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大阪平野郷:息長氏・秦氏・坂上氏

tootake
11 分前
読了時間: 6分

第1212話


前回:北村某の家記:「俣」についての考察:でも書いたように、「北村某の家記」では、大々杼(オオド)国と息長氏の伝承: タケミカヅチ(建御雷男命)*の子孫がこの地を「大々杼国」「大々杼郷」と名付け、神武天皇の時代に功績によって「大々杼」の姓を賜ったしています。*タケミカヅチ(建御雷男命)は台与です。~タケミカヅチは台与!!


楯原神社のある大阪平野郷は、九世紀の初め征夷大将軍坂上田村麻呂*の次男、広野麿が朝廷より杭全一帯の土地を賜ったことから、その名前「広野」がいつしか地名に転訛したものだと地元では伝えられており、平野宮町には田村麿の孫、当道が貞観四年(862)に勧請した杭全神社が鎮座しています。~平野郷小史


日本書紀、「続日本紀などに、古代の河内地方は大規模な水害や旱魃が度々起こるなど「水」に弱い土地柄だったと書いてあります。


河内息長の一族も、古くから農耕に必要な土地の灌漑や河川の整備を行ってきたと思われ、最初に婿入りした「田別王」(「田=農耕地」を先代から「別=ワケ」与えられた、つまり引き継いだ王)の次に「杭俣(くいまた)」長日子の名が見られるのも、彼等が「杭(くい)=土木工事」によって地域の開発を推し進めた実績を端的に表していると思われます。


河内の息長の一族も、古くから農耕に必要な土地の灌漑や河川の整備を行ってきたと思われ、ヤマトタケルの子とされる田別王=息長田別王(オキナガタワケ)の名は、田=農耕地を先代から「別=ワケ」与えられた、つまり引き継いだ王(継体天皇)という意味です。


「別=ワケ」とは台与のことであることは、第710話:ワケ王朝は、のれん分け

第1105話:稲荷山古墳出土鉄~ヒコ・スクネ・ワケで書いています。


*坂上田村麻呂と台与の関係については、第1174話:坂上田村麻呂と台与で書きました。


このブログでは、13歳で邪馬台国の大王に即位した台与は、稲作のために日本各地で推理工事を行ってきたと書き続けています。


ところで、京都の伏見稲荷大社は、秦氏と稲作に関連した神社であることはよくいられています。

「大々杼(おおど)」の地名に含まれる「杼」という文字には機織に必要な「ひ」という道具の意味があり、「伎人(喜連)くれ」の地名とあいまって、外国からやってきた技術者集団が背後に存在していたことを示しています。

「杼」が「梭」であり機(はた)織りの重要部品であるとするなら、渡来系「秦氏」を思い起します。秦氏と台与の関係については、第459話:hidemaru3375.com/post/台与と秦氏で書いています。


北村某の家記には次のような記述があります。


雄略天皇元年、息長沙禰王は真若郎女と大々杼命(継体天皇)を淡海(滋賀県)の息長彦主人王(継体天皇の父)の許に送り届けた。しかし、真若郎女が早世したため、大々杼命は継母の「福井の振女」の許で成長し「越前三国の君」と号した。同7年、忍阪大中女命が崩御し、「讃野皇山御陵」に葬られた。彼女が御幸した際の御殿があった地を古くは「忍阪」といったが、今は「大阪」という。また、この山の東に「田井の媛」という字があるが、この地に田井中女命の住殿があり、河内国志紀を領有し「田井郷」と称したのが、現在の田井中村である。また、元々住んでいたところはには御名代として「田井部」を置いたが、現在は畑となって「田井島」という。この田井部が移住して「河部」を称し、現在東喜連村の南に住む「河村」を称する人はこの田井部の子孫である。


第422話:継体天皇はトヨ(台与)??!では、次のように書きました。

田宮は河内国交野郡田宮郷が該当すると考えられています。河内国交野郡田宮郷とは京阪電車枚方市駅前です。〒 573-0024枚方市田宮。そして田井は寝屋川市です。〒572-0021大阪府寝屋川市田井町、そしてこの寝屋川市田井町の近くにJR忍ケ丘の駅があり、忍の字から忍坂・押坂を連想させます。この辺りは、第469話:石の宝殿2~大阪府寝屋川市:で書いたように讃良郡で、江戸時代には交野郡(=邪馬台国)でした。打上神社(高良神社)があるところです。秦氏の一大拠点地です。第469話:石の宝殿2~大阪府寝屋川市で台与が茨田堤を築いたとする太秦(寝屋川市)〒 572-0844です。


上記により、息長氏、秦氏、坂上氏は台与との関係が濃厚であることが分かります。

第1174話:坂上田村麻呂と台与では、坂上田村麻呂は、

  • 狩猟や採集への依存度が高かった蝦夷の人々に、稲作や養蚕などの農耕技術を積極的に伝播させました。

  • 生活基盤を農耕に移行させることで在地社会を安定させ、律令国家の経済システムへと組み込む戦略的な意図がありました。と書いています。


「押坂」あるいは「忍坂」の地は、息長氏の拠点で、田井・太秦(寝屋川市)は秦氏の拠点ということは、つまり秦氏=息長氏なのです。


外通姫は、日本書紀では忍坂大中姫の妹、古事記では、忍坂大中姫の子になっています。

しかし、外通姫=田井之中比売=忍坂大中姫=允恭天皇=台与=継体天皇ということです。



これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 

<目次>



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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
9分前
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