石の宝殿2~大阪府寝屋川市
- tootake
- 2024年10月13日
- 読了時間: 4分
更新日:2024年10月14日
第469話 #打上神社 #高良神社 #茨田堤 #台与 #ヤマタノオロチ
今回の石の宝殿は大阪府寝屋川市の打上神社(高良神社)の裏山にある古墳のことです。露出した石室があることから石宝殿古墳と呼ばれ、国の史跡に指定されています。
打上神社の祭神は武内宿禰、 八大竜王(はちだいりゅうおう)です。
武内宿禰はウツシコオ(内色許男命)です。八大竜王は八岐大蛇(ヤマタノオロチ)です。参照:第324話:武内宿禰はウツシコオ!!
第412話:ヤマタノオロチは淀川~茨田堤2で書いたように、淀川の氾濫を防ぐために茨田堤を築いたのは、彦八井耳命(=八井耳)とされていますが、八井耳は多氏の祖です。多氏は海神族(ワタツミ一族)=海部氏=安曇族と同族です。
もちろん土木工事を実際に行ったのは秦氏です。この辺りは太秦という地名です。
また、この辺りは旧讃良郡で、江戸時代には交野郡に属していました。この交野郡こそ邪馬台国です。
寝屋川市の打上川沿いには秦氏一族に因む地名や伝承地(伝秦川勝の墓)、「秦町」・「川勝町」・「太秦町」などが点在しています。秦河勝(川勝):秦河勝:摩多羅神はウツシコオ! です。
大阪府寝屋川市太秦に熱田神社があるのも、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治したから
、つまり淀川の治水工事を行ったからです。草薙剣は、スサノオが出雲で大蛇の体内(尾)から見つかった神剣とされていますが、この出雲*も寝屋川市に隣接する守口市です。第292話:櫛名田比売2~八雲は守口市 第412話:ヤマタノオロチは淀川~茨田堤2
*クモ(雲)とはアイヌ語で川(出典:大山元著「古代日本史と縄文語の謎に迫る」)のこと、出雲は出発する川(参照:第452話:高瀬の渡し)、八雲は大きな川の意味=淀川、守口市にある高瀬は日本各地への出発点でした。
京阪電車の大和田駅の東北にある堤根神社(つつみねじんじゃ)は、茨田堤の鎮守として創建されたものです。本殿の裏には、茨田堤の跡と推定される堤防の一部が現存しています。堤根神社の祭神は彦八井耳命です。彦八井耳命はウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)あるは台与でしょう。日本書紀では、神八井耳命について多臣(多氏)の祖と記しています。ウツシコオは多氏です。参照:第95話:兄磯城は神八耳命~志紀縣主、第291話:多氏と長脛彦
*彦八井耳命=ウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)、あるいは台与です。
*日本書紀の仁徳天皇11年10月の項には、「どうしても決壊してしまう場所が2か所あり、(茨田堤の)工事(が難渋した。」それが、コワクビの断間(大阪市旭区千林)と、コロモコの断間(寝屋川市太間)です。仁徳天皇=菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)=台与です。
参照:第342話:聖徳太子は菟道稚郎子?! 第344話:聖徳太子伝説~堀江と茨田堤
この打上神社は江戸時代までは高良神社でした。高良神社は筑後一の宮の高良大社や武蔵国の高麗神社などが知られています。
筑後の高良大社は福岡県久留米市のは高良山にあり、祭神は高良玉垂命(こうらたまたれのみこと) 、神使は「烏」、八幡大神(はちまんおおかみ)、神使は「鳩」、住吉大神、神使は「鶴」です。この他、本殿内には御客座があり、豊比咩大神(とよひめおおかみ)が合祀されています。これらの神はウツシコオ、秦氏、台与でしょう。烏、鳩、鶴などの鳥はウツシコオ(内色許男命)、台与のシンボルです。参照:第346話:大鳥・鷦鷯(さざき)・鵲(かささぎ)
武蔵国の高麗神社は埼玉県日高市にあり、主祭神 高麗王若光(こまのこにきしじゃっこう)、猿田彦命、武内宿禰命です。猿田彦=武内宿祢はウツシコオ(内色許男命)です。
第324話:武内宿禰はウツシコオ!! 第251話:猿田彦は塩土老翁神
ところで打上神社(高良神社)裏山にある古墳は下の写真のように小ぶりなものでウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)の墓であるとは思えません。
関連項目:石の宝殿と高砂
※これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
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