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金太郎(2):倶利伽羅権現

  • tootake
  • 10月14日
  • 読了時間: 6分

第835話


金太郎は、岡山県で死んだそうです。金太郎(坂田金時)は寛弘7年12月15日(1011年1月21日)、九州の賊を征伐するため筑紫(福岡県)へ向かう途中、美作(みまさか)勝間田荘(岡山県勝央町)の仮陣屋滞在中に重い熱病にかかり、享年55で死去したとされています。岡山県勝央町に、栗柄神社があり、この地では金太郎を「倶利伽羅権現:くりから」として祀り、武運長久や子どもの健やかな成長を願う神様として信仰されています。

勇の武将として知られています。


倶利伽羅(くりから)とは、剛勇・不動の力を象徴する言葉であり、仏教では不動明王が龍に乗って剣を持つ姿「倶利伽羅龍王」として描かれることもあります。このような象徴性が、金太郎の力強いイメージと重なり、武神・守護神としての信仰対象となったのです。


倶利伽羅権現(くりからごんげん)は、八大竜王*の一柱「倶利伽羅竜王」として位置づけられ、不動明王の化身とされる存在です。つまり、倶利伽羅権現*は八大竜王の一員であり、密教的には不動明王の力を象徴する竜王です。


サンスクリット語「Kulika(クリカ)」の音写が「倶利伽羅」で、インドの竜神信仰(ナーガ)に由来します。倶利伽羅竜王は、火焔に包まれた黒龍が剣に巻きつく姿で表現され、これは不動明王の三鈷剣に宿る力の象徴です。~下図参照


八大竜王は、法華経に登場する八柱の竜王たちで、仏法を守護する水神・竜神の集合体です。 難陀・跋難陀・娑伽羅・和修吉・徳叉迦・阿那婆達多・摩那斯・優鉢羅などが挙げられます。 倶利伽羅竜王は、これらの竜王の中でも特に密教的に重要視される存在で、護法神として独立した信仰対象となりました。 八大竜王は、仏法を守護する八柱の竜王で、水神・雨乞いの神としても信仰されています。


・八大竜王はヤマタノオロチ(八岐大蛇)のことで、このブログでは洪水を起こす川としています。~第412話:ヤマタノオロチは淀川~茨田堤2


・第720話:中臣印達神社:権現は台与では、権現は台与であると書きました。

・美作(みまさか)勝間は、兵庫県のたつの市揖保町にも近いところで、たつの市揖保町はウツシコオ、台与の拠点地であることは、何度も述べています。

揖保は、私が邪馬台国とする枚方市とも関係の深い地です。

「太田と称するわけは、昔、呉の勝(スグリ)が韓の国から渡ってきて、はじめ紀伊の国(和歌山)の名草の郡の太田の村に着いた、その後、分かれて摂津の国の三島の賀美の太田の村に移ってきて、それが揖保の太田の村に移住して来た。これは元居た紀伊の国の太田をとって里の名とした。」播磨国風土記には、兵庫県にも枚方(平方)という村があったことが書かれています。大阪府枚方市から移住してきた人々が移り住んだとの言い伝えが残っています。聖徳太子(=台与)斑鳩寺の近くです。~第534話:斑鳩寺・稗田神社~兵庫県太子町


第830話:金太郎と台与では、金太郎は台与としました。


ところで、倶利伽羅権現の「くりから」とは、ヤクザの入れ墨を連想してしまいます。

「くりからもんもん」の「もんもん(紋紋)」は模様の意味の「紋」を重ねた語か、火炎に包まれた竜から「燃え燃え」の意味と言われています。


富山県小矢部市と石川県津幡町の境に「倶利伽羅峠」とよばれる峠があります。寿永二年(一一八三)木曾(源)義仲が平維盛の軍勢をその峠の南斜面にあたる深い谷に「火牛の計」で攻め落としたことで有名です。

この倶利伽羅峠の名も、その峠に倶利迦羅不動を祀る堂が存在したことに由来しています。倶利迦羅竜王もその一つである八大竜王は、みな護法の善神として挙げられる存在である。中でも倶利迦羅竜王の形象に表された凄みは、仏法を護り、かつ一切の邪悪、罪障を滅ぼす力を表現するものであったのです。しかしそれが、江戸時代にはいると、博徒(ばくと)[ばくち打ち]が背中に倶利迦羅竜王の刺青を背負うようになってしまいます。


倶利迦羅 | 生活の中の仏教用語 | 読むページ | 大谷大学では、「倶利迦羅竜王を、仏法を護るものから一人の人間を護るものへ、邪悪や罪障を滅ぼすための力の表現が、他人を威嚇する力へと読み替えられたためです。このことは、社会が、人間を中心に動き始めたことと表裏の関係にあるといえます。倶利迦羅という言葉から「倶利迦羅紋紋」しか連想しえない現実は、現実の社会が、その延長線上にある仏の世界を見失った、人間中心の感性の上に成り立っていることを象徴している。」と書かれています。


全く同感です。言い換えると、江戸時代以前までは、倶利伽羅権現の権威があったわけです。スサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)台与の記憶も江戸時代には、完全に忘れ去られてしまったといえます。


これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>




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1件のコメント

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tootake
10月13日
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