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ヤマトタケルの足跡を訪ねて(2)~都都古和氣神社

  • tootake
  • 8 時間前
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更新日:5 分前

第692話


都々古別神社(つつこわけじんじゃ)は、福島県東白川郡棚倉町にあります。同名神社として2社があり、いずれも陸奥国白河郡の式内社(名神大社)論社で、陸奥国一宮です。

上:馬場都々古別神社(棚倉町棚倉)、下:八槻都々古別神社(棚倉町八槻)

両社はともに味耜高彦根命(アジスキタカヒコネ)と日本武尊(ヤマトタケル)を祭神としています。棚倉町周辺には「都々古別」や「近津」を社名に持つ神社や、馬場社・八槻社同様に味耜高彦根命を祭神とする神社など、分祀社が多数分布しており、南陸奥地方で広い信仰圏を営んだ神社です。


「つつこわけ」の由来については、籾を入れる藁苞(わらつと)の美称「ツツコ」によるという説、「筒」すなわち太鼓状のものを指すという説、長野県諏訪地方の千鹿頭神*に由来するという説などがあります。


*千鹿頭神は、諏訪地方の民間伝承諏訪信仰)では、洩矢神の御子神、孫神、あるいはその異名とされています。建御名方神の御子神の内県神と同視されることもあります。

千鹿頭神とは、守宅神が鹿狩りをした時に1,000頭の鹿を捕獲したことから由来するといわれています。~第557話:御頭祭:鹿と神社


都々古別神社の創建について、馬場社・八槻社とも縁起において景行天皇の時に皇子の日本武尊による起源伝承を伝えています。

社伝によると、味耜高彦根命(アジスキタカヒコネ)は、東土に降り、廣野を拓き民に恩沢を垂給うたので、郷民その徳をしのび 当地に奉斎したと伝う。又、日本武尊(ヤマトタケル)東夷征伐の時、八溝山の夷賊と戦ったが決せず、味耜高彦根命の加護により戦勝を得る。とあります。第553話:阿自岐神社~滋賀県豊郷町安食では、次のように書きました。


滋賀県犬上郡豊郷町大字安食西にある阿自岐神社(あじき神社)では、味耜高彦根神は農耕の神とされています。

社伝では、「この地:安食(あじき)の名は当社名阿自岐に由来するもので食物豊富にて安住できる地の意で、して年穀豊かに稔り、文字通り安食の里となした。

阿自岐=安食=農耕の神=台与(豊)ということです。台与は稲作(農耕)の神です。~饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作 


第687話:戸隠神社と天岩戸伝説天下春命は、武蔵国開拓の祖神であるとされています。第686話:新海三社神社~佐久市でも、佐久郡の人々は興波岐命(台与)の神恩に感謝したと社伝にありますので、興波岐命(おきはぎのみこと)も台与でしょう。

台与は北日本各地で地域を開発し感謝されています。この福島県の都々古別神社でも稲作の神として感謝されています。味耜高彦根神=台与です。日本武尊も台与ですので、後に祭神として付け加えられたのでしょう。~第439話:ヤマトタケルは台与 


社記(文禄3年の社蔵縁起)によると、景行天皇の時に皇子の日本武尊が奥羽に至り、都々古山(福島県白河市表郷三森の建鉾山)に鉾を立てて味耜高彦根命を地主神として祀ったのが創祀とされています。その後、大同2年(807年)に坂上田村麻呂が現在の棚倉城跡の地に社殿を造営し、日本武尊を相殿に配祀しました。創祀地とされる建鉾山は5世紀代の東北有数の祭祀遺跡として知られています。


八槻都々古別神社では、年の初めに稲作の作業過程を模擬的に演じ、豊作を祈願する神事が行われます。神事では拝殿を舞殿とし、祭礼・神楽奉納に続いて伝統的な装束で田植え所作、そして切餅蒔きを行います。神事の内容から室町時代以前に遡るものとされ、都々古別神の農業神としての性格をよく表しています。このブログでは、台与は稲作の普及に深くかかわってきているとしています。~ヤマトタケルの足跡を訪ねて(1)~飯野山神社



日本武尊の東征は、陸奥勢力のヤマト勢力への服属とされていますが、台与の稲作の普及であったのです。


関連項目:第503話:日高見国


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<追記>


味耜高彦根神(アジスキタカヒコネ)の「あじ」は上記で書いたように「安食」そして、第689話:阿智氏・阿直岐で書いた阿智(あち)氏のことでもあります。

さらに「あじ」は「うち(内)」につながります。

ウチはウツの転訛にて、内は、宇治(菟道)、宇智、宇遅、及び渦、珍、宇豆、宇都、宇津に同じ。古事記に木国造の祖 宇豆比古(うづひこ)*と見え、景行紀三年条には紀直の遠祖 菟道彦(うぢひこ)と見ゆ。とあります。台与は、菟道稚郎子(うじの・わき・いらつこ)です。~第129話:菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)

*宇豆比古(うずひこ)は、ウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王です。


アジスキタカヒコネの「スキ」は「シキ:磯城」という説もあります。磯城は、枚方市です。~第688話:磯城(しき)は磯嶋(いそしま:枚方市)



※これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>

   



台与(臺與)のイメージ


 
 
 

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tootake
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