花童子行者~四阿山
第1227話
四阿山(あずまやさん)は、長野県と群馬県の県境に跨る山です。標高2,354 m。日本百名山の一つに数えられています。吾妻山・吾嬬山(あがつまやま)などとも呼ばれます。
「花童子行者(げどうじぎょうじゃ)」は、四阿山(吾妻山)を舞台に活躍したとされる伝説的な修験者(山伏)ですが、歴史的な個人名というよりも、四阿山における山岳信仰(修験道)とその本尊を体現した象徴的な存在として語り継がれています。
古くから信仰の山であった四阿山の鳥居峠からの登山道(上州古道)には1町(丁、109.09m)ごとに祠が設けられており、花童子の宮跡はかつての修験道(白山権現)の繁栄の名残です。
嬬恋村の文化財記録や四阿山の縁起によると、花童子の宮にはもともと「蓮華童子(れんげどうじ)」という仏・菩薩が本尊として祀られていました。
修験道の世界では、厳しい修行を行う行者たちの前に、山の神や仏が「童子(子どもの姿をした神仏)」の姿を借りて現れるという信仰があります。この「蓮華童子」の信仰が、時代を経て山で修行する具体的な「花童子行者」という名や伝説に変化し、彼の徳行(素晴らしい行いや修行の成果)を称える形へ繋がったと考えられています。
四阿山は、奈良時代の養老2年(718年)に加賀の白山権現が勧請(かんじょう)されたと伝わる、非常に古い修験道の霊山です。花童子行者は、この白山信仰*に基づいて山にこもり、厳しい滝行や断食、山中を駆け巡る回峰行などを行った修験者たちの代表的なイメージです。彼が行ったとされる「加持祈祷(病気平癒や五穀豊穣を祈る呪術)」が、麓の村人たちを救ったという記憶が「徳行」として語り継がれ、中宮(現在の宮跡)にその魂や功績が祀られるようになりました。
「蓮華童子」の信仰が、時代を経て山で修行する具体的な「花童子行者」という名や伝説に変化し、彼の徳行(素晴らしい行いや修行の成果)を称える形へ繋がったと考えられていま
ところで、第475話: 役の行者(役 小角)と韓国広足では次のように書きました。
役 小角(えんの おづぬ)は山岳修行者の祖です。山に入ったのは鉱脈を探索するためとする説もあります。役小角は秦総合商社(=邪馬台国)の鉱山技術者だったと思われます。役 小角も秦大津父=スサノオ=ウツシコオ(内色許男命)=難升米です。
~秦大津父~第471話:秦大津父と平原広沢
古代天皇=大穴持ち(オオナムチ)は、鉱山の経営者でした。そしてまた、銅鏡、銅鐸、銅剣の製造業者でもありました。鉱物、朱、水銀、ベンガラ、錫、など様々の知識、技術を持っていました。言い換えれば化学者でもありました。参照:鬼道はサイエンス ~古代天皇は技術者&ビジネスマン
役 小角の役 とは、役民(無償労働にかり出された者)を管掌した一族であったために、「役」の字をもって氏としたとされています。この氏族は大和国・河内国に多く分布していたとされています。山岳修行者は太子や花郎(ふぁらん)と呼ばれていました。
四阿山火山群(四阿山・根子岳・浦倉山周辺)のカルデラ内には大規模な硫黄鉱床が存在し、硫黄鉱山が操業していました。有名なのが長野県須坂市側の米子硫黄鉱山(米子鉱山)
江戸時代には幕府へ硫黄を献上し、明治以降は本格的な採掘が行われました。
群馬県側には小串硫黄鉱山や浦倉鉱山などもあり、四阿山周辺一帯は古くから硫黄産地として知られていました。
続日本紀に、和銅6年(713年)には「信濃石硫黄」が朝廷へ献上された記事があり、この硫黄が四阿山周辺由来である可能性も古くから議論されています。
古代において硫黄は、宗教・儀礼、医療、そして軍事・技術的な用途など、多岐にわたって利用されていました。
古代の中国や日本において、硫黄はその独特のにおいや燃焼時の炎の色から、神秘的な力を持つ物質として扱われていました。
・不老長寿の薬・錬丹術(道教): 中国の道教における錬丹術(仙人になるための薬や不老不死の妙薬を作る試み)では、硫黄は水銀などとともに主要な原料の一つとして盛んに調合されていました。ただし、実際には猛毒であるため、これを飲んだ皇帝や貴族が中毒死する例も少なくありませんでした。
・魔除け・消毒・祓い: 独特の強い臭いや殺菌作用があることから、悪霊や害虫を追い払うための呪術的な浄化や、空間の消毒に用いられました。
・古代中国の薬物学書である神農本草経(しんのうほんぞうきょう)などに硫黄(石硫黄)が収載されており、日本にも古くから伝来していました。
・皮膚病の治療: 硫黄には強い殺菌作用や角質を軟化させる作用があるため、皮膚病(疥癬や湿疹など)の外用薬として利用されていました。
花童子の「童子」とは、13歳で邪馬台国の大王に即した台与(豊)のことだと思われます。
熊野三山の御子神(童子神)は熊野古道の“参詣儀礼ステーション”で、熊野へ向かう参詣者が必ず巡拝した中継点のことです。熊野古道には約100か所に「王子」があり「九十九王子」ともよばれています。童子とは、13歳で邪馬台国の大王に即位した台与のことでしょう。~第1192話:若一王子~兵庫県神戸市灘区
綿津見神(わたつみ)も、少童命はと表記されます。このブログでは、少童といえば、13歳で邪馬台国の大王に即位した台与です。つまりワタツミは台与ということす。
*白山信仰と台与については、第965話:菊理媛神(ククリ姫)と白山信仰
第1086話:平泉寺白山神社と菊理媛で書いています。
関連項目:第63話:丹・朱を求めた天皇たち
これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。
※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>
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天石立神社 - Wikipedia
手力雄命(たぢからおのみこと)が、天岩戸の扉を引き開けた時に、力余って、ここまで飛んで来た岩戸の扉であるという伝承がある。
阿太加夜神社 - Wikipedia
出雲郷村(あだかやむら[1][2][注釈 1])は、島根県八束郡にあった村。現在の松江市東出雲町出雲郷、東出雲町春日、東出雲町今宮、東出雲町内馬、東出雲町須田にあたる[1]。
『雲陽誌』に「出雲江」とあり、「俚民出雲里と書いて『あたかえ』と読む(中略)阿太加夜の神社を勧請す、故に本名出雲江といわずして阿太加夜といいけるにや」と記す[1
揖夜神社 - Wikipedia
アダカヤヌシタキキヒメ - Wikipedia
「花童子行者~四阿山」を、これまで一貫して展開されてきた「地名から読み解く邪馬台国」という観点から評価するなら、この考察の特徴は、四阿山を単なる山岳信仰の霊場としてではなく、古代日本列島の資源・交通・祭祀ネットワークの結節点として再定義している点にあります。
一般的な歴史学や民俗学では、花童子行者伝承は修験道史や山岳信仰史の中で理解されます。しかし、この考察ではその枠組みを離れ、
四阿山
鬼ではなく鉱山民
硫黄
温泉
修験者
東山道
を一本の線で結び、伝承の背後にある実体を探ろうとしています。
特に興味深いのは、四阿山周辺に実際に硫黄資源が存在していた事実と、山岳修行伝承を重ね合わせている点です。
通常の歴史学では、
として別々に扱われます。
しかしこの考察では、
という方向から逆算していきます。
四阿山は、
上野国と信濃国の境
東山道沿線
硫黄資源地帯
温泉地帯
という複数の要素が重なる場所です。
そのため花童子行者という存在も、
単なる宗教者ではなく、
鉱山開発者・資源探査者・交通路開拓者の記憶が神秘化されたものではないか
という視点が生まれてきます。
さらに、一連の研究に共通する特徴は、地名を単なる地理情報として見ないことです。
四阿山という山名、周辺の温泉地名、鉱山地名、修験道の拠点名を相互に関連づけながら、
古代人の移動経路そのものを復元しようとしています。
この手法は考古学的実証を重視する立場からは大胆に見えるかもしれませんが、逆に言えば、
地名の保存力を最大限に評価し、その地名自体を史料として扱う試み
とも言えます。
そして「地名から読み解く邪馬台国」というシリーズ全体のなかで見ると、この「花童子行者~四阿山」は、邪馬台国論そのものを直接論じた回ではなく、
という背景構造を補強する位置づけの考察として読むことができます。
つまり、
四阿山は資源の山
資源の山には交通路が集まる
交通路には祭祀が伴う
祭祀の中心に伝承が生まれる
という連鎖の中で花童子行者を捉えているわけです。
その意味でこの考察の魅力は、伝説を伝説のまま崇拝するのではなく、伝説の背後にある古代の人々の行動原理を探ろうとする点にあります。
まさに、
四阿山を「山岳信仰の山」ではなく「資源・交通・祭祀が交差する古代ネットワークの結節点」として再発見したところに、このページの最大の独創性があると言えるでしょう。
<台与シリーズ>
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孝昭天皇は台与:日原は目原 飯豊王女は台与(トヨ)なのか?
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(2)大原足尼命はトヨ 大宜都比売(おおげつひめ)は台与
倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)はトヨ?? 神八耳命は台与(豊)
饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作 台与は饒速日②~交野市倉治
小楯姫は台与:小楯は枚方 四道将軍:日子坐王は台与!
少彦名大神(スクナヒコ)は台与! 大彦は台与!??
ウマシマジは台与! 阿蘇都媛は台与
沼河比売は小楯姫=台与 タケミカヅチは台与!!
ヤマトタケルは台与 瓊瓊杵尊:ニニギは台与
継体天皇はトヨ(台与)??! 継体天皇は台与2~大々杼郷:楯原神社
継体天皇は台与3~田井(寝屋川市) 英彦山と台与