top of page

善光寺に至る道:神坂峠

  • tootake
  • 10 時間前
  • 読了時間: 5分

第1116話  #元善光寺 #麻績の里(おみのさと)

 

西国三十三番を回り終わると、善光寺に参ることになっています。

古代に大阪から長野の善光寺に行くには、恵那山を超えるため神坂峠を通られければなりません。今では恵那山トンネルがあります。


神坂峠は難関です。神坂峠は、信濃国の伊那郡と美濃国の恵那郡(木曾谷)との境でした。その険しい道程から東山道第一の難所として知られ、荒ぶる神の坐す峠として「神の御坂」と呼ばれていました。神坂峠は、急峻で距離も長かったため、峠を越えられずに途中で死亡する者や、盗賊が出ては旅人を襲ったとの記録が、いろいろな古典に書かれています。


このブログでは、神の付く地名は、ウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王=難升米と台与の親子に関係しているとしています。

日本で神と言えば、ウツシコオと台与のことです。富山県に通川という川があり、その上流にある岡鉱山がウツシコオと台与と関連のがあることは、第1076話:咲田姫伝説:杉原神社 第1077話:神岡鉱山・カミオカデンと邪馬台国で書きました。


神坂峠を越えると阿智村(あちむら:長野県下伊那郡)があります。

古代には八意思兼命後裔の阿智祝部が当地を開発し、阿智神社(下伊那郡阿智村智里489奥宮)を祭祀したとされています。

阿智神社の祭神は、(天)八意思兼命でウツシコオ(内色許男命)難升米のことです。

第3話:ウツシコオは魏志倭人伝に登場する難升米!~京都府八幡市で書いた思金大神は思兼命のことで、「八意」とは多くの意見を聞くという意味です。

阿智村は、第689話:阿智氏・阿直岐は、、、  第1112話:竹村屯倉(たかふ の みやけ)~三島郡で書いたように、阿智氏は、ウツシコオ、台与親子の一族のことです。


阿智村を過ぎると元善光寺のある麻績の里(おみのさと)があります。

古代・中世の地名資料や地誌は、「麻績(麻続)郷」という表記があり、麻の繊維加工や麻績部(あさおみべ)と呼ばれる職能集団の存在を示唆しています。

麻績(おみ/をみ)の地名は古代に麻(あさ)の生産・加工に関係する集落を指し、

古代から麻績郷として記録があり、平安期以降は伊勢神宮の御厨(供給地)にもなっています。


秦氏が農業・土木・養蚕・機織の技術集団であることはこのブログでも何度も書いています。台与は秦氏です。

第459話: hidemaru3375.com/post/台与と秦氏 第924話:秦氏の研究


元善光寺(もとぜんこうじ)は、長野県飯田市座光寺にあります。元善光寺と名付けられる前は如来寺(にょらいじ)と呼ばれていました。

長野県の善光寺にある善光寺如来は元々はここにあったのです。

この地の住人本多(本田)善光が、難波の堀江(現在の大阪市)で一光三尊(善光寺如来)の本尊を見つけて持ち帰り、麻績の里の自宅の臼の上に安置したところ、臼が燦然と光を放ったことからここを「坐光寺」としたとされています。


第683話:善光寺~本田善光は台与では、本田善光は台与としています。

台与は、麻績の里に麻の栽培を指導するためにわざわざ神坂峠を越えてこの地に来たのです。そして仏教についても語ったのです。


元善光寺の善光寺如来は、それから41年後の皇極天皇2年に、阿弥陀如来から「芋井の里(現在の長野市)へ遷(うつ)るように」という直々のお告げ(仏勅)があり、御本尊は長野市へと移されました。 


善光寺如来(一光三尊阿弥陀如来)が、長野県の善光寺に移動した理由としては、長野市(旧水内郡)は東山道などの交通が交わる要所で、仏教を広く普及させたり、より多くの参拝客を集めたりするのに適した立地でした。


善光寺如来(一光三尊阿弥陀如来)が、長野県の善光寺に移動したため、坐光寺は元善光寺と呼ばれるようになりますた。遷座された本尊の代わりに勅命によって木彫りの本尊が残され、また「毎月半ば十五日間は必ずこの故里(飯田)に帰りきて衆生を化益せん」という仏勅(お告げ)が残されたことで、長野の善光寺と飯田の元善光寺は「本家と元祖」のような深い関係にあり、「両方にお参りしなければ片詣り(片参り)」と言い伝えられ、現在でも両方を巡る熱心な参拝者が多く訪れています。私も両方をお参りしました。


これまでの記事はこちらです。


{広告}

本能寺の変、秀吉の中国大返しを描く、娯楽超大作、絶賛発売中!! 200円です。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、タケミカズチとフツヌシ、神功皇后と武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>






 
 
 

2件のコメント

5つ星のうち0と評価されています。
まだ評価がありません

評価を追加
秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
9時間前
いいね!

秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
10時間前
5つ星のうち5と評価されています。

<台与シリーズ>

hidemaru3375.com/post/天鈿売命(うずめ)は台与(豊)

https://www.hidemaru3375.com/post/かぐや姫は、台与(とよ)

https://www.hidemaru3375.com/post/磐井の乱と台与

https://www.hidemaru3375.com/post/豊受姫(豊受大神)は崇神天皇

https://www.hidemaru3375.com/post/火明命は饒速日なのか??

https://www.hidemaru3375.com/post/豊鍬入姫命-日光と男体山・女峰山

hidemaru3375.com/post/台与と秦氏  敏達天皇は台与(豊) 

衣通姫(そとおりひめ)は台与(豊) 雄略天皇は台与(豊)!

孝昭天皇は台与:日原は目原  飯豊王女は台与(トヨ)なのか?

金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(2)大原足尼命はトヨ    大宜都比売(おおげつひめ)は台与 

倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)はトヨ??  神八耳命は台与(豊)

饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作  台与は饒速日②~交野市倉治

小楯姫は台与:小楯は枚方   四道将軍:日子坐王は台与!

少彦名大神(スクナヒコ)は台与!  大彦は台与!??

ウマシマジは台与!    阿蘇都媛は台与

沼河比売は小楯姫=台与  タケミカヅチは台与!!

ヤマトタケルは台与  瓊瓊杵尊:ニニギは台与

継体天皇はトヨ(台与)??!  継体天皇は台与2~大々杼郷:楯原神社

継体天皇は台与3~田井(寝屋川市)  英彦山と台

いいね!
bottom of page