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お水送り:若狭神宮寺・若狭彦神社

  • tootake
  • 7月12日
  • 読了時間: 5分

更新日:7月13日

第741話 #若狭彦神社 #行基 #台与 #邪馬台国


前回の室生寺は神宮寺では、各地にあるの神宮寺も台与に関係していると思われます。

と書きました。福井県小浜市に若狭神宮寺(わかさじんぐうじ)があるのを見つけました。

天台宗の寺院で、山号は霊応山、本尊は薬師如来坐像です。なんとこの若狭神宮寺(霊応山神宮寺)はあの東大寺二月堂へのお水送りが行われる寺なのです。2015年(平成27年)4月24日、「海と都をつなぐ若狭の往来文化遺産群 - 御食国(みけつくに)若狭と鯖街道 - 」の構成文化財として日本遺産に認定されています。


お水取り(通称)は、東大寺二月堂で行われる修二会という法会の中の行事です。3月12日深夜に閼加井屋(あかいや)にお水を汲みに行くことからこの通称で呼ばれています。

目的は、仏の前で罪過を懺悔すること(悔過)であり、3月1日から14日までおこなわれています。その間、心身を清めた僧(練行衆)が十一面観音の前で宝号を唱え、荒行によって懺悔し、あわせて天下安穏などを祈願します。旧暦2月に行われていたため「修二会(しゅにえ)」と呼ばれますが、正式名称は、十一面悔過(じゅういちめんけか)法要です。


二月堂本尊の十一面観音を祀る懺悔祈祷の厳行で、良弁(ろうべん)の高弟実忠(じっちゅう)によってはじめられたと伝えられています。古代には、天災や反乱などの国家的な災いは「国家の病気」によるものと考えられ、その病気を取り除く十一面悔過は国家的な宗教行事であり、「不退の行法」として引き継がれ、戦時中なども一度も中止されることなく行われ、令和5年で1272回目となります。


お水送りは、狭神宮寺で毎年3月2日に行われる神聖な神事で、奈良東大寺の「お水取り」と深く結びついています。行事の概要は、 若狭神宮寺の「閼伽井(あかい)」で汲んだ水を、清めの儀式を経て「鵜の瀬」という河原へ運びます。 松明行列が水を守りながら約2kmを練り歩き、遠敷川に水を流します。 この水は10日かけて奈良の東大寺・二月堂の「若狭井」へ届くとされ、3月12日の「お水取り」で汲み上げられます。


ところで、前回も書いたように。神宮寺は、本来、神社を守るためのものです。

つまり主体は神社なのです。この若狭神宮寺が守るべき神社というのは、若狭彦神社です。

若狭国一宮で、上社・下社の2社からなり、上社(小浜市龍前)を若狭彦神社、下社(小浜市遠敷)を「若狭姫神社(わかさひめじんじゃ)」といいます。別称として郡名から「遠敷明神」とも呼ばれます。若狭彦神は彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)の事とされています。彦火火出見尊は台与です。←後述予定


若狭は、豊かな自然に恵まれた御食国として塩や海産物など豊富な食材を都(朝廷)に納め、その食文化を支えてきました。若狭と都とを繋ぐ街道群は食(鯖など海産物)だけでなく、様々な物資、人や文化を運んだ交流の道で、鯖街道と呼ばれています。


送り側が若狭彦神=台与だとして、受ける側は東大寺は大仏殿(東大寺盧舎那仏)です。そして大仏の建立事業の精神的実務的な中心人物は行基です。行基は全国を行脚し、延べ260万人の民衆を動員して作られたものです。大仏は行基の共感力と行動力の結晶とも言えます。


このブログは、邪馬台国が大阪府枚方市であることを証明するために書き続けています。卑弥呼の後を継いで、邪馬台国の大王(おおきみ)となった台与の後をたどっているうちに行基に出会いました。行基は、天智天皇7年(668年)、河内国大鳥郡(大阪府堺市西区家原寺町)で父・高志才智、母・蜂田古爾比売の長子として生まれました。24歳で戒師の葛城山高宮寺徳光禅師のもとで受戒し、飛鳥寺、次に薬師寺で法相宗を主として教学を学び名を行基と改めます。教えを受けたとされる道昭は、入唐して玄奘の教えを受けたことで有名であり、それとともに井戸を掘り、渡しや港に船を備え、橋を架けて、後の行基の事業への影響を指摘されています。行基も日本各地で治水工事を行っています。


行基と台与の関係はかなり深いものがありそうです。行基は邪馬台国の台与のことをどこまで知っていたのでしょう。



※これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>





若狭姫神社の祭神は豊玉姫命(とよたまひめのみこと)です。

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3件のコメント

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tootake
7月12日
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釈尊寺 - Wikipedia

佐久市の隣  寺伝によれば、奈良時代神亀元年(724年)に行基が開き、聖徳太子が作ったとされる聖観音を祀ったと伝えられている。

編集済み
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tootake
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tootake
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<台与シリーズ>

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