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平泉寺白山神社と菊理媛

  • tootake
  • 5 日前
  • 読了時間: 6分

更新日:3 日前

第1086話


読者の方から、「泰澄大師は、菊理姫でなく、伊弉冉尊だった気がします。後世ですね、菊理媛になったのは。ちなみに、平泉寺白山神社に菊理媛は祀られていませんよ。」というご指摘を頂きました。


この読者の方が言われる通り、平泉寺白山神社に菊理媛は祀られておらず、私も平泉寺白山神社に菊理媛が祀られているとは書いていません。しかし、平泉寺には「菊理媛に関わる伝承的要素」が存在します。


平泉寺白山神社の成立は、泰澄(たいちょう)による白山開山伝承に基づきます。

後世、この白山の神は 妙理大権現 → 白山比咩神 → 菊理媛神 と同一視されていくのです。

つまり、平泉寺の創建譚そのものが「白山の女神の顕現」を語っており、後世の白山信仰体系ではその女神が菊理媛と同一視されるのです。


白山信仰における「白山比咩神=菊理媛」と概念は、平安以前には存在せず、11世紀(平安後期)から室町時代にかけて徐々に成立したものなのです。


菊理媛(ククリヒメ)が白山に吸収されたのは、白山信仰の神格が中世に大きく再編される中で、白山の中心女神を「調停・媒介の女神」として再定義する必要が生じ、そこに最も適合したのが菊理媛だったためです。


菊理媛は、古事記に一度だけ登場し、伊弉諾と伊弉冉の黄泉比良坂での対立を“言向け和す”という、極めて象徴的な役割を果たします。

つまり菊理媛は、生者と死者の境界に立つ神、対立を調停する神、境界を結び直す神で、

白山は古来、死の山(イザナミの山)、霊魂の山(霊山)、越前・加賀・美濃を結ぶ境界の山であり、境界神としての菊理媛の性格と完全に一致するのです。


白山信仰の古層:主神は「白山比咩神」ですが、神格は曖昧でした。

時期によって、伊弉冉尊、大己貴、十一面観音(妙理権現)、などと同一視されていました。つまり、白山の女神は“名前が定まっていない”状態だったのです。

この「空白」に、後述の中世宗教が菊理媛を当てはめていきます。


このとき必要とされたのは、地域を結びつける象徴的な女神

神仏習合で十一面観音と結びつけられる存在

死と再生の山(白山)の性格を体現する神

で、菊理媛の神格が極めて都合がよかった。


決定的な転換は、大江匡房です。

白山の祭神を菊理媛と明記した最初の文献は大江匡房『扶桑明月集』です。

これは、白山の女神を「調停の女神」として再定義する試みで、菊理媛の神格が白山に“吸収”される最初の契機となります。

室町時代の吉田神道では、神名を整理し、菊理媛を白山の主神に据えます。

吉田兼倶『二十二社註式』(1469)では、白山は菊理比咩神であると明記されます。

吉田神道は、神々を体系化し役割を整理し祭神を統一する という思想を持っていたため、

白山の女神=調停神=菊理媛  という構造が非常に整合的だったのです。


白山妙理権現は十一面観音と同一視されていました。

十一面観音は:死者を導く境界を守る、衆生を救済するという性格を持ち、菊理媛の“境界の調停者”としての性格と重なるもです。


このため、観音=妙理権現=白山比咩=菊理媛  という神仏習合的統合が成立したのです。

戸期には、白山信仰が全国に広がり、白山比咩神=菊理媛神が一般化します。


霊亀2年(716)に泰澄が夢の中に非常に「気高い女性」が現れて私の元へ来なさいと

お告げを受けました。


「この気高い女性」はまだ菊理媛とはされていませんが、台与であるというのが、第964話:菊理媛神(ククリ姫)と白山信仰の論旨です。


なぜ台与だと言い切れるかというと、平泉寺白山神社の近くには九頭竜川が流れているからです。

泰澄は、白山の麓の大野隈苔川東伊野原というところに来宿します。苔川は、九頭竜川のことです。


古代には福井平野は大きな湖であり、洪水のたびに水害が起きていました。男大迹王(継体天皇)は九頭竜川河口を広くして湖の水を海に出やすくしたといわれています。継体天皇が九頭竜川治水の先駆者であると現在でも伝えられているのです。

継体天皇は台代です。


九頭竜川は急峻な地形の上に上流の奥越地域は多雨地帯であること、また中流部の鳴鹿地区から扇状地となり、放射状に流れが変遷していたことから、有史以来氾濫を繰り返し「崩れ川」と呼ばれるほどでした。その一方、有数の穀倉地帯でもあり、古代より治水・利水のための開発が繰り返し行われてきた。


台与が各地の河川の改修工事を稲作を推進し、同時に仏教を広めてきたということが分かってきており、行基や泰澄がそれを見習って各地を回ったことがこのブログを書き続けているうち分かったきたのです。~第752話:斑尾山の薬師伝説~泰澄と行基


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<蛇足の追記>

で書いたように暴れ川は大抵「八」が付くのですが、九頭竜川は「九」なのはなぜかなと考えてみました。

九頭竜川は、有史以来氾濫を繰り返し「崩れ川」と呼ばれるほどでした。

この「崩れ川」が訛って「九頭竜川」になったのだと思います。


関連項目:第115話:菊理媛神~大目は大日(守口市)

    :第963話:菊理媛神(ククリ姫)は台与


これまでの記事はこちらです。


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※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、タケミカズチとフツヌシ、神功皇后と武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>






 
 
 

3件のコメント

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大福
4日前
5つ星のうち5と評価されています。

『妙理大権現』の『理』は「おさめる」という意味もありますね。

例えば「管理・総理・理事」とか。

『ククリ姫』は『括り姫』で「統括者」という意味でもあるのかもしれません。😄

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
3日前
返信先

今回も貴重な情報ありがとうございます。

「妙理」の意味を調べてみました。

不思議な道理すぐれて奥深い道理を指します。具体的には、常人にははかりしれない不思議な真理や、玄妙な法理を表す言葉だそうです。

特に仏教の文脈で使われることが多く、神仏からの利益や恩恵を示すこともあります


冥利に尽きる(みょうりにつきる)

自分の立場・仕事・役割に対して、これ以上ないほどの喜びや幸せを感じること。

編集済み
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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
5日前
5つ星のうち5と評価されています。

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