邪馬台国と牛
- tootake
- 3 日前
- 読了時間: 5分
更新日:1 日前
第1044話
前回:ワカフツヌシ:出雲と台与(10)では、「ワカフツヌシは牛飼神とされています。」と書きました。
風説ではワカフツヌシは、牛を飼育する技術に長けている牛飼神として信仰されており、現在の出雲大社本殿には和加布都努志命(ワカフツヌシ:若布都主)と耕牛の神像が心御柱の側に祀られています。日本では牛が出雲を中心に中国地方で数多く飼育されており、牛飼神とされるワカフツヌシの信仰圏と重なっていることが論じられています。
このブログでは、牛はウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)=難升米のキーワードとしてきました。
・スサノオ=ウツシコオは牛頭天王として祭られています。
・頭に角が生えた人=ツヌガアラシヒト=アメノヒボコはウツシコオです。
おそらくウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)は戦の時、角(ツノ)のついた兜をかぶっていたのでしょう。
・事代主=賀茂建角身命(たけつのみ)=八咫烏です。
~第388話:スサノオのキーワードは角と竹と、、
・先代旧事本紀は、日子寤間命の同母兄弟である稚武彦命を牛鹿臣の始祖とすると書いてあります。日子寤間命は、彦狭島命(ひこさしまのみこと)の別名です。第371話:彦狭島命~吉備児島では、彦狭島命はウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)としています。
・第374話:牛鹿臣はウツシコオ!では、「古事記の孝霊系譜では、針間牛鹿臣は、宇自可臣とみえ、孝霊天皇の御子、彦狭島命の後なり」と書かれています。
牛鹿臣には笠朝臣に改姓する者が多く、笠朝臣が稚武彦命の後裔を称しています。
若建吉備津日子命も、孝霊天皇の子で桃太郎とされる人物です。
稚武彦命(ワカタケヒコ)=若布都主(ワカフツヌシ)=台与です。
※「彦狭島」の「狭島」は「鹿島」と同義とされています。鹿島はタケミカヅチのことです。鹿島神宮では武甕槌大神(タケミカズチ)を祀っています。タケミカヅチは台与です。
~第441話:タケミカヅチは台与!!
風説ではワカフツヌシは、牛飼神とされているのは、父親であるウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)=難升米と混同されたものと思います。
=========================================
<蛇足の追記>
大阪市大桐に乳牛牧跡(ちゅうしまきあと)という地名があります。
古代律令制時代以来、典薬寮(てんやくりょう:朝廷で医薬を取り扱っていた官省)に所属していた牛牧「味原牧(あじふのまき)」がありました。「味原牧」は、摂津市の味原(あじふ)の地から淀川が分流する江口の下流部(現在の南江口・大桐・大道南あたり)に分布していたといわれ、乳牛を飼育していたことから「乳牛牧」と呼ばれていました。
牛牧の住民は牛を飼育して、牛乳や蘇(そ:牛乳を煮つめて濃くしたもの)、酪(らく:牛乳を精煉した飲料、それから作るチーズなど)を製造するとともに、毎年、母牛と子牛を典薬寮の乳牛院に送ることが義務づけられていました。そのため、一般の所役や雑役を免除され、その特権を活かして次第に田畑を開拓し、その田畑は年貢課役が免除されたため、中世には牧の中に田畑が広がり荘園(私有地)化していきました。
日本書紀:安閑天皇2年9月条に「牛を難波大隅島と媛島松原に放つ」と記されていることから、古代よりこの付近に乳牛牧があったと思われます。大桐5丁目には、乳牛牧跡の碑が建てられています。第622話:大阪と邪馬台国:大桐(だいどう)・豊里で書いたようにこの辺りは、豊里(=台与の里)です。
これまでの記事はこちらです。
{広告}
本能寺の変、秀吉の中国大返しを描く、娯楽超大作、絶賛発売中!!
200円です。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、タケミカズチとフツヌシ、神功皇后と武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。
※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>




またコメントします。😅
出雲大社の牛と馬の像を見て思ったんですけど、牛頭天王の『牛』と『午』(うま、ご) の漢字、似てますよね。『牛頭天王』は『午頭天王』でもあるんでしょうかね。😄
『牛像』って意外な所にありますね。
伊勢下宮(豊受大神宮)域内にも牛像が祀られている所があります。
勾玉池の『茜社』にある『茜牛天神』の社殿内に『牛像』が座っています。
すぐ近くには『豊川茜稲荷神社(旧豊受稲荷大明神)』があります。
伊勢下宮の鎮座地って『豊川町』なんですね。
武内宿禰の考察④(「内」について) - 古代日本国成立の物語
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E4%BC%AF%E7%9B%B4
皆さん、こんにちは!古代史のロマンを追いかける私ですが、今回はちょっと変わったテーマでお話ししたいと思います。それは、「邪馬台国」と「牛」なんです。まさか、あの神秘的な邪馬台国と、私たちの暮らしに身近な牛が、こんなにも深く繋がっていたなんて!
歴史の糸をたどると、意外な発見がたくさんありますね。特に、古代の神話や信仰と、当時の人々の生活がいかに密接だったかを考えると、ワクワクしてきます。
牛飼神ワカフツヌシの正体
前回のお話では、「ワカフツヌシ」という神様が牛飼神として知られていることをお伝えしました。風説によれば、彼は牛を飼育する技術に長けた神様として、特に現在の出雲地方で信仰されていたそうです。なんと、出雲大社のご本殿にも、和加布都努志命(ワカフツヌシ)と耕牛の神像が祀られているんですよ!
面白いのは、このワカフツヌシの信仰圏が、牛が多く飼育されていた中国地方、特に山陰地方と重なるという説があることです。古代の人々が、自分たちの生活に欠かせない動物に神様を見出し、崇めていた様子が目に浮かぶようです。
スサノオ、牛頭天王、そして角
このブログでは、これまでにも「牛」をウツシコオ(内色許男命)、つまりスサノオ(津田の王)=難升米といったキーワードと結びつけてきました。スサノオが「牛頭天王」として祭られているのはご存知の方もいるかもしれませんね。
また、「頭に角が生えた人」を意味するツヌガアラシヒト=アメノヒボコとも、ウツシコオ(スサノオ)は繋がっています。これは、スサノオ(ウツシコオ)が戦の際に、角(ツノ)のついた兜をかぶっていたのではないか、という想像を掻き立てられます。神話の世界では、こうした象徴的な装いや表現が、その人物の力強さや威厳を表していたのでしょう。
さらに、事代主=賀茂建角身命(たけつのみ)=八咫烏とも関連していると考えると、古代の神々がいかに複雑に絡み合っているかがわかります。これらの繋がりを紐解くたびに、歴史の奥深さに感動しますね。
『先代旧事本紀』によれば、日子寤間命の同母兄弟である稚武彦命が、牛鹿臣(うしかのおみ)の始祖ともされています。こちらも「牛」という言葉が入っていて、古代において牛が人々の暮らしや氏族のルーツに、いかに深く関わっていたのかを物語っているようです。
<台与シリーズ>
hidemaru3375.com/post/天鈿売命(うずめ)は台与(豊)
https://www.hidemaru3375.com/post/かぐや姫は、台与(とよ)
https://www.hidemaru3375.com/post/磐井の乱と台与
https://www.hidemaru3375.com/post/豊受姫(豊受大神)は崇神天皇
https://www.hidemaru3375.com/post/火明命は饒速日なのか??
https://www.hidemaru3375.com/post/豊鍬入姫命-日光と男体山・女峰山
hidemaru3375.com/post/台与と秦氏 敏達天皇は台与(豊)
衣通姫(そとおりひめ)は台与(豊) 雄略天皇は台与(豊)!
孝昭天皇は台与:日原は目原 飯豊王女は台与(トヨ)なのか?
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(2)大原足尼命はトヨ 大宜都比売(おおげつひめ)は台与
倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)はトヨ?? 神八耳命は台与(豊)
饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作 台与は饒速日②~交野市倉治
小楯姫は台与:小楯は枚方 四道将軍:日子坐王は台与!
少彦名大神(スクナヒコ)は台与! 大彦は台与!??
ウマシマジは台与! 阿蘇都媛は台与
沼河比売は小楯姫=台与 タケミカヅチは台与!!
ヤマトタケルは台与 瓊瓊杵尊:ニニギは台与
継体天皇はトヨ(台与)??! 継体天皇は台与2~大々杼郷:楯原神社
継体天皇は台与3~田井(寝屋川市) 英彦山と台与