出羽三山(3):湯殿山と天湯河板挙
- tootake
- 7月21日
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更新日:7月22日
第750話 #少彦名命 #瀬織津姫 #邪馬台国 #台与
湯殿山は、山形県にある霊峰で、出羽三山(羽黒山・湯殿山・月山)の一つです。
湯殿山神社は大山祗命、大己貴命、少彦名命の三神を祀っています。月山と湯殿山は冬季の参拝が不可能であることから、羽黒山頂に三山の神々を合祭しています。また広大な山内には百八末社といわれる社があって、八百万の神々が祀られています。
麓や奥宮参道沿いには、瀬織津姫ほか祓戸四神を祀る小祠が点在します。出羽三山巡礼の途上で、水と火の大神が交錯しながら一連の祓いを完結させる配置です。
湯殿山神社の御神体である「茶褐色の巨岩から湧き出る熱湯」は、究極の清浄・再生を象徴します。この清めの水を司る存在として、瀬織津姫が深く結びついています。
湯殿山の奥宮(御湯殿)は社殿を持たず、岩から湧出する温泉そのものを拝します。この岩湯を触れ、冷水とともに身を清める行為は、瀬織津姫の「流れる水による祓い」を体現しているとされます。
瀬織津姫は古事記・日本書紀に現れる祓戸四神の一柱で、川や滝の流れとともに罪・穢れを祓い清める女神です。現代でも水の神格化として、御祓や禊の場面でその名が挙げられます。
「語るなかれ・聞くなかれ」と瀬織津姫
参拝体験を口外禁止とする湯殿山の沈黙の戒律は、瀬織津姫の言葉によらない浄化の力と重ねられます。語らず、ただ水に身を委ねることで、心身の穢れを祓う儀礼と心得られています。大神神社のある三輪山でも、登拝に際しては厳格な心得が定められています。その中でも特に有名なのが、「三輪山で見聞きしたことは口外してはならない」という戒めです。
近年、湯殿山神社では「瀬織津姫御朱印」や祭礼での清水奉納が復活し、古来の水神信仰が再評価されています。参拝者はその名を心に留め、湯殿山の水によって深い浄化を体験しています。というプロセスが、龍神による浄化と再生の構造と重ねられます。
第644話:大神神社を探る(7)~綱越神社でははり=祓戸大神=瀬織津姫は台与としています。
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<天湯河板挙>
ところで、湯殿山の「湯」ということから、天湯河板挙(あめのゆかわたな)という人物を思い起こさせます。天湯河板挙(あめのゆかわたな)は、日本書紀に登場する古代豪族で、鳥取造(ととりのみやつこ)氏の祖とされる人物です。その名には「湯」「河」「板挙(桁)」といった地形・儀礼・技術に関わる象徴が含まれており、神話的空間との関係が非常に興味深いです。
天湯河板挙は、垂仁天皇の皇子・誉津別命が言葉を話せなかったが、白鳥(鵠)を見て初めて言葉を発したとする逸話で鵠を捕まえた人物です。鵠を献上した功績により、「鳥取造」の姓を与えられ、鳥取部・鳥養部・誉津部が設置されたとされています。
鳥取部の祖神を祀る神社は全国に点在していますが、鳥取県内に天湯河板挙命(あめのゆかわたなのみこと)を主祭神として祀る神社は確認されていません。ただし、天湯河板挙命は『日本書紀』に登場する神で、白鳥を捕らえて誉津別皇子の言葉を引き出した功績により「鳥取造」の姓を賜った人物です。この伝承が「鳥取」という地名の由来の一つとされています。鳥取は、大阪府阪南市の地名です。大阪府阪南市にある波太神社では、少彦名命が鳥取連の祖「角凝魂命」として祀られています。
少彦名命は、医療・穀物・酒造・温泉などの文化技術を広めた神としても知られています。伊予国風土記逸文では、「大国主命と少彦名命が出雲の国から伊予の国へと旅していたところ、長旅の疲れからか少彦名命が急病に苦しんだ。大国主命は大分の「速見の湯*」を海底に管を通して道後へと導き、小彦名命を手のひらに載せて温泉に浸し温めたところ、たちまち元気を取り戻し、喜んだ少彦名命は石の上で踊りだした」といいます。この模様を模して、湯釜の正面には二人の神様が彫り込まれています。*速見の湯=別府温泉
一方、谷川健一氏*は「湯」を溶鉱炉から流れる金属と見なし、天湯河板挙を製鉄鍛冶氏族の祖神と位置づけています。つまり、湯=金属の流れ、河=水の供給源、板挙=技術的構造という解釈です。天湯河板挙命を祀る神社は、製鉄・鍛冶・水辺に関係する場所に多く分布しています。第490話: 日置氏と製鉄と台与(豊)~枚方市招堤
*谷川健一氏は在野の学者として日本文学や民俗学の研究をおこない多くの研究書を著しておられます。
🌿 伊予国と道後温泉の関係
道後温泉は現在の愛媛県松山市に位置し、古代には「伊予国」に属していました。
『伊予国風土記』の逸文には、大国主命と少彦名命が道後温泉で病を癒したという神話が記されており、伊予の地に温泉があることが古代から知られていたことを示しています。
また、聖徳太子や斉明天皇など、皇族の来湯伝承も多く残っており、伊予の湯は霊験あらたかな場所として尊ばれてきました。聖徳太子や斉明天皇*も台与です。
*斉明天皇の和風諡号は、天豐財重日足姬天皇(あめとよたから・いかし・ひたらしひめのすめらみこ)です。
🗾 地名「伊予」と温泉郡の由来
道後温泉周辺はかつて「温泉郡(おんせんぐん)」または「湯郡」と呼ばれていました。これは、道後温泉の存在に由来する地名です。伊予の「予」(yo)は湯(yu)です。
大阪府柏原市にある天湯河板挙を祀る天湯川田神社は、製鉄地帯である「雁多尾畑:かりんどおばた」の麓に鎮座しており、近くにある宿奈川田神社(すくなかわたじんじゃ)と共に鳥取連が祖神を祀ったものとされています。宿奈川田神社の祭神は、宿奈彦根命・高皇産霊命・級戸辺命です。
宿奈彦根命は、少彦名命(スクナヒコ)の別名です。
・少彦名命は台与です。~第463話: 少彦名大神(スクナヒコ)は台与!
・高皇産霊命(=高木神)はウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)です。
・級戸辺命は、台与です。~第695話:ヤマトタケルの足跡を訪ねて(5)~島穴神社
日本書紀では、伊弉諾尊の吹き払った息が風神、級長戸辺(しなとべ)命となり、その別名を級長津彦(しなつひこ)命としています。級長津彦の方はヒコとあるので、男神ですが、「級長戸辺」の戸辺(トベ)は女性を意味する語と解されるので、女神と考えられます。
天湯川田神社、宿奈川田神社で少彦名命が鳥取氏の祖として祀られていることから、少彦名命は、宿奈彦根命=天湯河板挙であることが分かります。
湯殿山で祀られている少彦名命と瀬織津姫が祀られているのも、少彦名命と瀬織津姫が台与だからです。
※これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>




妙高山と善光寺 - 妙高市
<台与シリーズ>
hidemaru3375.com/post/天鈿売命(うずめ)は台与(豊)
https://www.hidemaru3375.com/post/かぐや姫は、台与(とよ)
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少彦名大神(スクナヒコ)は台与! 大彦は台与!??
ウマシマジは台与! 阿蘇都媛は台与
沼河比売は小楯姫=台与 タケミカヅチは台与!!
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継体天皇はトヨ(台与)??! 継体天皇は台与2~大々杼郷:楯原神社
継体天皇は台与3~田井(寝屋川市) 英彦山と台与
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とよ(乎止与命・台与・臺與) 台与の物語