてとありますので、建借間命=台与は水軍の長(おさ)でもあったのです。


*那珂川、那賀国は、第768話:長髄彦と粉河寺~那賀郡で書いた徳島県の那珂川と同じです。「謎の四世紀」p162より引用。

「この付近、特に粉河寺のあたりは、丹生にかかわる地名、丹生都比売(ニュウツ姫)を祀る神社がいくつもある。おそらくは、この那賀郡の地名は、弥生時代における水銀朱の大産地であった徳島県の若杉山遺跡、その水銀朱の搬出ルートであった那珂川の「那賀:ナカ」と呼んで由来するのだろう。粟の国の那賀の人が移住して、やはり水銀朱の採掘にあたっていた場所、それが、紀伊の国の那賀である。」

長髄彦=ウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王=難升米は、香取神宮の経津主大神(フツヌシ)です。


*安婆は、茨城県稲敷市阿波(あば)です。阿波には、大杉神社(おおすぎじんじゃ)があります。豪奢な社殿を擁することから「茨城の日光東照宮」の異名があり、あんばさまの愛称で親しまれています。関東や東北地方に分布する約670社を数える大杉神社の総本社です。祭神は、倭大物主櫛甕玉命(やまとおおものぬしくしみかたまのみこと)で、すなわち大物主です。大物主は台与です。~第653話:大神神社(16)~大物主は台与!!


常陸の国(茨城県)には、他にも崇神天皇の関連する事柄があります。

茨城県稲敷郡阿見町中郷にある常陸国式内社阿彌神社には阿見の名の由来説話が残っています。説話が伝えるところによると、崇神天皇の皇子である豊城入彦命が東国に赴いた際この地に至り、建御雷神と経津主神の功績に思いをはせ「皇祖の天下を経営せらるるや阿彌普都、実に能く天業を輔弼せり、両神功成るに逮て天に還りしと、蓋し是地に於てする乎。是より郷を阿彌とす。」と述べ、この言葉からこの地を阿彌郷と称するようになった。と伝わっています。


・崇神天皇の命令で建借馬命は東国(関東)に赴きます。

豊城入彦命は崇神天皇の命令で、東に向かい武器を振るったので東国に派遣されたます。

ヤマトタケル(日本武尊)は、景行天皇の命令で東方の蛮族の討伐に向かいます。

・第503話:日高見国~私見では、「武内宿禰は北陸及び東方に派遣され、地形と百姓の様子を視察した。帰国すると、蝦夷を討つよう景行天皇(台与)に進言した。」

と書きました。武内宿禰はウツシコオです。~武内宿禰はウツシコオ(2)

日高見国は常陸の国のことかもしれません。


このブログでは、崇神天皇=ヤマトタケル(日本武尊)=景行天皇=豊城入彦命=彦狭島王は台与としています。


これらのことにより、常陸の国(茨城県)に行ったのは、台与とウツシコオであることが分かります。


なお現存する文献で「常陸国に国栖(くず)がいた」と明確に記すものは、ほぼ常陸国風土記だけです。


※奈良県吉野町は、今でも国栖の里と称しており、伝統的な集落で、古代からの文化や手仕事が息づく地域です。国栖=吉野です。


前回:国栖と塞の神~川上鹿鹽神社では国栖は台与の配下の土木工事人で、奈良県の吉野村を通る東熊野街道の道路の管理を行っていた集団だと思います。と書きました。

常陸の国の国栖は、奈良県吉野郡吉野町の国栖と同一の集団でしょう。

台与が連れて行った国栖は利根川・霞ヶ浦の河川改修工事を行ったのです。その功績をたたえるために、香取神宮と鹿島神宮が建てられたのです。

鹿島神宮の祭神は建甕槌(タケミカヅチ)=台与で、香取神宮の祭神は、経津主神=ウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王=難升米です。



関連項目:第441話:タケミカヅチは台与!!

    :第928話:茨城県の邪馬台国(1):薩都神社


これらのことにより、建借馬命=彦狭島(王)=ヤマトタケル=豊城入彦=台与であることがわかります。崇神天皇、景行天皇も台与です。


これまでの記事はこちらです。


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※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、タケミカズチとフツヌシ、神功皇后と武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>










 
 
 

2件のコメント

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
1日前
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