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地名から読み解く邪馬台国


たつのこ太郎:小泉小太郎伝説
第948話 小泉小太郎は、長野県上田地域に伝わる民話です。人間の父親と大蛇の母親との間に産まれた少年・小太郎にまつわる物語で、同じく長野県安曇野地域には泉小太郎という民話が伝わっており、こちらは小太郎が自らの母親である竜と共に安曇野周辺を開拓する物語です。 この2つの伝説は、小泉と泉の違いがあり、内容も異なっていますが、元々は同じ話だったと思われています。ポイントは、泉・小泉の母親が龍(=たつ)であるということです。現代になってこれらを一つの物語に再編する試みがなされ、作家・松谷みよ子による「龍の子太郎」が書かれています。 <泉小太郎にまつわる民話> 西塩田村にある鉄城山の山頂に寺があり、そこへ毎晩のように通う一人の女性がいた。彼女がどこからやって来たのか分からず、不思議に思った寺の住職は、彼女の衣服に糸を付けた針を刺しておいた。翌朝、住職が糸をたどって行き着いた先は、川の上流にある鞍淵の洞窟であった。中をのぞくと、赤子を産もうと苦しむ大蛇の姿があった。住職は驚いて逃げ出し、出産を終えた大蛇も正体が知られたことを恥じて死んでしまう。...
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2月4日読了時間: 7分


八面大王と八女大王
第947話 魏石鬼窟(ぎしきのいわや)は、長野県 安曇野市穂高* 有明にある古墳です。穂高古墳群(うちD群)を構成する古墳の1つで、安曇野市指定史跡に指定されています。坂上田村麻呂に対抗するために魏石鬼八面大王がたてこもった岩屋といわれておます。 安曇野に巣食う悪鬼「魏石鬼八面大王」は、その悪行から坂上田村麻呂*に討伐されたと伝わります。しかし、地元の安曇野では八面大王は優れた首領と愛されていました。 八面大王とはこの地の阿曇族だと考えられます。 なぜ阿曇族は討伐されなければならなかったのか?そして、八面大王を討伐したのは本当に坂上田村麻呂なのか?~ 魏石鬼八面大王②|安曇野を治めた八女大王の抗戦 | 馬の駆ける速度で地球旅|神話を歴史へ そして、八面大王とよく似た八女大王の伝説もあります。 八女大王伝説は、長野県の安曇野地方に伝わる伝説上の人物で、地元では「饅頭鬼」とも呼ばれていました。彼は手下の鬼たちを従えて村を襲い、食べ物や家畜、財宝を奪ったり、女性をさらったりと、住民を苦しめていたとされています。 八女大王は、長野県の安曇野市にある有明山
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2月3日読了時間: 5分


テナヅチ・アシナズチ:稲田宮主簀狭之八箇耳
第946話 前回: 八坂神社と朱智神社 で書いた八坂神社には、素戔嗚尊 (スサノオ)、櫛稲田姫命 (くし(い)なだひめのみこと)の他にも、稲田宮主簀狭之八箇耳(いなだのみやぬしすがのやつみみのかみ)という神も祀られています。 この稲田宮主簀狭之八箇耳は、足名椎神のことです。 アシナヅチ (足名椎、足名鈇、脚摩乳) ・テナヅチ (手名椎、手摩乳) は、櫛名田比売の両親です。 この神名は、古事記では足名椎に授けられた別名ですが、日本書紀では、脚摩乳(足名椎)・手摩乳(手名椎)をともに宮の首*とし、二柱に「稲田宮主神」の名が授けられていmす。日本書紀:一書一では、稲田媛の親を「稲田宮主簀狭之八箇耳」とし、授けられた名ではなく元々の名前のように記しており、一書二では、父の名を「脚摩手摩」、その妻の名を「稲田宮主簀狭之八箇耳」としています。 *宮の首は、「宮主」で宮(須佐之男命と櫛名田比売の住まい)の管掌者を表すとされ、稲田を祭る司祭者の意味とする説もあります。 「宮主」という名称が女性によく見られることから、本来は豊穣を掌る女神であったと推測され、「稲田
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2月2日読了時間: 4分


八坂神社と朱智神社
第945話 八坂神社は、清水寺と同様に京都で非常に有名な観光地です。地元の人々は、八坂神社を「祇園さん」や「八坂さん」と呼びます。祇園祭(祇園会)の胴元としても知られています。全国にある素戔嗚(スサノオ)を祭神とする関連神社の総本社とも言われています。 八坂神社の起源には、いくつかの説があります。一つは、貞観18年(876年)に僧・円如が観慶寺を建立した際、祇園神が東山の麓に降り立ったというものです。もう一つは、斉明天皇2年(656年)に高句麗の使者が新羅国の牛頭山の須佐之男尊を祭るために建てたという説です。 第331話: : 朱智神社~迦邇米雷王 では、朱智神社について触れています。朱智神社は、京都府京田辺市天王高ケ峰に位置しています。祭神は、迦邇米雷王(かにめいかずちのみこ)です。この神は息長氏の祖とされています。 桓武天皇の時代には、「建速須佐之男命」を相殿に祀って「大宝天王」と呼ばれました。清和天皇の時代には、朱智神社の大宝天王が八坂神社へ勧請されました。かつては毎年「榊遷し」の行事が行われていました。この朱智神社の最寄りのバス停は「天王
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2月1日読了時間: 4分


母木邑(おものきむら)と鳥取
第944話 前回: 母木邑(おものきむら)とアラハバキ で書いた母木(おものき)は、「ハハキ」とも読めます。 「ハハキ」とは「伯耆」(ホウキ:昔は、ハハキ)で、今の鳥取県(西半)ですが、「鳥取」は、垂仁天皇紀に出てくる垂仁の皇子である誉津別(ホムツワケ)王は喋れなかったのですが鳥を見て喋られるようになった、その鳥を「天湯河板挙」(あまの・ゆかわ・たな)が出雲(或いは但馬)で捉えてきたので、誉めて「鳥取造」に任じ、「鳥取部・鳥養部・誉津部」を定めた、とあります。 大山元著の「古代日本史と縄文語の謎に迫る」のP70に次のようなことが書いてありあるます。「河内恩智や大県(大阪府柏原市・八尾市)は、大昔縄文時代「totto ni」と呼ばれていた。和語を持った人々が移住してきて、その地名を意味訳で、「母・木」と呼び音写では、トット・ニと呼んだ。」 アイヌ語で「母」は「totto 」で「木」は「ni」なのです。 垂仁天皇紀などにある「鳥を取る」説話は、この地名とそれに基づいた氏族名が先に会ってそれに付会して作られた説話だと思います。 古事記では、誉津別皇子は
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1月31日読了時間: 4分


母木邑(おものきむら)とアラハバキ
第943話 #ホムツワケ #ナガスネヒコ #アラハバキ 大阪府にかつて(古代)、母木邑という地名がありました。 古代史に詳しい人なら、神武天皇がナガスネヒコと戦った場所として知っておられるでしょう。角川地名大辞典「旧地名」によると、母木邑は、奈良期~平安期に見える邑名河内国高安郡のうち母樹・飫悶廼奇とも書きます。 日本書紀;神武天皇即位前紀条によれば,孔舎衙の戦いの際,大きな樹に隠れて難をのがれた人が其の樹を指して「恩,母の如し」といったので,「時人,因りて其の地を号けて,母木邑と曰ふ今飫悶廼奇と云ふは訛れるなり」とあります。 同じく継体天皇24年条に,遣任那将軍近江臣毛野の従者として「河内母樹馬飼首御狩」 が見えます。枚岡市史では,御狩をはじめ「日本書紀」に見える「河内馬飼首荒籠」なども、馬飼部の首長として,現在の東大阪市の新町・豊浦町付近を本居としたものと推定されています。 天平3年7月5日のものと伝えられる住吉大社司解に,胆駒(=いこま:生馬)・神南備山本記の四至が記され、そのうちに「西限母木里公田,鳥坂至」とあります。...
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1月30日読了時間: 5分


坂上田村麻呂と毘沙門天
第942話 坂上田村麻呂は毘沙門天として祀られています。 清水寺の本尊は十一面千手観世音菩薩ですが、千手観音の脇侍には婆藪仙人と大弁功徳天を置くのが基本ともいわれますが、清水寺の脇侍は地蔵菩薩と毘沙門天です。 これには、清水寺を創建した坂上田村麻呂の伝説が関係しているようです。 清水寺縁起によると、坂上田村麻呂は蝦夷の地で信仰していた清水観音に祈り続けながら戦っていたといいます。 その前に現れたのが僧侶と老翁*で、僧侶と老翁は、田村麻呂が蝦夷征討に赴く際、開山の延鎮が必勝祈願のために彫った地蔵菩薩と毘沙門天だったと言われています。 毘沙門天は本来インドの財宝神クベーラ(ヴァイシュラヴァナ)に由来し、財宝、富の守護 北方の守護、武神としてあがめられています。 そして、東北では毘沙門天が強く信仰されています。その理由は、毘沙門天は北方守護神であるからです。 東北は大和朝廷にとって「北方の境界」で 北方を守る神=毘沙門天の権威が必要です。前回: 坂上田村麻呂と金 書いたように坂上田村麻呂は金の採掘と関連しています。 坂上田村麻呂は、...
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1月29日読了時間: 5分


坂上田村麻呂と金
第941話 前回の: 田辺史氏(4):田辺難波 では、 田辺難波の「蝦夷討伐」も、 坂上田村麻呂の蝦夷討伐と同様に、創作である可能性があります。実は、大和朝廷による蝦夷討伐の法等の目的は、別にあるとしました。 その目的=大和朝廷が東北地方に赴いた理由とは、 金 なのです。 「朝廷が“金(黄金)を得ること”を東北経略の重要な動機の一つとしていた」という見解は、史料的にも十分に根拠があり、学術的にも広く支持されています。 なぜ「金」が東北政策の重要要因とされるのかというと、国家にとって金は戦略資源です。 天平21年(749)、陸奥国司・百済王敬福が献上した産金900両によって、奈良の大仏の鋳造が完成したことは有名です。 「陸奥は金の出る土地」で、国家的に極めて重要な地域です。 田村麻呂個人が「金を求めた」という直接的記述は史料にありません。しかし、彼が派遣されたとされる岩手南部〜宮城北部は、まさに当時の主要産金地帯です。 第476話: 金華山と百済王敬福 では、次のように書いています。 金華山の名はこの金花(華)「くがね咲く」から来ています。 そし
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1月28日読了時間: 4分


田辺史氏(4):田辺難波
第940話 田辺史氏は、奈良時代の官吏であり、百済系の渡来氏族に属していました。彼らは河内国安宿郷の田辺の地を本拠地とし、日本書紀や新撰姓氏録に登場する重要な人物たちを輩出しました。田辺史氏の代表的な人物には、田辺伯孫、田辺史鳥、田辺小隅などがいます。また、藤原不比等を育てた田辺史大隅の名も、尊卑分脈に記されています。 田辺史氏は、天平勝宝2年(750年)に上毛野君に改氏姓し、弘仁元年(810年)に朝臣姓を賜わり、皇別の上毛野氏の同族に列しました。ところで上毛野の祖といえば、 豊城入彦命です。豊城入彦命は、日本書紀によると、豊城命は東に向かい武器を振るったので 東国 を治めさせるために派遣されたといいます。豊城入彦命については、第756話: 赤城山と豊城入彦命(台与) 第424話: hidemaru3375.com/post/豊鍬入姫命-日光と男体山・女峰山 で台与としています。 そして、奈良時代の貴族に田辺難波 (たなべのなにわ) という人物がいます。 氏性は田辺史でのちの上毛野君とされています。 田辺難波は、(724年)「蝦夷討伐」に参加
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1月27日読了時間: 4分


藤原不比等と田辺史氏(3)
第939話 前回: 藤原不比等と田辺史氏(2) で述べたように、田辺史氏は、単なる一氏族ではなく、 河内安宿郷を中心とした渡来系知識人ネットワークの核 でした。 地理的ネットワーク 河内安宿郷(本拠)~元は、枚方市甲斐田(柏原): 第757話: 甲斐国と甲斐田(枚方) 摂津住吉郡田辺(北田辺)~住吉大社=瀬戸内海;朝鮮半島;中国大陸への玄関 第922話: 邪馬台国は河内湖:長柄船瀬 山城国綴喜郡田辺(京田辺)~ ウツシコオ(内色許男命) = スサノオ(津田の王 ) =難升米の本拠地 紀伊国田辺(和歌山県田辺市)~ スサノオ のホームタウン~ 第543話: 熊野の神々 代表的な田辺史氏の人物 田辺史伯孫(はくそん):雄略紀に登場、河内安宿郷の住人 田辺史鳥(とり):日本書紀に登場、文筆・記録に関わる人物 田辺小隅(おすみ):壬申の乱で近江軍の将 田辺史大隅(おおすみ):藤原不比等の養育者として、『尊卑分脈』にのみ登場 田辺史広足(ひろたり):奈良時代の官人、甲斐守 続日本紀に田辺広足が黒身にして白(髪)尾の神馬を聖武天皇に献上したことが見
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1月26日読了時間: 4分


藤原不比等と田辺史氏(2)
第938話 前回の 甲斐の国造は、、、 では、 田辺史広足=手力雄神= ウツシコオ(内色許男命) = スサノオ(津田の王 ) =難升米としました。 このことを実証するために 田辺史広足の 田辺史氏は ついて調べることにしました。 しかし、その前に、田辺という地名について考察します。 ・摂津国住吉郡(大阪市東住吉区田辺)は、住吉神社の近くです。ウツシコオ=武内宿祢との関係が深い地です。 住吉神=武内宿祢= ウツシコオ(内色許男命) = スサノオ(津田の王 ) ・山城国綴喜郡田辺(京田辺市)は、木津川(泉川)のある地で、これまでも何度も登場しています。~ 第821話: 泉津~泉(5)京都府木津川市 第331話: 朱智神社~迦邇米雷王 では、 朱智神社があるあたり一帯は天王(地名:京都府京田辺市天王)です。と書きました。天王はスサノオのことです。スサノオはウツシコオです。 ・紀伊国田辺(和歌山県田辺市)は熊野本宮大社のある地で、ウツシコオのホームグラウンドです。~ 第543話: 熊野の神々は、、、 「田辺」という地名は、いずれもウツシコオと関係の深い地
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1月25日読了時間: 5分


藤原不比等と田辺史氏(1)甲斐の国造
第937話 笛吹川(ふえふきがわ)は、甲斐の国(山梨県)をながれています。日本三大急流の富士川水系の一級河川です。最上川、球磨川とともに日本三大急流のひとつである富士川水系の笛吹川は地形が急峻なため、梅雨や集中豪雨、台風により洪水が起こりやすい川です。 このブログでは、 ウツシコオ(内色許男命) = スサノオ(津田の王 ) =難升米 と台与は日本各地の暴れ川の改修を行って稲作を促進してきたと書いてきました。きっと笛吹川の周辺にも、台与とウツシコオの痕跡があるはずだと思って調べてみました。 山梨県笛吹市石和町河内に佐久神社がありました。 山梨県甲府市下向山町にある佐久神社については、すでに 第577話: 日向土本毘古王=沙本毘古王は台与 で書いてしまっていました。この佐久神社の 祭神は、向山土木毘古王、 建御名方命 、 菊理媛神 、手力雄神です。祭神の向山土本毘古王(むこうやまとほひこおう)は彦火々出見尊の後裔で日向の国( 日向は大阪府守口市 ) 高屋御殿で生まれ第二代綏靖天皇の大臣となり、後に 甲斐の国造 に任命されます。其の頃甲斐の中央部は一
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1月24日読了時間: 6分


彦火火出見尊は台与
第936話 前回: 火闌降命は台与 で書いた 火闌降命は、海幸彦です。古事記では、 火照命。日本書紀では 火闌降命です。そして、 山幸彦は、火遠理命(古事記)・彦火火出見尊(日本書紀)です。 彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)は、別名:火折尊(ほのおりのみこと)、火遠理命(ほおりのみこと)で、瓊瓊杵尊と木花開耶姫の子であり、神武天皇(初代天皇)の祖父にあたります。 じつは、神武天皇も「彦火火出見」です。 神武紀冒頭に、神日本磐余彦天皇、諱は彦火火出見。すなわち彦火火出見は、神武天皇の実名であると記されています。 神武天皇の名の表記としては、「神日本磐余彦尊」(神代紀第十一段本文・一書第一)、「磐余彦尊」(同一書第二)、「神日本磐余 彦火火出見 尊」(同一書第二・第三)、「磐余彦火火出見尊」(同一書第四)、「神日本磐余 彦火火出見 天皇」(第八段一書第六)とあります。 神代紀を筆録した人がそれと知りながら二人のことを同じ名で呼んで憚っていないのです。ホホデとは、穂穂出、火火出の意が掛け合わされているとされています。しかし、神武天皇の人物像や事績に
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1月23日読了時間: 5分


火闌降命は台与
第935話 火闌降命は、 火の中で誕生した三兄弟の第二子です。三兄弟とは、火闌降命(ほのすそりのみこと)、火酢芹命(ほのすせりのみこと)、火進命(ほのすすみのみこと)です。 古事記では、「火照命」が「隼人の阿多君が祖」とされ、弟の火遠理命と争うが、日本書紀では、火闌降命が「隼人等の始祖」(九段本書)、「吾田君小橋等が本祖」(十段本書)とされています。新撰姓氏録でも、阿多隼人・大角隼人が、火闌降命を祖としています。 このブログでは、隼人一族は、台与、 ウツシコオ(内色許男命) = スサノオ(津田の王 ) =難升米の一族としています。 隼人1) 隼人族は呉の勝 隼人2) 隼人族は疑似民族集団 隼人3) 阿多隼人(薩摩隼人) 隼人4) 大隅隼人は京都府京田辺市 ところで、 第933話: 産湯稲荷神社:大小橋命 で書いた 神武天皇の最初の妻は吾平津媛は木花開耶姫(このはなのさくやびめ)なのです。 阿陀比売神社は、奈良県五條市原町にあります。この辺りは「アタ」と呼ばれる地域です。 最寄り駅は、近鉄大阿太駅です。 この阿比良比売が神武天皇の最初の妻の
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1月22日読了時間: 5分


筑紫は、守口市?
第934話 筑紫とは、福岡県で、南部を筑後、北部を筑前、中部を筑豊とされています。古事記・日本書紀では、神武天皇の東征の出発の地とされています。 「筑紫」は、我が国の神話および国家成立における歴史上、重要な意味を持つ地名です。 ・伊邪那いざな岐ぎの 尊みこと が 禊払を行った場所が「筑紫の日向」です。 ・「筑紫の日向」の言霊学的解釈 「筑紫(つくし)」は、その語源は「尽つくす」から来ており、四方八方に広がる(尽 くす)という意味です。そして、「日向(ひむか)」の「日」は、「陽」すなわち「太 陽」を表しており、「向」は、そのまま「向かう」という意味になります。 「日向」とは、「太陽が向かう」という意味になり、「筑紫の日向」で、「太陽の光が尽十方(四方八方)に広がる大宇宙」を指す言葉となります。 ・天孫降臨の地「筑紫の日向」 瓊瓊杵尊:ニニギノミコトが、高天原から天下ってきた場所が「筑紫の日向」です。 記紀では「瓊瓊杵尊が筑紫の日向の高千穂の久士布流多気(くしふるたけ)に天 降る」と記述されています。 これは、饒速日が河内の 河上哮ケ峯に天下ったのと
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1月21日読了時間: 5分


産湯稲荷神社:大小橋命
第933話 大阪府大阪市天王寺区に小橋(おばせ)という地名があります。 この小橋(おばせ)という地名は、日本中でここにしかありません。 この小橋(おばせ)には、 産湯稲荷神社があります。祭神は、 大小橋命 です。 この神社の境内には産湯清水が湧き出ていて、大坂六清水の1つと言わるほど有名な井戸でした。神功皇后の近臣である雷大臣*が大小橋命(オオオバセノミコト)を生んだ時に、産湯を汲んだことから名づけられました。 大小橋命 は、神武天皇の最初の妻である 吾平津媛の父親です。古事記によれば吾平津媛は「阿多之 小椅 君」の妹とあります。この阿多之小椅君は、日本書紀に登場する火闌降*の子孫である「吾田君 小橋 」と同一人物と思われます。 大小橋命(亦名・御味宿称)は、父は中臣雷大臣*、母は武内宿禰*の女・紀氏清夫で、父・中臣雷大臣は神功皇后に仕えて活躍して「対島県の祖」と云われ、対島市にその祭祀社が多く鎮座しています。つまり 大小橋命 は、 ウツシコオ(内色許男命) = スサノオ(津田の王 ) です。 対馬はウツシコオと関連のある地です。~ 第498話
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1月20日読了時間: 4分


茨城県の邪馬台国(3)近津神社:オモダル・アヤカシコネ
第932話 近津神社(ちかつじんじゃ)は、茨城県久慈郡大子町にあります。 社伝によると日本武尊の創建とされ、慶雲4年(707年)に社殿が建てられたといいます。 祭神は、オモダルとカシコネです。二神は、兄弟とされ、古事記では兄を淤母陀琉神(オモダル)、妹をアヤ・カシコネ(阿夜訶志古泥神)、日本書紀では兄を面足尊、妹を綾惶根尊(アヤカシコネ)と表記します。 古事記では、神世七代の第六代の神とされ、兄淤母陀琉神が男神、妹阿夜訶志古泥神が女神です。オモダルは「完成した(=不足したところのない)」の意、アヤカシコネはそれを「あやにかしこし」と美称したもの。つまり、人体の完備を神格化した神です。 オモダルは、 ウツシコオ(内色許男命) = スサノオ(津田の王 ) =難升米の別名である 思兼神から転じた名前だと思います。 日本書紀には「思兼神」と記され、「思」は思慮、「金」には「兼」の字を充て、「多くの思慮を兼ねている神様」とされ、思金大神のお働きを「深謀遠慮」と表現されており、将来を見据えたビジョンを描く知恵の神であります。 思金大神は、天地開闢のはじまりに
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1月19日読了時間: 5分


栃木県の邪馬台国(2)日光二荒山神社
第931話 日光二荒山神社(にっこうふたらさんじんじゃ)は、栃木県日光市にあります。 下野国一宮です。 関東平野北部、栃木県北西にそびえる日光連山の主峰・日光三山を神体山として祀る神社す。 本社は、栃木県日光市山内にあります。 別宮本宮神社 は、女峰山登山口入口。奥宮(栃木県日光市中宮祠二荒山)は男体山山頂です。 日光三山は男体山(なんたいさん:古名を「二荒山(ふたらさん)」)・女峰山(にょほうさん)・太郎山からなり、二荒山神社ではそれぞれに神を当て祀っています。 祭神は、二荒山大神で、大己貴命、田心姫命、味耜高彦根命の総称とされています。つまり、大己貴命=大国主、田心姫命=市杵島姫命、味耜高彦根命です。 第424話: hidemaru3375.com/post/豊鍬入姫命-日光と男体山・女峰山 では、次のように書きました。 「男体山は御神体であり、大己貴命(おおなむち)であり、千手観音(せんじゅかんのん)ででもあります。女峰山も御神体で、田心姫命(たごりひめ)であり、阿弥陀如来(あみだにょらい)でもあります。大己貴命は ウツシコオ (内色許男命
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1月18日読了時間: 6分


栃木県の邪馬台国(1)名草厳島神社
第930話 名草厳島神社(足利市)概要:名草厳島神社は栃木県足利市名草上町にあります。厳島神社の創建は平安時代初期の弘仁年間(810~824年)、弘法大師空海(真言宗の開祖)が巡錫で当地を訪れると 弁財天の化身と思われる白い大蛇 *に導かれこの地へ辿り着きました。空海は霊石、怪石が点在するこの地が比例無き霊地と悟り弁財天を勧請し当社の起源となりました。弁財天は水を司り、その水が川となり多くの農作物を育て事から豊穣の女神として信仰され水源農耕の守護として広く知られました。 第901話: 弘法大師(空海)の伝説の真相 でも書いたのですが、弘法大師に関する伝説は、北海道を除く日本各地に5,000以上あり、歴史上の空海の足跡をはるかに越えています。空海の伝説は、実際は、台与(秦氏)が、日本各地の暴れ川(洪水を起こす川)の河川工事を行ったことが、元になっていると思います。 ところで、名草厳島神社の「名草」ですが、「名草」とは和歌山県和歌山市です。名草はこのブログでしばしば登場する地名で、私が、ウガヤフキアエズ= ウツシコオ(内色許男命) = スサノオ(津田
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1月17日読了時間: 5分


茨城県の邪馬台国(2):武生神社と坂上田村麻呂
第929話 常陸太田市下高倉町に武生神社(たきゅう神社)があります。 祭神は、大戸道尊です。神武天皇の頃、大戸道尊がこの山頂に降臨され、大宝元年(701)、役小角*が神霊を武生山上に遷祀、社殿が創建されたのが大同元年(806)3月1日と伝えられています。*役小角はウツシコオです。~ 第475話: 役の行者(役 小角)と韓国広足 大戸道尊とは、オオトノヂ(意富斗能地、大戸之道)・オオトノベ(オホトノべ、大斗乃弁、大戸之部)は、オオトマヒコ(大戸摩彦、大苫彦)・オオトマヒメ(大戸摩姫、大苫姫)の男女一対の神です。 古事記では兄を意富斗能地神、妹を大斗乃弁神、日本書紀では兄を大戸之道尊、妹を大戸之部尊、先代旧事本紀』では兄を大苫彦尊、妹を大苫姫尊と表記しています。 オオトノヂ(意富斗能地)の「地」は男性、オオトノベ(大斗乃弁)の「弁」は女性の意味で、「オホト」は、男女の性器と考えられています。神話ではこの二神に続き、まず地面または体が不備なく整った淤母陀流神・阿夜訶志古泥神が現れ、次に出現した伊邪那岐・伊邪那美二神の国生みにより国土(大八嶋国)が誕生し
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1月16日読了時間: 5分
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