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九州物部と磯城(奈良県)は枚方の移民

  • tootake
  • 6月29日
  • 読了時間: 5分

更新日:7月2日

第728話 #健磐龍命 #阿蘇都 #台与


九州と近畿の地名は、よく似ていると説があります。


<九州の地名>

山門(やまと)郡、三潴(みずま)郡、鷹取(たかとり)山、平群(へぐり)郷、住吉神社、志賀島、春日市、京都(みやこ)郡、海部(あま)郡、五十鈴(いすず)川、日向(ひゅうが)、伊勢ヶ浜、大森岳、桑原郡、出水(いずみ)郡、日置郡、笠祇(かさぎ)岳、大島、市木川、鵜戸(うど)神社、熊野、、、


<奈良県の地名> 

大和(やまと)、水間(みずま)郡、高取(たかとり)山、平群(へぐり)郡、住吉神社、滋賀国、春日、京都市、海部(あま)郡、五十鈴(いすず)川、日向(ひゅうが)、伊勢湾、大森山、桑原郷、和泉(いずみ)郡、日置町、笠置(かさぎ)山、大島、市木川、鳥止野(うどの)神社、熊野、、、

 

漢字は違うものの、驚くほどに地名が一致、もしくは類似しています。

 しかもただ似ているだけではありません。位置関係までほとんど同じなのです。

 この九州と近畿の地名相似は、地名学者のあいだではもともと有名でした。地名学者の鏡味完二氏が最初に指摘したのですが、その後、考古学者の奥野正男氏の追跡調査によって80以上の地名の類似が確認されました。民俗学者の折口信夫氏はこの現象を、九州と畿内の間で大きな集団の移住があったのでは、と解釈しました。

 

たとえば近代でも、北海道を開拓した屯田兵が、かつての故郷の名に因んだ地名を各地に名づけた例があります。奈良県の十津川と北海道の新十津川や、北広島などは有名です。

 

九州と畿内(近畿)の地名を比較した地図です。


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以前は、上記を根拠に物部氏は元々は、九州にいて神武東征とともに、近畿に来たという人もいました。しかし、九州では、近畿系の庄内式土器やそれに続く布留式土器が出土しますが、奈良県の纏向遺跡では、九州の土器は出土しません。土器の移動から見ると三世紀の人の流れは、近畿から九州へとなります。~佐藤陽太著「かぐや姫と浦島太郎の血脈」p266


このブログでは、一貫して物部氏は、近畿から九州へ移動したとしています。

第369話:神武西征~健磐龍命


鹿児島県大隅半島南部の古墳群や製鉄遺跡では、出土した鉄剣・鉄鏃・鍬頭などの化学組成が、大和‐畿内の物部氏系金属加工品とほぼ一致することが判明しています。これは、大隅にも近畿の物部氏流の鍛冶技術が伝播した明確な証拠です。


佐藤洋太著「神武天皇と卑弥呼の時代」p72によりますと健磐龍命(*下記)は山城国宇治から瀬戸内海を渡り、宮崎の港、延岡から五ヶ瀬川をさかのぼり高千穂から草部に入ったと言われているそうです。~第369話:神武西征~健磐龍命


ところで、その昔、弥生時代の後期末期の頃まで、奈良盆地には巨大な湖がありました。

「大和湖」とか「奈良湖」と命名されているそうです。このブログでは、奈良盆地湖と呼んでいました。~第26話:奈良に湖 もう一つの古代高速道路か 


磯城郡と大和湖の範囲を重ねてと大和湖中心部と磯城郡域はぴったり重なることがわかり、

奈良湖の周辺にシキという地名がいくつかあります。


磯城(シキ)、城上(シキノカミ)、城下(シキノシモ)、信貴山(シギサン)、椎木(シギ)志紀(シキ)、石切(イシキリ)、石木(イシキ)、石上(イシカミ・イソノカミ)、石川(イシカワ)、新木(ニキ=シキ)。かつて奈良盆地にあった大和湖の本来の名はイシク湖だったりして - たっちゃんの古代史とか


第688話:磯城(しき)は磯嶋(いそしま:枚方市)で書いたように、磯城(しき)は枚方市の磯嶋(磯城嶋:しきしま:敷島)です。


奈良盆地湖の周辺に磯城(しき)という地名が見られるのは、邪馬台国(枚方市)で疫病が大流行し、民の半数が死に、多くのものがこの枚方を捨て奈良県に移住したからだと思われます。邪馬台国の時代にあった河内湖を船でとおりと、大量の荷物も奈良盆地湖に楽に運ぶことができます。~第2話:空白の150年~ミマキ国 第17話:邪馬台国で疫病発生


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*健磐龍命(たけいわたつのみこと)は、神八井耳命の5子とされています。第369話:神武西征~健磐龍命では、「神八井耳命は三毛入野でウツシコオです。」と書きましたが、健磐龍命は台与です。~第451話:磐衝別命と健磐龍命


健磐龍命は、阿蘇都彦命(あそつひこのみこと)と同一人物とする説があり、現在は阿蘇神社の祭神として知られ、阿蘇大明神という神号を持ち、さらにのちには阿蘇山の火山神としても崇められています。健磐龍命=阿蘇都彦命=阿蘇都=台与です。~第428話:阿蘇都媛は台与


九州の物部氏を率いていたのは台与ということです。


※これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>





 
 
 

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