北九州と神武天皇(=台与)
- tootake
- 2 日前
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第962話
前回:御牧と言う地名あり下流域に水巻町では、「水巻も台与(=神武天皇=饒速日)が居た地であることは間違いなさそうです。」と書きました。
台与(神武天皇)が、北九州に来た理由は、はっきりしています。
北九州には、豊富な地下資源があるからです。
香春神社は、古来銅の産出で有名な香春岳の山麓にあり、古宮八幡宮は大字採銅所にあります。ここは筑豊地域でかつては三池炭鉱で賑わった地です。「香春」(かはる)はもともと「カル」。「カル」は、金属とくに銅のことです。
祭神は辛国息長大姫大目命、豊比売命です。日本三代実録は、豊比売命を辛国息長大姫大目命と同一しています。香春町には古宮八幡宮(福岡県田川郡香春町大字採銅所)もあり応神天皇と神功皇后を祀っていますが、元々の祭神は豊比売命だったとされています。
神功皇后も豊比売命も台与(豊)です。
そして九州は日本での稲作文化の発祥の地でもあります。稲作文化の背景には鉄があったという説もあります。
香春岳の葦の生える湿原に鉄が得られ,それが文字通り稲の生育を約束するものであったのです。稲作に鉄製農具は必須です。台与(=秦一族)は製鉄し,その鉄で農具などを作ったのです。
第59話:高師小僧~大阪府高石市では、次のように書きました。
高師小僧とは鉱物の名前です。「高師」は昔、「高蘆(たかし)」と言わ れていた様で,蘆(あし)」とは植物の「葦(よし)」の事です。浅い沼が広がる湿地帯で繁殖する植物で、高師小僧はそのような沼地にあります。湖沼鉄のことです。振るとカラカラと鈴の音がするので「鈴石」とも呼ばれています。核となる粘土などに鉄分が殻のように巻き付いてできたと 考えられる褐鉄鉱の一種で、内壁の小石が剥離して中で動き音をだす。国指定の天然記念物でもあります。
水に流された褐鉄鉱が水中の微生物の作用で沼地に沈殿し、バクテリアによって鉄が集積され低温での製鉄に適する沼鉄鉱ができるのです。
台与(=秦一族)は泥湿地に多量の鉄資源を発見しました。しかし, 鉄生産の増大は一方で資源の枯渇をもたらします。というのは,葦などの水草はあれば良いというものではなく採鉄は作 業可能な水深の部分に限られるからです。湖沼鉄は30~40年で再蓄積するので居残った者たちもいましたが、は新しい水草を求 めて各地に移動していきます。これが神武東征であるという説もあります。
九州北部で始まった本格的な水田稲作の拡散は、遠賀川式土器や高身長の人骨が西日本の広い範囲に短期間で拡がる事実を根拠とする直接伝播説があります。
遠賀川 式土器は、大阪府高槻市で見つかっていた安満遺跡*で見つかった土器と類似しています。遠賀川 式土器は、大阪府高槻市で見つかっていた安満遺跡*で見つかった土器と類似しています。小林行雄氏(考古学者:京大名誉教授)はこの土器をもとに、近畿の弥生文化成立に関わる重要な指摘をしておられます。
*安満遺跡~第309話:邪馬台国は北摂!!
そして、神武天皇(=台与)は、日向を出発し一旦、宇佐に向います。一見回り道のようなコースを取ったことに疑問を持つ研究者もいますが、神武天皇がなぜ宇佐に行ったかというと、第612話:鉱物資源と邪馬台国(10)~宇佐八幡宮で書いたように、宇佐を含む大分県の北部は金の鉱床の密集地だからです。近隣の杵築市、中津市にかけて金山が集中しています。これらの金山の炭鉱掘は戦国時代から江戸時代にかけてですが、金と朱(水銀)の鉱床が重なるのはよくあることなのです。菱刈鉱山(鹿児島県伊佐市)も朱の鉱床と重なっています。温泉で有名な別府市の別府金山も朱が産出します。
第466話:辛国息長大姫は台与!では下記のように書きました。
秦氏(=台与)は、江戸期の三井家に似ています。三井家は京都市に本拠を置き、三井三池炭鉱を経営していました。秦氏は京都の太秦に本拠を置き、古宮八幡宮=田川郡香春町大字採銅所を経営していました。第73話:鬼道はサイエンス ~古代天皇は技術者&ビジネスマンとすると台与(豊)は広岡浅子でしょう。参照:春よ、来い (テレビドラマ) - Wikipedia
これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。
※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>



泳宮と喪山① | こんどう史科医院の裏ブログ
日本書紀 巻第七の一
<台与シリーズ>
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