ダイダラボッチ(2):太平山~秋田県
- tootake
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第1069話 #太平山三吉神社 #鵜飼
秋田県にある太平山三吉神社の霊峰・太平山は、かつて「オイダラボッチ(ダイダラボッチ)」の山と呼ばれていました。この山に伝わる巨人伝説は、神社の主祭神である「三吉霊神(みよしれいじん)」の化身ともいわれています。ダイダラボッチと太平山の関係には、以下のようないわれがあります。
太平山(たいへいざん)は、かつて「オイダラボッチ山」や「ダイダラボッチ山」と呼ばれていました。 日本各地に伝わる巨人のダイダラボッチですが、秋田では「三吉さま」の化身であると考えられています。三吉霊神のご利益: 祀られている三吉霊神は「力の神」「勝負の神」として知られ、事業繁栄や勝利成功のパワースポットとして信仰されています。
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第561話:ダイダラボッチ・大人弥五郎では、次のように書いています。
ダイダラボッチは、日本の各地で伝承される巨人です。
山に腰かけ海の水で顔を洗う程の巨駆を誇ったといいます。
宮崎県に伝わる伝承では「洪水で川の土手が決壊し村人が困った時、軽々と持ち上げた大岩で塞いでくれた」「川の水を大岩でせき止め、村人に自分の草鞋を100足作るように要求(悪ふざけ)をした」「高い山に登り、雲をかき回して雷が鳴るのを鎮めようとして村人を驚かせた」など、一般の人間達とは、時に助け時に困らせるなどしつつ、概ね友好的な関係を築いていた巨人とされています。
山や湖沼を作ったという伝承が多く、元々は国づくりの神に対する巨人信仰がダイダラボッチ伝承を生んだと考えられています。
秋田県の横手盆地が湖であったので干拓事業を行った際、ダイダラボッチが現れて水をかき、泥を掬ったため工事がはかどった(鳥の海の干拓伝説)。
昔、東信濃は湖の底だったが、デイラボッチは「岩鼻」という山を砕き水を排出し、平地を作った。
茨城県水戸市大足(おおだら)は、土地の西南にあった山のおかげで村は一日の半分は日陰になり、日が早く暮れてしまい困っていた。そこでダイダラボッチ(この地方ではダイダラボウと呼称)は村人のために山をどけてあげた。しかし、山をどけた跡の土地がえぐれてしまい、雨が溜まるようになったので、川をつくり沼底をさらって水が流れるようにした。
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これらのことから、ダイダラボッチとは、台与(とよ)=秦氏の稲作事業のことだと思います。台与=秦氏は、各地で河川の氾濫を防ぐ工事や池を埋め立てるなどの大規模な工事を行っています。~第924話:秦氏の研究
ということは、この秋田県にある太平山の周辺で台与・スサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米は、河川の改修工事を行っているはずです。
太平山三吉神社(たいへいざん・みよし)は、秋田県秋田市河辺和田和田にあり、その付近に岩見川が流れています。
秋田市河辺と仙北市西木町の境にある大石岳 (秋田県) を水源とする大又川として南西に流れ、鵜養(うやしない)*で小又川、杉沢で杉沢川を合わせて岩見川となります。その後、岩見三内中央部で三内川を合わせ、さらに和田付近で神内川や梵字川を合わせて秋田平野で雄物川へ合流しています。この岩見川は、古くからたびたび洪水を起こす川でした。1979年(昭和54年)の岩見ダムが治水のために建設されています。しかしなお、水害は発生している状況にあり、2023年(令和5年)7月の豪雨では堤防が決壊する被害が出ています。
霊峰太平山に祀る太平山三吉神社は、天武天皇の白鳳2年(673年)5月、役の行者小角*の創建と伝えられ、桓武天皇延暦20年(801年)征夷大将軍坂上田村麻呂東夷征討の際、戦勝を祈願して堂宇を建立、奉納された御鏑は神宝として今に伝えられています。
*役の行者小角はスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米です。~第475話: 役の行者(役 小角)と韓国広足
*坂上田村麻呂は台与です。~第993話:坂上田村麻呂は台与:苅田彦神社
*鵜養(うやしない)はここでは、地名ですが。鵜飼(うかい)は、皇室とも関連のある行事です。宮内庁の記録によれば、律令時代にはすでに鵜匠が宮廷直属の官吏として活動していました。 これは鵜飼が単なる漁ではなく、朝廷の祭祀・食膳・贈答に関わる重要な技術*だったことを示します。
古事記には、鵜飼は隼人の文化であるという記述がります。鵜飼は「照葉樹林文化」を特徴づける要素で、「照葉樹林文化」をもった集団が隼人に多分に含まれていたことが示唆されています。
第1058話:巨樹と台与:蒲生八幡神社と山宮神社では、鹿児島県姶良市蒲生町上久徳にある蒲生八幡神社の早風社で祀られている大人隼人とは、大人弥五郎とも言われ、武内宿禰だという説もあります。隼人=熊襲という説もあります。
武内宿禰はウツシコオです。~第502話:武内宿禰はウツシコオ(2)
大人弥五郎とは、第561話:ダイダラボッチ・大人弥五郎で書いたように、ウツシコオ・台与です。第959話:熊襲のボスは、、、:熊襲惣領では、熊襲も隼人と同様に、古事記・日本書紀が作り上げた架空の概念なのです。と書きました
秋田県から鹿児島にかけてダイダラボッチは、伝説が伝わっています。
このことは、日本各地で台与とウツシコオ・台与の一族が河川の改修工事を行ったことを伝えているのです。
これまでの記事はこちらです。
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<蛇足の追記>
秋田県秋田市河辺和田和田という地名は、大阪府門真市に京阪大和田駅を連想させます。
現在、大和田という地名はこの駅名にしか見ることはできませんが、昭和30年ぐらいまで大和田村と呼ばれていました。大和田の地名の由来は、かつてこの地が入り江であったことによります。
大和田の和田は「わた=海」、わだつみ(海神)という説もあります。そして岸和田の岸は文字通り岸辺のことで、大和田にある河内湖の岸ということで岸和田とされたと思います。
もともと門真市を含む河内平野、大阪平野は淀川と大和川二つの川の水が流れ込む河内湖という巨大な湖でした。その周辺には二つの川から運ばれる土砂が堆積し、砂州と沼地が混在する広大な沼沢地が出来ました。草香江と呼ばれる地域は水と肥えた土に恵まれた巨大な穀倉地帯となった半面、湖が出来るほど水量が流入するにもかかわらず、その出口は上町台地北端は現在の新大阪から江坂付近の一か所しかないため、たびたび水害に見舞われていました。大和川も羽曳野から北上して河内湖に合流し、水の出口は一か所しかありませんでした。和田は谷間の入野に比較してやや広い平地を意味しています。
海と川と陸地が渾然とした沼地だったようでそれらが一体化=和している→大きく和するという意味で、すなわち大和(ヤマト)です。
これまでの記事はこちらです。
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※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、タケミカズチとフツヌシ、神功皇后と武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。
※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>




鹿児島県指宿市にも大平山(おおひらやま)
梵天まつり (秋田県) - Wikipedia
1月17日:三吉梵天祭[4] 太平山三吉神社
みなさん、こんにちは。日々、日本の各地に残る古の伝承を紐解いている私ですが、今回は秋田県にある「太平山」にまつわる不思議な物語についてお話ししたいと思います。皆さんは『ダイダラボッチ』という巨人をご存知でしょうか?日本各地に残るその足跡の謎、今回は太平山という特別な場所から読み解いていきます。
巨人伝説と信仰の深層
太平山は、かつて「オイダラボッチ山」と呼ばれていたことをご存知でしたか?この地では、ダイダラボッチは単なる巨人ではなく、太平山三吉神社の主祭神である「三吉霊神」の化身として伝わっているのです。
勝負の神としての三吉霊神:力の神、勝利の神として、古くから多くの人々が願いを込めてきました。
大地の創造主:海で顔を洗うほどの巨体が、この山を形作ったという伝承には圧倒されます。
太平山とダイダラボッチ。この神秘的な関係性を深く掘り下げた最新の記事を公開しました。事業繁栄や勝利を目指す方にとっても、歴史的なパワースポットとしての魅力が詰まっています。
<台与シリーズ>
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