朝護孫子寺(猪上神社):虎と猪
- tootake
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第708話
朝護孫子寺は、大和国(奈良県)と河内国(大阪府南東部)の境にそびえる生駒山地の南端に近い、奈良県側の信貴山の山腹にあります。信貴山の毘沙門さんとして知られています。初詣や「寅まつり」(2月下旬)は多くの参拝客でにぎわいます。神仏習合の名残から、境内には鳥居も並んでいます。
朝護孫子寺の創建について伝承では、敏達天皇11年に寅の年、寅の月、寅の日、寅の刻に四天王の一つである毘沙門天を聖徳太子*が感得し、後にその加護によって物部守屋に勝利したことから、用明天皇2年に聖徳太子は自ら刻んだ毘沙門天を本尊として当寺を創建し、「信ずべき貴ぶべき山(信貴山)」と名付けたとされています。また寺の至る所に張り子の虎が置かれています。
猪上神社(いがみじんじゃ)は、信貴山朝護孫子寺の仁王門をくぐって約100メートル余、参道のすぐ右側にあり、古来より、信貴山境内にあって朝護孫子寺の鎮守社です。
信貴山猪上大明神と呼ばれて崇敬者の多い神社でした。朝護孫子寺は猪上神社の境内地を譲られて建てられています。
猪上神社の祭神は、天足彦国押人命と天足彦命ですが、二人は同一人物であるとされています。足と彦がついていることから、ウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)と台与でしょう。
猪上神社の「猪」について、弘安二年の阿娑縛抄に延喜年間、信貴山中興の命蓮が堂舎増築を祈願した時、霊猪が出現し、一夜のうちに竣工したのでこの霊猪を祀ったとあります。
この話は、第461話:猪は倭国??に通じるものがあります。
崇神天皇の時代(=邪馬台国の時代)に、大由乃支命(おおゆのき)が狩りをしているとき、飛び出してきた大きな猪を弓で射ると、その猪は血を流しながら逃げました。その猪の血をたどっていくと、紀伊(和歌山)の大斎原(おおゆのはら)にたどり着きました。(古事記:葛城山の猪~亀井家譜に記載の大由乃支命が、紀伊国熊野の大斎原(おおゆのはら)にたどり着いた伝説)大斎原は熊野本宮大社のある場所です。熊野本宮大社の祭神は、熊野坐大神(家都美御子大神:けつみみこ)は、台与です。~第543話:熊野の神々は
猪を弓で射った大由乃支命については、愛知県愛西市柚木町東田面に由乃伎神社(ゆのぎじんじゃ)があり、彦湯支命(ヒコユキ)を祭っています。彦湯支命(ヒコユキ)はこのブログで何度でも述べているように、ウツシコオ(内色許男命)です。
猪という字は倭国の倭に似ているため猪=倭国ではないかとされるのは、「神武天皇と卑弥呼の時代」の著者 佐藤陽太氏です。p60
崇峻天皇の時代、猪が崇峻天皇の元に献上された際に、崇峻天皇は猪を指して「いつか猪の首を切るように、朕が憎いと思う者を斬りたいものだ」と発言し、多数の兵を召集しましたた。馬子は崇峻天皇の発言を知り、天皇が自分を嫌っていると考え、これが元で崇峻天皇を殺すことを決意したとされています。このブログでは馬子もウツシコオとしています。
参照:第384話:馬子は大王(おおきみ)
この猪を弓で射った大由乃支命(おおゆのき)、紀伊(和歌山)の大斎原(おおゆのはら)
から連想される名前が、天湯河板挙(あめのゆかわたな)です。→(下記)
第463話:少彦名大神(スクナヒコ)は台与!では、「鳥取部の姓を賜った天湯河板挙(あめのゆかわたな)が祖先の角凝命(つのこりのみこと)を祭神としています。この天湯河板挙は天湯河桁命、天湯川田奈命、天湯川田神とも表記されます。角凝命は賀茂建角身命(タケツノミ)=ウツシコオと思われ、天湯河板挙は台与でしょう。」と書きました。
そして、虎といえば、大阪市の道修町は大阪の道修町(どしょうまち)の神農大神(しんのうさん):少彦名神社(すくなひこなじんじゃ)です。
神農祭で授与される、五葉笹に吊るされた「張子の虎」(神虎)が有名です。安政5年(1822)、大坂でコレラが流行したとき、道修町の薬種仲間が疫病除薬として「虎頭殺鬼雄黄圓」(ことうさっきうおうえん)という丸薬を調合し、少彦名神社の神前で祈祷して、罹患者などに施しました。そのときに合わせて、「張子の虎」を配布し、その丸薬の効能が高かったため、「張子の虎」の御守がよく知られるようになりました。
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<蛇足の追記>
この猪を弓で射った大由乃支命(おおゆのき)、紀伊(和歌山)の大斎原(おおゆのはら)
から連想される名前が、天湯河板挙(あめのゆかわたな)だというのは少し強引です。
しかし、そうでないと朝護孫子寺の虎と神農大神(少彦名神社)の張子の虎が結びつかないためです。あまり重要なことではないので無視していた結構です。
私は薬剤師ですので、この神農さんの張子の虎は職場に飾っていました。そのためこの張り子の虎に愛着があるのです。
なお、大由乃支命とその子である阿斗宿祢(アトのスクネ:熊野国造りの祖)が住んでいたところが河内国阿斗(渋川郡跡部:アトベ:大阪府八尾市)です。この跡部には跡部神社があり物部守屋の別業(なりどころ:別荘)があったところです。~第544話:物部守屋雑記 物部守屋=蘇我馬子=ウツシコオです。~第465話:ミシャグジ様は物部守屋=ウツシコオ
阿刀氏は、先代旧事本紀では、饒速日命の孫・味饒田命を祖とすると伝えています。新撰姓氏録:阿刀宿禰条逸文によれば、大和国城上郡椿市村(奈良県桜井市金屋)にも阿刀連があったといいます。阿刀氏は物部氏と同祖伝承を有しています。
※聖徳太子は台与は台与です。
第535話:佐比の岡~兵庫県太子町 第536話: 塞ノ神と佐比の岡とおくどさん
第537話:神八耳命は台与(豊) 第538話:傍示石~聖徳太子の投げ石
第539話: 仏教伝来異聞 第540話: 広隆寺と聖徳太子立像
第541話:法隆寺を建てたのは不比等?!~斑鳩町 第542話:大枝神社:“たいし”は太子=台与

<台与シリーズ>
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