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栃木県の邪馬台国(2)日光二荒山神社

  • tootake
  • 1 日前
  • 読了時間: 6分

更新日:22 時間前

第931話


日光二荒山神社(にっこうふたらさんじんじゃ)は、栃木県日光市にあります。

下野国一宮です。


関東平野北部、栃木県北西にそびえる日光連山の主峰・日光三山を神体山として祀る神社す。

本社は、栃木県日光市山内にあります。

別宮本宮神社 は、女峰山登山口入口。奥宮(栃木県日光市中宮祠二荒山)は男体山山頂です。


日光三山は男体山(なんたいさん:古名を「二荒山(ふたらさん)」)・女峰山(にょほうさん)・太郎山からなり、二荒山神社ではそれぞれに神を当て祀っています。


祭神は、二荒山大神で、大己貴命、田心姫命、味耜高彦根命の総称とされています。つまり、大己貴命=大国主、田心姫命=市杵島姫命、味耜高彦根命です。


では、次のように書きました。


「男体山は御神体であり、大己貴命(おおなむち)であり、千手観音(せんじゅかんのん)ででもあります。女峰山も御神体で、田心姫命(たごりひめ)であり、阿弥陀如来(あみだにょらい)でもあります。大己貴命はウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王

田心姫命は宗像三女神ですから、市杵島姫命=ウツシコメ=卑弥呼です、としたいところですが、この場合、田心姫命は台与だと思います。」


大己貴命は大穴持ち=鉱山の持ち主ですから、ウツシコオ、台与のどちらにも当てはまります。田心姫命は宗像三女神ですから、第602話:宗像三女神と三筒男は、、、

で書いたように、宗像三女神も実は市杵島姫命=台与です。

味耜高彦根命(アジスキタカヒコネ)も台与です。~第874話:高負彦根神社:アジスキタカヒコネは台与


社名「二荒山(ふたらさん)」の名の由来には諸説がありますが、補陀洛山= 観音菩薩が住むとされる「補陀洛山(ふだらくさん)」が訛ったものといわれています。


第923話:海石榴市・長谷寺・補陀落では、補陀落について次のように書きました。

  • 補陀落山(Potalaka)は、華厳経などにおいて「南方の海上に屹立する霊山」とされ、泉・流水・池沼が豊かに湧き出る理想郷と描かれています。

  • このため、補陀落信仰を体現する寺院は、水のある風景=浄土の象徴として、川・池・海に近い場所が選ばれることが多いのです。

  • 国三十三所の観音霊場のうち、補陀落山のイメージと合致する寺院(青岸渡寺、紀三井寺、粉河寺など)は、川や海に近接し、水景が豊かな場所に立地していることが確認されています。

  • 奈良県の壷阪寺(南法華寺)なども、かつては湧水が豊かで「岩をたて 水をたたえて 壷阪の 庭のいさごも 浄土なるらん」と詠まれるほど、水との関係が深い寺院です。

  • 北陸地方の古代寺院でも、河岸段丘や谷筋など水流の近くに立地する例が多く、補陀落的景観を意識した配置が見られます。


つまり、補陀落=観音信仰=台与ということです。第628話:観音菩薩と台与(1)~大聖観音寺  


男体山(なんたいさん)、女峰山(にょほうさん)に男女の二神が現れたのでフタアラワレという説もあり、男女二神とは、ウツシコオと台与のことです。


弘法大師空海がこの地を訪れた際に「二荒」を「にこう」と読み、「日光」の字を当てこの地の名前にしたとされています。


弘法大師は、空海は日本全国を巡回して歩き、村々の住民のためにさまざまな奇蹟を示したという内容の伝説を各地に残していますが、実際の弘法大師は33歳で中国から戻り、30年間にわたって高野山を開創し、そこで多くの書物を残したが、全国を巡回する余裕はなかったはずです。大師の足跡が各地に残されているのは、台与が日本各地で、河川の改修工事を行って稲作の推進してきてきたからです。


柳田国男によると、各地の大師伝説は、もともとは大子(オオゴ)伝説で、大子すなわち神の長男を意味したものが、文字を知る人によって大子→大師→弘法大師とされたのではないか、としておられます。つまり、大子(オオゴ)伝説の「大子」とは、太子=聖徳太子=台与です。


第928話:茨城県の邪馬台国(1):薩都神社では、次のように書きました。


久慈川(くじがわ)は、福島県および茨城県を流れる一級河川。久慈川水系の本流である。日本で有数の鮎の釣場として有名である。また、瑪瑙、赤瑪瑙、水晶がよく採れる川としても有名です。久慈川は、八溝山地と阿武隈高地の間を南へ流れ、茨城県に入って大子町、常陸大宮市などを経て、日立市と東海村の境界から太平洋に流れています。


大子町の「大子」=「太子」であるなら、太子=聖徳太子=台与ということになります。

第540話:広隆寺と聖徳太子立像


第378話:猿丸幻想(3)~宇都宮は兎の都では、宇都宮は、内里(京都府八幡市内里)のウチが由来としています。内里はウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王=難升米の名前の由来となった地です。


これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>




 
 
 

2件のコメント

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tootake
14時間前
5つ星のうち5と評価されています。

吾平津媛~神武最初の妻

大阪と邪馬台国:鶴橋・小橋


神功皇后の近臣である雷大臣が大小橋命(オオオバセノミコト)を生んだ時に、産湯を汲んだことから名づけられました。

今では水は枯れてありませんが、井戸は現存しています。

一説によると、三光神社と同じくこの井戸は真田幸村の抜け穴の一部と言われています。

編集済み
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tootake
1日前
5つ星のうち5と評価されています。

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