鷹居八幡神社:鷹と台与
- tootake
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第1147話
鷹居八幡神社は、大分県宇佐市大字上田にあります。
鷹居八幡神社は、応神天皇(=八幡神=台与)の御神霊が宇佐の亀山(小椋山)に出現、小椋山に宇佐神宮として祀られる前に、鷹居山に和銅3年(710)社殿が造営されたといいます。その後神霊は小山田を経て小倉山に移されましたが、宇佐神宮の摂社として祀られるようになったといいます。
鷹居八幡神社の由緒(境内掲示)によりますと、応神天皇の神霊は和銅三年(七一〇)に出現したとあります。応神天皇の御神霊を八幡大神と称するようになったのは、豊前国宇佐郡宇佐の亀山(小椋山・菱形山:〒872-0102 大分県宇佐市南宇佐)の麓に三才の小児*としてあらわれ「吾れは応神天皇の御霊広幡八幡麻呂なり」と大神比義に諭されたのによります。
*この三才の小児は、台代です。~第715話:大元神社:3歳の台与がいたところ
その後神殿を造営するにあたり、人皇四三代元明天皇和銅三年(七一〇)この鷹居山に、3才の小児が鷹となって飛来し、再度、大神比義に諭され、大神比義は朝廷に社殿のご造営を奏し、ここに八幡大神の神霊を祀る最初の霊地「やしろ」が造営されたといいます。
鷹羽の神紋を掲げる神社群がこの域に密集しており、鷹の巣(〒806-0047 福岡県北九州市八幡西区)や、鷹取(〒879-3302 大分県佐伯市宇目大字南田原)など鷹の付く地名がみられます。
小郡あたりの羽白熊鷲(はしろくまわし)伝承では、高木神は鷹の姿で現れ、横隈の隼鷹神社に祀られていました。「鷹」とは高木神*の「たか」に由来するとされています。鷹は、単独で空高く飛び、猛禽ともされたことから神とされています。
*高木神はウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)=難升米です。~第246話:高御産巣日神(高木神)
高木神は、高良山(福岡県久留米市)に進駐し、高良山に居座った玉垂神は、高良玉垂宮神秘書などの古文書では、武内宿禰や藤大臣、阿曇磯良丸、あるいは住吉神(底筒男尊)などと同一視・変遷があったと伝えられ、その正体には多くの謎や説が存在します。
*第495話:高良玉垂命(高良大社)と武内宿祢
宇佐氏も高木神の後裔で鷹羽の神紋です。
宇佐氏は、高木神の5世孫である剣根命(つるぎね)の後ともされ、日田の日下部に拘わる比多(日田)国造と同祖ともされています。宇佐氏は駅館川右岸において、八幡祖神の「鷹」の伝承に拘わり、鷹居社を創設しています。
大分県にある宇佐八幡宮の大宮司職は、大神氏(おおみわ=三輪)→辛嶋氏→宇佐氏となっていますが、いずれも台与と関連のある氏族です。~第899話:宇佐氏と辛嶋氏~宇佐八幡宮
阿蘇の各宮や香春の古宮八幡宮(阿曾隈宮)の神紋も「鷹羽」で、古くは阿蘇山が鷹山と呼ばれ、「鷹」を通じて、阿蘇*と高良と香春と英彦山と宇佐が繋がっています。
*阿蘇→阿蘇都姫は台与です。~第428話:阿蘇都媛は台与
田川郡誌に、景行天皇の伝承では、「鷹羽」は、「田川」の起源とされています。さらに、「吾勝山」という現地でしか分からない地名も記されています。
神武天皇が筑紫国(福岡県)を巡幸された際の伝承の一節に次のようなことが書かれています。
「神武天皇都を中州に定めんと欲し、出発の時、駒主命を鷹羽の吾勝野に得て、収めて先導となし、筑紫国に幸す。」
この「吾勝野」の「吾勝」は、正勝吾勝々速日天忍穂耳命の「吾勝」のことでしょう。
天忍穂耳尊(アメノオシホミミ)は、アマテラスの子で、神武天皇の高祖父とされています。
第473話: 英彦山と台与で書いたように、英彦山神宮の祭神は正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと:忍骨命)です。第438話:hidemaru3375.com/post/天忍穂耳尊は饒速日!? では、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命は饒速日(ニギハヤヒ)のこととしました。
饒速日(ニギハヤヒ)は台与です。~第1142話:ニギハヤヒと高倉下~交野市倉治
宇佐の亀山(小椋山・菱形山:〒872-0102 大分県宇佐市南宇佐)の麓に三才の小児としてあらわれたという記述を信じるなら、この時には、卑弥呼は生きていたことになります。
台与は、卑弥呼が亡くなったのちに邪馬台国の大王(おおきみ)として即位したからです。
辛嶋氏伝承では、応神天皇=八幡神=台与の御神霊は、大和国の膽吹嶺、紀伊国の名草海島、吉備宮の神島と各地を転々と移動したことが述べられています。第533話: 弓削部虚空で書いたように、卑弥呼とスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)、台与との間に何かトラブルがあったことをうかがわせます。
正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(あめのおおしほほ=台与)は、地上世界を治めるよう命じられながらも降臨を辞退したエピソードで知られています。
これまでの記事はこちらです。
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※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、タケミカズチとフツヌシ、神功皇后と武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。
※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>

猿田彦はウツシコオです。~第596話:彦狭知の物語8~猿田彦



<台与シリーズ>
hidemaru3375.com/post/天鈿売命(うずめ)は台与(豊)
https://www.hidemaru3375.com/post/かぐや姫は、台与(とよ)
https://www.hidemaru3375.com/post/磐井の乱と台与
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hidemaru3375.com/post/台与と秦氏 敏達天皇は台与(豊)
衣通姫(そとおりひめ)は台与(豊) 雄略天皇は台与(豊)!
孝昭天皇は台与:日原は目原 飯豊王女は台与(トヨ)なのか?
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(2)大原足尼命はトヨ 大宜都比売(おおげつひめ)は台与
倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)はトヨ?? 神八耳命は台与(豊)
饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作 台与は饒速日②~交野市倉治
小楯姫は台与:小楯は枚方 四道将軍:日子坐王は台与!
少彦名大神(スクナヒコ)は台与! 大彦は台与!??
ウマシマジは台与! 阿蘇都媛は台与
沼河比売は小楯姫=台与 タケミカヅチは台与!!
ヤマトタケルは台与 瓊瓊杵尊:ニニギは台与
継体天皇はトヨ(台与)??! 継体天皇は台与2~大々杼郷:楯原神社
継体天皇は台与3~田井(寝屋川市) 英彦山と台与